かおるこ 小説の部屋

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連載第27回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-23 13:15:33 | 小説

 新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 27話

 第十二章【戦いの結末】②

 アリスとロッティーがテントに近寄った。雷の直撃を受けた月光軍団の隊員の服は焼け焦げている。すでに死んだようにしか見えなかった。
 テントの中でも雷が光った。テントの中にはエルダがいるのだ。
「エルダさん」と呼びかけたが返事はない。
「ぎゃっ」
 テントの中でまた稲光りがした。

 今のはいったい何だろう・・・月光軍団の部隊長ナンリは目を疑った。

 カンナがテントを捲ったとき、エルダの足がチラリと見えた。その足には「蓋」があったのだ。蓋が開いてピカッと光り、雷が飛び出してカンナに命中した。カンナは空から落ちた雷に撃たれたのではない、エルダの左足に撃たれたのだ。
 蓋の付いた人体などあるわけがない、だが、確かに見たのだ。
 カンナが心配だ。しかし、助けに行きたくても縄で縛られているのでは動けなかった。

 そのころ・・・崖の下では、地下世界の住人ニーベルがレイチェルを抱きかかえていた。
 レイチェルは変身が解けて元の姿に戻り、あどけない顔でぐっすり眠っている。レイチェルを変身させ、エネルギーを消耗させて命を奪うのが目的だった。しかし、今回は不首尾に終わった。レイチェルは敵の兵士の血を吸い尽くして栄養を補給したのだった。木の枝に見るも無残な死骸が引っかかっていた。
 ニーベルはレイチェルを肩に担いで急な崖の斜面を一歩、また一歩とよじ登った。
『レイチェル・・・』『どこにいるの、返事して』
 遠くからレイチェルを呼ぶ声が聞こえた。
 レイチェルを横たえさせるとニーベルは再び崖の下へと降りて行った。

 レイチェル発見を知らせようと宿営地に舞い戻ったリーナだったが、テントの異常事態を見て立ちつくした。アリスに子細を尋ねると、月光軍団が反乱を起こしたものの、その隊員は雷の直撃を受けたということだった。地面には服が焼け焦げた隊員が倒れていた。
「テントにエルダさんがいるの」
 ロッティーがテントを指差した。テントの中にも落雷があったとみえて屋根の頂上が黒く焼け焦げていた。これでは中にいるエルダの命も心配だ。リーナはアリスたちを下がらせてテントの布を捲った。
「エルダさん、無事か」
「ああ・・・」
 テントの片隅で指揮官のエルダが膝を抱えていた。その顔は蒼白で、怯えたように目を見開いている。
 エルダは無事だった。
「よかった」アリスがテントに飛び込んでエルダと抱き合った。
「エルダさん、レイチェルが見つかったよ、無事だった」
 リーナがそう言うとエルダの顔に赤みが射した。

 レイチェルはマリアお嬢様と手をつなぎ、三姉妹のマーゴットとクーラに囲まれていた。
「コイツ、心配かけやがって」
 ベルネがレイチェルの頭を叩いた。めっぽう手荒い歓迎だ。
「どひゃー、痛いでおます」
「喜べ、生きている証拠だ」
「みんなにどつかれてしまいましたねん」
「頭の打ちどころが悪かったのね」
 レイチェルの言葉遣いがおかしいのでクーラが笑った。
「それで喋りかたが変なのか、それじゃもう一発ぶちかましてやるか」
「かんにんどすえ、痛いでごわす」

 指揮官のエルダはテントの中で休んでいたが、元の姿に戻って返ってきたレイチェルを見て這い出してきた。
「レイチェル」
「エルダさん」
「無事で帰ってきてくれて、よかった」
 エルダはレイチェルを抱きしめた。
「ごめんね、レイチェル」
     *****
 カッセル守備隊の帰還が始まった。
 月光軍団の装備品からバロンギア帝国の帝国旗と月光軍団の旗を没収した。勝利した証拠に月光軍団の旗を持って凱旋するのだ。他にも二台の馬車、金貨、作業着などを奪い取った。レイチェルたち三姉妹は汚れた服を脱いでシュロス月光軍団の作業服に着替えた。
「大きさ、ピッタリじゃん」
 三姉妹は新しい服に袖を通して喜んだ。

「みんな、集まって」
 エルダが号令をかけた。
「よく頑張ってくれました。おかげでカッセル守備隊は月光軍団に勝利しました」
「おおー」「勝ったぞ」「やったー」
「全員揃って、カッセルに・・・カッセルの城砦に凱旋しましょう」

 ロッティーはカッセルに帰れると決まって喜びもひとしおだった。しんがり部隊の役目どころか、大成果を挙げることができた。これで、隊長のチサトに認められ復職が叶うだろう。一時はエルダを見捨てて逃げようとしたが、思い留まって良かった。逃げていたら今度こそ負け組になるところだった。

 一方、敗れたシュロス月光軍団は惨めだった。ナンリが点呼を取ると、残っているのは七十人あまりになっていた。隊長のスワン・フロイジアと魔法使いのカンナが死亡し、ミレイやコーリアスは大怪我を負った。トリルやマギー、パテリアたちは無事だったが、二十人ほどが行方不明になっていた。無事にシュロスへ逃げ落ちてくれればいいのだが。
 守備隊の見習い隊員でお嬢様と呼ばれている者が負傷者の手当てをしてくれていた。ナンリも「大丈夫ですか」と声を掛けられた。弱々しい隊員に慰められてますます悔しさがこみ上げてきた。

