雪浦だより

藤田祐幸追悼 エントロピー学会 えす

 

 父、藤田祐幸の死後一か月半がすぎ、法要も終わり、少しずつ日常を取り戻しています。

たくさんの方から、お便りやお電話をいただいたり、はるばる遠くから訪ねてきていただいたり・・・。皆様の熱い想いに感謝でいっぱいです。

また、いろいろな分野の会報誌や書物にも、父の追悼文を書いていただいています。

エントロピー学会のえすに、追悼文をいただきました。ご紹介させていただきます。ありがとうございました。

コメント一覧

山田千晶
ありがとうございました
菅野さま
あたたかいメッセージをありがとうございました。こんなに思っていただいて、大変うれしいです。「ねえ、見て~」と、父に見せてあげたいです。苦笑いしながら読んでいる父の顔まで浮かんできました。いろいろ長年にわたり、ありがとうございました。どうぞ、いつまでもお元気でご活躍くださいませ。
菅野芳