 指揮官のエルダが来た。
「ナンリさん、撤退の指揮を執るといいわ。そう思って、あなたには手を出さなかったのよ。感謝しなさいね」
 撤収部隊の指揮を執らせてもらえることには感謝せざるを得ない。
「捕虜を貰っていきます。一人はフィデスさん、あとは・・・あの子にしようかな」
 エルダが若手の隊員パテリアを指した。フィデスを捕虜にされたうえ、パテリアまで攫っていくという。しかし、ナンリは力なく頷くしかなかった。
「フィデスさんとパテリアですか・・・二人のこと、くれぐれもよろしくお願いします」
「いいわよ、お願いはしっかり聞いておく」
 エルダがナンリの耳元に寄った。
「私からもお願いがあるんだ」
 そう言って左足をトントンと叩いた。
「さっきのこと、黙っていてね・・・私の秘密、そう言えば分かるでしょう」
 稲妻を発射した左足のことだ。
「無事に捕虜を返して欲しかったら、このことは忘れなさい」
 捕虜になったフィデスとパテリアのことを思えば、ここは知らぬふりを通すしかない。
「エルダさんの秘密・・・何のことでしょうか」
「ふふふ、それでいいわ。思った通り、あなたは良くできた人ね」
 敵の指揮官に褒められても少しも嬉しくなかった。
「ナンリさん、私の部下になってくれないかしら」
「部下・・・カッセル守備隊に入れということですか」
 何を言い出すのだ、この女は。
「そうよ、だって、ローズ騎士団がシュロスに向かっているんでしょう。もし、ローズ騎士団と戦いになったら、その時には、あなたがいれば心強いんだけど」
 エルダの口からローズ騎士団の名が出た。
 ローズ騎士団がシュロスの城砦に来ることを知っていたのか・・・
 ナンリは愕然とする思いだった。
「こっちもかなりの被害を受けたから、すぐには戦いたくない心境だけどね」

 それからナンリは捕虜になるフィデス・ステンマルクと別れの挨拶をした。お互い、この仇を返す日まで無事でいようと誓い合った。
 シュロス月光軍団は死亡したスワン・フロイジアとカンナに白い布を被せ冥福を祈った。これにはカッセル守備隊も一緒に手を合わせてくれた。

 しばらくしてカッセル守備隊の馬車が動き出した。
 馬車にはお嬢様が乗り込み、フィデスとパテリアも乗せられた。二人を丁寧に扱ってくれたのでナンリは安堵した。 

 歩き出したエルダは立ち止まって振り返り、月光軍団に向かって手を合わせた。
 スワンとカンナ、あの二人は、私が殺してしまった・・・

「隊長」
 馬車に乗り込んだエルダが呼び掛けた。
「アリスさん、今日からカッセル守備隊の新しい隊長になってください」
「あたしが隊長ですか、それはどうも」
 隊長と言われてもピンとこない。
「隊長、さっそくですが、一つ命令を出していただいてよろしいでしょうか」
「はいはい、何でしょう」
「頑張ったご褒美として、三姉妹をチュレスタの温泉に行かせてやりたいのですが」
「はい、司令官殿」
 アリスは迷わずエルダを司令官と呼んだ。

  ・・・・・

 <作者より>

『新編・辺境の物語』 第一巻 カッセルとシュロス(前編)を終わります。ここまで、お読みいただきまして誠にありがとうございました。
 第二巻 カッセルとシュロス(中編)へと続きます。第二巻はミステリー仕立てになっております。

 


連載第26回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-22 13:25:39 | 小説

 

 

 <ご注意>この回には捕虜を鞭打つシーンがあります

 

 新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 26話

 第十二章【戦いの結末】①

 シュロス月光軍団のナンリは周囲を見回した。幸い、トリルやマギー、パテリアたちは無事なようだが、副隊長のミレイ、戦闘員のジュリナが叩きのめされてしまった。ざっと数えて七、八十人は残っていると思われる。二十人くらいは戦場から脱出した計算だ。戦力はかなり消耗した。
 隊長のスワン・フロイジアは息をしていないように見えた。守備隊の隊員に言われるまで、それが隊長だとは気が付かなかった。あの怪物にやられたのだろう。鋭い爪で摑まれたのでなければ、あんなおぞましい姿になることはない。
 宙吊りで失神したカッセル守備隊の指揮官エルダが回復し、いい気になって指示を発している。悔しいがナンリは黙って見ているしかなかった。

 しばらくして、参謀のコーリアスが発見された。リーナがテントの布に隠れていたところを引きずり出してきた。
 指揮官のエルダはコーリアスの首に縄を掛け、その端をテントの杭に縛り付けた。宙吊りにされた代わりに地面に磔にしたのだ。
「ふん、いい眺めだわ」
 先ほどとは違い、勝者と敗者が完全に逆転していた。
「お前も隊長みたいになりたいか」
 エルダがコーリアスの頭を踏み付けた。
「うぐう」
「叩き潰してやる、隊長のようにボロボロになれ」
「あれは怪物がやったのよ、真っ黒な怪物が」
 レイチェルのことを怪物と言われ腹が立った。
「うるさい」
 エルダが怒鳴り付けた。
「その言い方は何さ。もう一回言ったらタダじゃすまない」
「だって、見たんだから、恐ろしい顔をした怪物だった」
「タダじゃすまないって言っただろう、このバカ」
 その美しい顔からは想像もできない言葉でコーリアスを罵った。
「お前を鞭打ちにすることにしたわ」
 エルダはベルネたち三人に命じてコーリアスの服を引き裂き上半身を露わにした。
「この女、めちゃくちゃにしておやり」
 コーリアスへの鞭打ち刑が始まった。
 鞭の代わりに縄を手にしたベルネが一発振り下ろす。
 バシン
「ぐぎゃっ」
 コーリアスの背中に赤い筋が付いた。続いてリーナとスターチも縄を振り回した。縄の先端には幾つもの縄目が結ばれていた。エルダを宙吊りにしたときの縄だった。皮肉なことにコーリアスは自らが仕掛けた縄で打たれたのだった。
「次は・・・」
 エルダが月光軍団を見渡した。次は自分の番かもしれない、誰もが首をすくめた。

「そうだ、お前たちにも仕返ししてやる」
 新たな標的に選ばれたのはミレイとジュリナだった。二人ともアリスやエルダをいたぶったので鞭打ちは免れなかった。ベルネやリーナに代わる代わる縄で叩かれ、ミレイの背中にも血の筋が走った。
「あなたにも一発やらせてあげるわ」
 エルダはロッティーに縄を押し付けた。
「あたしですか・・・」
 ロッティーは連絡要員として隠れていたので、エルダやアリスのように乱暴なことはされていない。しかも無抵抗な相手を鞭で叩くのには躊躇いがあった。
「私の命令が聞けないの・・・ロッティー。ああ、そうでした、あんたは逃げ出した隊長の取り巻きだったよね」
 今更そんなことを持ち出すのかとロッティーは当惑した。
「私の命令に背くなら、一人だけ置き去りにしようか。こいつらに復讐されるわよ。それでもいいの? 」
 敵陣に取り残されたのではかなわない、ロッティーは渋々、縄を受け取った。
「そうだよロッティー、あんたはやれるんだ。いつだったか、私に襲いかかったことがあったでしょ。あの調子でやればいいのよ」
 気絶していたところを助けてあげたというのに、エルダはそれを忘れたかのように命令を出している。しかし、エルダには逆らえない。敵が憎いというよりはエルダに睨まれて仲間外れにされたくなかった。
 パシッ。
 ロッティーはミレイの背中をピシャリと叩いた。

 次にエルダは月光軍団の副隊長フィデス・ステンマルクにも手を伸ばした。
「参謀はめった打ちにしてやった。さっきの仕返しをしてるだけ」
 次第にエルダの私刑の様相を呈してきている。
「でも、心配しなくていいのよ、あなたには手を出さない。約束するわ。お嬢様たちを見逃してくれたことがあったものね」
 右手でフィデスの顎を上げさせた。
「助けてあげる。だから、私のモノになりなさい」
「エルダさんのモノ? 」
 フィデスが見上げたエルダの顔は異様だった。
 目はギラギラと輝き、唇は血のように真っ赤だ。
「そう、あなたが欲しくなったの。フィデスさんは大事にしてあげるわよ」
「あ、ありがとうございます」
「さてと、参謀を痛め付けてくるとしようか」

 コーリアスの尋問が再開された。
「レイチェルはどこ、どこへ連れて行ったの」
「あの見習い隊員は、隊長が崖から落として殺せと・・・」
「それなら、参謀のお前も同罪だ」
 レイチェルを崖から落とすように命じたのは隊長と参謀だ。実行したのは別の隊員だろうが、その隊員もすでに死んだ。血だらけの服がその証拠だ。
 隊長はすでにその報いを受けている。
 しかし、レイチェルに変身するように命じたのはエルダだった。
 どうしたらいい・・・
 その矛先は参謀のコーリアスにぶつけるしかなかった。
「降参しなさい」
 エルダは怒りに任せてコーリアスの顔を踏み付け、つま先をグリリと鼻に擦り付けた。
「月光軍団は降伏しますと言いなさい。さもないと顔を踏み潰す」
「痛い、やめてっ」
「コーリアス、お前、さっき私がやめてといったのにやめてくれなかったじゃない。自分の番になったら助けてくれなんて身勝手なんだよ」
 宙吊りで痛め付けられた代償は降伏で償わせるしかない。
「さっさと降伏しろ」
「うう」
 エルダはコーリアスの顔を蹴った。二度、三度と蹴り続ける。コーリアスの唇が切れて血が垂れた。
「月光軍団は降伏するんだ」
「・・・こ、降参、降参します。エルダ、エルダさん、許してください」
 ついに月光軍団の参謀のコーリアスが降伏した。
 カッセル守備隊がシュロス月光軍団に勝利したのだった。

 守備隊は月光軍団の武器を取り上げ武装解除させると、戦闘員の兵士を縛り上げた。降伏を認めたコーリアスは杭に括り付け、降伏の象徴、白い布を首に巻き付けた。
 しかし、まだカッセルには帰れない。レイチェルを探し出さなければならなかった。エルダ、アリス、それにロッティーの三人が見張りとして残り、カエデやベルネたちは二手に分かれてレイチェルの捜索に向かった。

    〇 〇 〇
 【長くなりましたので、次に続くシーンはあらすじだけで書きます。ご了承ください】
 守備隊の隊員がレイチェルの捜索に向かった直後、エルダの身体に異変が起こります。全身が熱を帯び、とくに右腕と左足の自由が利かなくなってしまいました。アリスとロッティーがエルダを抱えテントに運びました。月光軍団の魔法使いのカンナがこれを見逃しませんでした。見張りは二人しかいない、エルダを襲って再び形勢をひっくり返すには絶好のチャンスです。カンナはエルダを襲撃しようと・・・
    〇 〇 〇

 剣や槍は取り上げられたがカンナに魔術という武器がある。指先からカミナリを発して焼き殺すのだ。
「エルダ、死ねっ」
 エルダが隠れているテントの幕を捲った。
「!」
 そこでカンナが見た物は不思議な人体だった。
 エルダが伸ばした左足、その膝下の部分には「蓋」が開いていた。
「な、なに、それ」
 蓋の内側には時計の歯車のような部品が取り付けられていたのだ。
 一瞬、躊躇ったが、カンナはエルダに指先を向けてカミナリを放った。というより、止めることができなかった。
 ビガッ
「ぐぎゃあ」
 悲鳴を上げたのはカンナの方だった。勢いよく吹っ飛ばされてドタンとひっくり返った。魔術で発射したカミナリが跳ね返されたのだ。それでも二発目を放つために腕を伸ばした。
 バリン、ドン
 今度は稲妻がカンナを直撃した。カンナの身体からはブスブスと煙が上がった。
 月光軍団の反撃はあっけなく終わった。

 

 <作者より>

 ご訪問、ありがとうございます。 次回で第一巻は終了します。


連載第25回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-21 13:22:48 | 小説

 新編 辺境の物語 カッセルとシュロス 前編 25話

 第十一章【怪物?】②

 

 やられた・・・月光軍団の部隊長ナンリは腰の力が抜けて、その場に膝を付いた。すぐ側にはフィデスもうつ伏せに倒れ込んでいる。
 二人は守備隊のレイチェルのことが気になって後を追ってきた。処刑を止めることはできなかったが、形見の品だけでも見つけたいとフィデスが言った。
 崖の近くで千切れた服を発見した。ズタズタに破れて血がこびり付いていて、地面には血溜まりもあった。ここで激しい闘いがあったのだ。キューブがレイチェルを襲ったのだろう、そう考えるのが自然だ。
 レイチェルは、そしてキューブはどこだと、崖下を覗き込んだとたん、激しい衝撃を受けて倒れてしまった。
 まだ身体が痺れている。
 バサバサッ
 頭上で鳥の羽ばたきがした。かなり大きい鳥だと直感した。ただの羽音がいつになく恐ろしく感じられる。

「助けてっ」
 月光軍団の隊員が転がるように駆けてきた。
「怪物が来たっ」
「怪物? あの黒い騎士か」
「違う、もっと大きくて凶暴なヤツよ。隊長も襲われて・・・」
「なに、隊長が襲われた?」
「血だらけで・・・もうダメ、死んじゃった」
「そんなバカな」
 隊長が死んだなど、そんなことがあるはずはない。誰に殺されたというのだ。その怪物とやらの仕業なのか。
「本当です、この目で見たんです。怪物と一緒に守備隊が襲ってきた」
「守備隊が・・・」
 捕虜にしておいた副隊長補佐たちが決起したのだろうか。しかし、副隊長補佐や兵士は厳重に縛って拘束しておいた。指揮官のエルダに至っては気絶して、指揮を執れるような状態ではなかった。あるいは逃げたと思った残兵が戻ってきたのかもしれない、その可能性は十分にあり得る。
 ザワザワと木々が揺れ不気味な風が吹いてきた。地面も揺れた。
「来た、怪物だ」
 隊員が叫んで逃げ出した。
 一斉に鳥が飛び立ち、バキッと枝が折れた。

 何かが近づいている。
 間違いない、ナンリとフィデスの背後に何かが迫ってきた。
 ナンリは意を決して振り返った。
「誰だっ」
 じっと目を凝らすと、闇の中に漆黒の鎧兜を身に着け、背中に翼が生えた者が動いているのが見えた。
 これが怪物か。
 怪物が手を伸ばした。その指先は鋭い爪が黒く光っている。あれで摑まれたらひとたまりもない。衝撃が再び全身を包んだ。足が痺れる。衝撃波はこの得体の知れない怪物が発しているのだった。
 ナンリは身構えた。しかし、これまでに味わったことのない恐怖感に、腕も足も指先までも固まった。
 怪物が伸ばした腕がナンリの頭を、そしてフィデスの頭を彷徨う。フィデスがしがみついてきた。

 鋭い爪が髪を掠めて止まった・・・殺されると覚悟した。
 だが、怪物は何故か腕を引き、ゆっくりと後ろへ下がっていった。
 フワリ、怪物が舞い上がった。

「・・・あれは?」
 その時、フィデスは怪物の首に掛かるキラリと光る石を見た。
「ああ、はあ、助かった」
 ナンリは大きく深呼吸をした。助かったのだ。
「恐ろしいヤツでした。あれがテントを襲ったのでしょうか」
 あの怪物に襲撃されたら月光軍団にはさぞや大きな被害が出ていることだろう。そこへ守備隊が攻め込んできたら・・・どうやら戦場を支配しているのはカッセル守備隊のようだ。
 しかし、負けるわけにはいかない。
「テントに戻って戦い・・・うっ」
 立ち上がりかけたナンリだったが、痺れた身体は思うように動かない。膝から崩れ落ちてしまった。怪物が放った衝撃波は凄まじい威力だ。
 フィデスは呆然と空を見上げた。
「あれは・・・レイチェルのペンダント」
 フィデスは見たのだ。
 怪物の首に下がっていた赤と青の石のペンダントを・・・
      ***** 
 後方に待機していたカッセル守備隊のカエデは、合図の花火を見て、リーナ、マーゴット、クーラ、マリアお嬢様、アンナとともに出発した。
 先頭に立っていたクーラが破れた服の切れ端を見つけた。鋭い爪で切り裂かれたように千切れて血が滲んでいた。まだ血が乾いていないので、それほど時間が経っていないように思われる。獣にでも襲われたのだろうか、あちこちに服の破片が散らばっていた。
「これは守備隊の服じゃないわ、月光軍団の物ね」
 服の色は灰色で月光軍団の戦闘服に似ていた。
「あそこに誰か倒れている」
 リーナが確かめると月光軍団のナンリとフィデスだった。二人は腰が抜けたように蹲っていたので、すぐさま身柄を確保した。捕虜を確保し、さらに前進を続けた。

 エルダとロッティーがいる所へカエデたちが駆け付けた。一同は抱き合って無事を喜んだ。だが、エルダは無事とは言えない有り様だった。顔には殴られた跡があり、髪は短く切り落とされていた。酷い暴行を受けたのだ。
「戦況は? 」リーナがロッティーに尋ねた。
「月光軍団の兵が逃げて来ている。ベルネさんたちは何が起きたのか偵察にいった」
 どうやら守備隊が優勢とみて間違いない。
「こちらも収穫があった。二人を拘束しました」
 リーナは捕虜にしたナンリとフィデスをエルダに引き合わせた。月光軍団の副隊長を捕虜にしたのだ。今や完全に立場は逆転している。
「ロッティー、捕虜を連行して先に行くから、エルダさんたちと来てくれ」
 捕虜にした二人を盾にしてリーナが敵陣へと向かった。

「私たちも前線へ急ぎましょう」
 形勢が優位になったことを確信してエルダは元気を取り戻した。
「これが落ちてました、月光軍団の服です」
 クーラが血に染まった服の切れ端を見せた。身に着けていた隊員は相当な大怪我を負ったはずだ。クーラから、守備隊の物ではないと聞いてエルダはホッとした。
 襲われたのはレイチェルではなさそうだ。
 早く助けなければ・・・

 すでにそこはカッセル守備隊の支配下に置かれていた。
 月光軍団の隊長スワン・フロイジアが負傷し、参謀のコーリアスや副隊長のフィデスは行方知れずだった。命令系統が失われ、残された隊員だけでは指揮を執ることができない。何よりも隊長の怪我が酷すぎた。誰の目にも、もう死んでいるとしか思えなかった。
 怪物が発する衝撃波で身体の自由が利かなくなったところへ守備隊が攻撃してきた。副隊長のミレイ、部隊長のジュリナはたちまちに討ち取られた。
 リーナが突撃してきた時には、ベルネとスターチは月光軍団から分捕った焼き肉を食べているところだった。
「あたしの食べる分も取っておいてくれたろうね」
「あるよ、カエルが三匹」
「カエルはお嬢様にやるわ」
 シュロス月光軍団の隊員はそこかしこに数人ずつ集められ、逃げられないようにベルネたちが見張った。

 そこへ指揮官のエルダたちが意気揚々と乗り込んできた。
「隊長と参謀はどこ? 」
 エルダがベルネに尋ねた。
「それが・・・あれを、あれを見てください」
 ベルネが指差す方向には、倒壊したテントの前に血だらけの兵士が横たわっていた。顔面が真っ赤な血に染まり、誰だか判別がつかないほどだ。
「月光軍団の隊長です」
「うっ」
 エルダは口元を押さえた。
「生きているのよね・・・」
 しかし、これでは手当てのしようがない。隊長のスワンの命はもはや時間の問題だろう。
「誰がこんなことをしたの」
「あたしたちが突っ込んできた時は、黒い鎧兜の騎士が襲いかかっているところだった」
「ああ、あの黒づくめの騎士」
「騎士の仲間かもしれない。黒いマスクで覆われていたので顔は分からないが、背中に翼があり、爪も鋭く・・・とにかく怖かった」
 全身黒い鎧兜、黒いのマスク、翼が生えている、まるで怪物のような姿ではないか。
 その怪物が月光軍団のスワンを襲った。怪物はシュロス月光軍団には敵となり、カッセル守備隊には味方となったのだ。
 黒ずくめの騎士のおかげで、思いがけずエルダの作戦が成功したのだった。
 とはいえ、これで終わったわけではない。殴られ蹴られ、宙吊りにされた仕返しをしなければ気が済まない。そして月光軍団を降伏させ、カッセルの城砦に帰還したい。全員で帰還するのだ。
 全員で・・・レイチェルだけがまだ見つかっていなかった。

 時が経つにつれ月光軍団の隊長スワン・フロイジアの姿は正視できなくなった。血が固まって全身がどす黒く汚れてきている。
「アリスさん見たの? 」
「ええ、ちょっとだけ見たわ。わたしも襲われるんじゃないかと怖かった」
 アリスがその時の様子を話した。
 血だらけのスワンを見て気分が悪くなり草むらに屈みこんだ。そこで、目の前に異様な姿を目撃した。殺されると観念したが、その怪物はアリスには何もせず、空に舞い上がって姿を消した。
「守備隊の味方だわ、きっと。人を襲うだけなら捕虜になっていたわたしたちの方が簡単なはず。それが月光軍団のテントを壊して、しかも、隊長だけを狙ったとしか思えない」

 テントから隊長だけを・・・
 それを聞いて、得体の知れない不安がこみ上げてきた。
 まさか。
 エルダはとてつもなく恐ろしいことに気が付いた。
 レイチェルだ。

 月光軍団のテントを襲い、隊長を無残な姿にしたのはレイチェルだ。
 全身が黒い鎧兜、顔を覆う仮面。鋭い爪、大きな翼・・・
 レイチェルがそんな姿に変身するとは想像していなかった。せいぜい身体の一部が変化するのだとばかり思い込んでいた。しかも、レイチェルは攻撃を受けた時に防御のために変身するのではなかったのか。
 それなのにこの惨状だ。
 クーラが拾ったという引き裂かれた血だらけの服は、おそらく月光軍団の隊員の着ていた物だろう。その隊員もレイチェルが襲ったのだ。
「ムフッ」
 胸が痛くなった。右手と左足がビリビリと軋んだ。明らかに身体が変調をきたしていた。
 レイチェルに変身するように命じたのは他ならぬ自分だった。
 月光軍団の隊長だけを狙えと指示したのも自分だ。そう、この惨状を引き起こした原因は紛れもなくエルダ自身にあるのだ。
 これは人間におこなえる業ではない。
 レイチェルは隊長のスワンを破壊したのだ。怪物だからこそできたのだ。姿形だけではなく、心までもが怪物になってしまった。

 レイチェルはどこに? 
 まさか・・・今でも怪物の姿のままなのだろうか。
 だとしたら、取り返しのつかないことをしてしまった。

 

<作者より>

 本日もお読みくださり、ありがとうございます。

 ブログでの連載形式ですと、最新話が一番上にくるので、前に遡って読まれる方にはお手数をお掛けしているのではないかと存じます。申し訳ございません。

 


連載第24回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-20 13:57:20 | 小説

 

 <ご注意>この回では戦闘により人が命を落とす描写があります。

 

 新編 辺境の物語 カッセルとシュロス 前編 24話

 第十一章【怪物?】①

 最初の一撃で全てが決まったと言っても言い過ぎではなかった。
 月光軍団のテントが押し潰され隊長と参謀が下敷きになった。隊長のスワン・フロイジアは折れた支柱に足を挟まれ、参謀のコーリアスはテントの布に絡めとられた。
「うわっ、ひゃあ」
 突風が吹いたと思ったコーリアスは夜空を見上げた。
「な、なに」
 テントにのしかかっていたのは・・・
 コーリアスが目にしたのは全身が黒い鎧兜に覆われた何者かだった。
 黒ずくめの騎士が襲ってきたのだ。これまでにも、たびたび現れた黒い騎士、悪魔とも怪物とも呼ばれていた黒い騎士、それが月光軍団のテントを襲ってきたのだ。

「ギャア」「ヒエエエ」「逃げろ」あちこちから悲鳴が上がった。
 誰かが「怪物」と叫んだ。
 それはまさしく怪物だった。黒ずくめの騎士ではない。背中にはハゲタカのような大きな翼が広がっているではないか。姿形が異様なうえに、怪物の身体からは何やら衝撃波が発せられている。衝撃波が月光軍団の宿営地に波紋となって広がっていった。間近にいたコーリアスも体中が痺れた。

 怪物がテントに腕を突っ込みスワンの頭を掴んだ。
「うぎゃあ」
 スワンが吊し上げられる。コーリアスはあまりの恐ろしさに腰が抜けた。

 何かが起きた。
 月光軍団の宿営地の方向からメリメリ、ドタンと物が壊れる音がとどろき、悲鳴と怒号があがった
 木立に潜んでいたカッセル守備隊のロッティーは異変を察知した。エルダが気絶し、レイチェルが連れ去られるのを見て、後方部隊の待機場所へ逃げるタイミングを計っていたところだった。
「どうするんだっけ」
 思い出した、花火だ。
 カエデたちに知らせるために合図の花火打ち上げるのだった。レイチェルが変身するという作戦が成功したかどうか、まだ分からないが、ここは合図を送るべきだと判断した。
 筒を取り出し震える手で着火すると、夜空にヒュルヒュルと花火が上がった。
「よし、次は」
 一つ任務を果たすと不思議に気持ちが落ち着いてきた。これ以上、事態は悪くはならないと思えてきた。ロッティーは後方の部隊が到着するのを待つことなく捕虜の救出に向かった。
 真っ先にベルネとスターチの縄を解く、これで戦力を確保できた。
「ロッティー、ありがとう。何があったの」
「あたしにも分からない。合図を送ったから、じきに助けが来るわ」
 次はエルダとアリスだ。
「エルダさん」
「ううん・・・うう」
 ロッティーが背中を叩くとエルダがかすかに呻いた。良かった息を吹き返した。
 しかし、顔は殴られて腫れ上がり、その目は虚ろだ。肩まで伸びていた髪もザックリと切られ、顎には血が滲んでいた。エルダが自力では立ち上がれそうにないので抱き起こして木の根元に寝かせた。
「酷いことをされたわ」
 スターチがエルダの頬を拭った。

 その間にベルネが副隊長補佐のアリスを自由にした。
 残るはレイチェルだ。
「レイチェルはどこ? 」

 その時、また闇を引き裂いて悲鳴が上がった。まだ戦いは続いているのだ。しかし、ベルネたちにも状況がつかめなかった。何が起こったのか状況を確認することが先決だ。そしてレイチェルを救出しなければならない。
「ロッティーはここに残って後から来る者と合流してくれ。二人で敵陣に向かう」
 ベルネとスターチは悲鳴の聞こえた方へ駆けだした。

「あひひひ」
 黒づくめの鎧に身を包んだ怪物がスワンに迫ってくる。鋭い爪先が襟に触れゆっくりと下へ下りた。ビリリと服が引き裂かれ肩が剥き出しになった。助けてと叫ぼうとしたが口の中に鋼鉄の指が押し込まれた。
「・・・オゴッ」
 やられた。

 カッセル守備隊のベルネとスターチは月光軍団のテントが見える場所に着いた。
 敵を見つけてベルネが戦闘態勢をとった。月光軍団の隊員は五、六十人ほどいるだろうか。もっと多いかもしれない。だが、誰もがへたり込んでワナワナと震えていた。ベルネたちを見ても立ち上がろうとしなかった。攻撃される心配はなさそうなので、二人は警戒しつつ先へ進んだ。
 テントが壊れていた。天幕の布が破れ、木の支柱がポッキリ折れている。垂れ下がった月光軍団の旗は鮮血に染まっていた。
 ベルネの視線の先に黒い鎧を着た者の後ろ姿が目に入った。
 黒づくめの騎士が現れたのか・・・
「うっ、なんだ、あれは」
 黒い鎧を着た者が掴んでいたのは血だらけの人間だった。
「隊長がやられたっ」
 月光軍団の隊員が叫んだ。
「あれが、隊長・・・月光軍団の隊長なの? 」
 額から流れる血で顔面は真っ赤に染まり、上半身にも血が垂れている。月光軍団の隊長スワンの変わり果てた姿だった。
 こんな凶暴な相手に襲われたらひとたまりもない。ベルネとスターチはゆっくりと後ずさりした。
 バサバサッ。
 羽ばたく音がして翼が広がった。
 黒づくめの騎士は掴んでいた隊長のスワンをその場に投げ捨てて闇に消えた。

 月光軍団の隊長は血の海に沈んだ。死んだも同然だ。周囲の隊員たちも気が抜けたように座り込んでいる。戦況は一気に変わった逆転したのだ。
「勝てる、勝てるぞ」
 しかし、まだ決めつけるわけにはいかない。ここは敵陣の真っ只中だ。
「月光軍団を叩き潰すんだ」

 カッセル守備隊、副隊長補佐のアリスはロッティーの助けを借りて起き上がった。
 自分のことよりエルダが心配だった。
「しっかりして、エルダさん」
 エルダは身体を丸めて苦しそうにしている。指揮官のエルダは誰よりも酷く痛めつけられた。宙吊りにされ、月光軍団の隊長に平手打ちされて気絶したのだった。
 そこへ月光軍団の宿営地の方角から何人もの敵兵が走ってきた。しかし、アリスには目もくれず、助けて、怖いと口々に叫んで駆けていった。
「敵が逃げて行っちゃいましたね」
「ホント、さっきまでとは様子が違うみたい」
 敵の姿が見えなくなったので、ロッティーと手を取り合って喜んだ。
「ベルネさんたちが敵陣に乗り込みました」
「何があったんでしょうね、わたしも見てきます」
 状況は悪くはないと判断した。ここは副隊長補佐の出番だ。アリスは迷わずベルネたちの後を追うことにした。

 アリスがほの暗い闇の中を進むと、前方から悲鳴とも叫び声ともつかぬ声が何度も聞こえてきた。先に進んだベルネたちと月光軍団の間で激しい衝突が起きているのだ。再び捕まってしまうのではないかという不安がこみ上げてくる。
「うわっ」
 走ってきた者とぶつかりそうになって身を屈めた。
「助けて」と叫んだのはアリスではなく月光軍団の隊員だった。その隊員は何やら喚きながら下がっていき、足を踏み外して崖の下へ転落していった。
「あらら、落っこちてしまいましたよ。かわいそうに、死んだらどうしましょう」
 そうだった、ここは戦場なのだ。落ち着いて考えれば、自分から落ちたとはいえ敵を倒したことには変わりはない。初手柄なのに、誰にも見られなかったのは残念だ。カッセルに帰ったら水増しして五人ぐらいは倒したと報告しよう。
 少し余裕が出てきたのか、さっそく、恩賞のことを気にしているアリスだった。
 さらに進むと、
「あれは、スターチじゃないか」
 スターチが敵兵を投げ飛ばしていた。ベルネは棍棒で叩きまくっている。どう見てもカッセル守備隊が月光軍団を攻撃しているとしか思えない。

 ドガッ
 後ろから突き飛ばされてトントンとつんのめった。
「おっと・・・うっ・・・は?」
 アリスがそこで見たモノ、それは実におぞましいモノだった。
 誰かが壊れたテントに凭れかかっている。顔面は血だらけで全身が真っ赤に染まっていた。
「うっひゃあ、なに、これ」
「よく見てみなよ、月光軍団の隊長だよ」
「た、たいちょう? 」
 ベルネに言われてアリスは恐る恐る顔を上げたが怖くなって目を背けた。 
 そういえば月光軍団の隊長スワンに似ていないこともない。
 何でこんな大怪我をしてしまったのだろう・・・敵ながら気の毒だ。
 というより、すでに死んでいるとしか見えなかった。
「おうっ・・・うげっ」
 胃の奥から突き上げるような吐き気がした。アリスは口を押えて木の陰に倒れ込んだ。

 ガササ、バサッ

 目の前の暗闇で何かが動いた。
「ああっ、うわあ」
 アリスが見たのは真っ黒な怪物が飛び立つ姿だった。

 

 <作者より>

 本日もお読みくださり、ありがとうございます。

 


連載第23回 新編 辺境の物語 第一巻

2022-01-19 13:44:19 | 小説

 新編 辺境の物語 第一巻 カッセルとシュロス 前編 23話

 第十章【レイチェル変身】②

 

 ・・・カッセル守備隊の指揮官エルダは厳しい責め苦に耐えられず降伏した・・・

 月光軍団の隊長スワン・フロイジアはエルダを睨み付けた。
 この女はエルダではない・・・ビビアン・ローラだ。ローラを叩き潰し復讐を果たす時がきたのだ。
 バシン
 隊長のスワンがエルダの頬を平手で叩いた。
「ウグッ・・・」
 エルダの身体がズルリと垂れた。
 宙吊り、降参、気絶・・・あまりにも惨めなエルダの最後だった。
 参謀のコーリアスが小刀でエルダの髪の毛をバッサリ切り落とし地面にまき散らした。
「カッセル守備隊は降伏した! 私たちの大勝利だ」
 シュロス月光軍団の隊員からオオーッという雄叫びが上がった。

 スワンやコーリアスたちが去ったあとで、副隊長のフィデス・ステンマルクはエルダに近寄った。少しでも楽な姿勢にしてあげたい。ナンリも手を貸して縄を緩め、ゆっくりと地面に横たえた。
 エルダは両腕が伸び切って、腰は緩み、両脚はだらしなく広がっている。だらりと弛緩した肉体だ。髪の毛は首筋の辺りで短く切られていた。
「ここまでしなくてもいいのに」
 白目を剥き、口から涎を垂らしたエルダを見てナンリがため息をついた。

 木の陰に身を隠していたロッティーは呆然とするだけだった。
 指揮官のエルダが厳しい追及を受け、木に吊るされて平手打ちで失神した。エルダの悲鳴がロッティーのいる所まで届いた。
 そして、ついには降伏を認めてしまったのだ。
 しかし、エルダを助けようとは思わなかった。
 エルダが現れてから悪いことばかり起きている。地下牢で倒れているのを助けてやったのは他ならぬ自分だ。それなのにいつの間にか立場が逆転してしまい、すっかり頭が上がらなくなった。追放しようとして失敗したあげく、とばっちりを受けて戦場に置き去りになった。それもこれも、すべてエルダのせいだ。
 だから、宙吊りの刑になったエルダを見ているのは快感でさえあった。自分の代わりに月光軍団がエルダに報復してくれたようなものだ。
 さて、どうしよう・・・
 レイチェルが変身して敵を倒す作戦ではなかったのか。それなのに何も起こらない。エルダは降伏し、ベルネとスターチまでもが捕虜になった。これでこの部隊は全滅したも同然だ。連絡要員の任務も必要なくなった。ここで見たことを伝えれば、後方の部隊のカエデたちも諦めて城砦に退却するだろう。カッセルの城砦に戻って、エルダが捕虜になったことを報告するとしよう。うまくいけば復職できるかもしれない。
 エルダを見捨てることにした。
 逃げろ、早くこの場を立ち去れ・・・
 しかし、ロッティーは足がすくんで動けなかった。音を立てて敵に見つかったら自分も捕虜にされ、エルダのように殴られてしまうだろう。
 やむを得ず、もう少し待つことにした。月光軍団が撤収作業を始めるまで待ってもいいのではないか。
 月が雲に隠れて闇が深くなった。ロッティーも闇に包まれた。
      *****
 捕虜に対する処分が執行されようとしていた。指揮官、副隊長補佐、戦闘員の兵士を捕虜にしたので、見習い隊員のレイチェルには用がなくなったのだ。
 ジュリナとキューブがレイチェルの髪を掴んだ。腕を取って連れ去ろうとするのをフィデス・ステンマルクが引き留めた。
「せめて、ここに置いていきましょうよ」
「隊長の命令なんだ、殺すと決まったの」
 そう言われてしまってはこれ以上の命乞いはできそうにない。
「助けられなくて、ごめんね」
 フィデスが身体を揺するとレイチェルが目を開けた。
「の・・・のむ」
 レイチェルが飲みたいと言ったのでナンリが水筒の水を飲ませようとした。しかし、レイチェルは首を横に振った。
「ち、ちが・・・」
「違うの? 水じゃないの? 」
「ちが・・・血が、血が飲みたい」
「血・・・」
 血が飲みたいと言ったように聞こえた。気の毒なことに、レイチェルはさんざん殴られたので頭がおかしくなってしまったのだ。
「そろそろ片付けるわ・・・キューブ、崖から突き落としてきなさい」
 ジュリナが指示を出した。無抵抗の隊員の命を奪うのはさすがに気が咎めたので、部下のキューブに処刑の役を押し付けた。

 レイチェルを立たせたとき、服がはだけて胸のペンダントが飛び出した。赤や青のキラキラする石が埋め込まれていた。フィデスはそのペンダントだけでも回収し、形見としてカッセルの城砦に届けてあげられないかと思った。

 キューブはレイチェルを引きずって崖の際まで来た。下を覗くと風が舞い上がった、地獄からの風だ。この場所から突き落とすと決めた。
 だが、そこで思い直した。崖から突き落としただけでは死ぬとは限らない。首を絞めて止めを刺し、それから谷底へ投げ捨てることにした。レイチェルを仰向けにして胸に跨った。すでにレイチェルはグッタリして動かない。殺すのは容易なことだ。
 キューブは首に手を掛けた。
「楽にしてあげる」
 首を絞め上げた・・・
「うっ」
 キューブの左手に激痛が走った。最後の抵抗をしようというのか、レイチェルが腕を掴んできたのだ。
「ギャッ」
 激痛が走った。爪が皮膚に食い込んでいる。
 それは人間の指の先とは思えなかった。黒光りした尖った爪がキューブの腕を掴んでいるではないか。指先だけではない、レイチェルの手首や腕が不気味に黒く輝いている。人の肌とは思えない金属質に変化していたのだ。
「あひ、あ、ギャアア」
 皮膚が裂け左手が血に染まり、骨がミシミシと音を立てた。しかし、ガッチリと掴まれているので身動きがとれない。
 肉が切れて血が吹き出した。

「グフフ」
 レイチェルが笑った。
 変身するには人間の血が欠かせない。目の前に格好の餌があった。
 この女の血を吸い尽くす・・・
「ふふっ、あなたの血が飲みたい」

 ズズッ
 その時・・・夜の闇を纏って、さらに黒い影が湧き出てきた。
 崖の下から地下世界のニーベルが出現したのだ。

 ニーベルの情念を込めた波動がレイチェルに襲いかかった。
 黒づくめの騎士ニーベルの発する圧力を受けて、レイチェルの身体の変化のスピードが速さを増した。
 腕が、肩が、そして背中が黒い金属質に変っていく。自分の身体であるのに、レイチェルにも変身を止められなくなっていた。

 バサバサッ
 背中を覆うように翼が広がった。
 いまや変身は首筋から顔にまで及ぼうとしている。
 身体だけではない・・・心までもが黒く染まっていくのだった。
 変身には大量のエネルギーが必要だ。
 目の前には獲物がいる。レイチェルはキューブの首筋に齧りつき、鋭い牙を食い込ませた。
 
「ついに変身したな、レイチェル・・・」
 レイチェルにエネルギーを使わせて変身させ、その体力を奪ってこの世から葬り去る。それが地下世界の末裔ニーベルに与えられた使命だった。
 だがしかし、レイチェルは捕らえた人間の血を吸ってニーベルよりも大きく変身している。
 そして、恐ろしく醜い・・・
「ううむ」
 レイチェルが発する衝撃波がニーベルを襲った。
 ニーベルは身体が痺れ、思わず後ろへ下がった。

 バサバサッ
 レイチェルが、いや、怪物が飛び上がり漆黒の闇に消えた・・・

 

<作者より>

 ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

 第一巻はあと四回、この先、展開が早くなります。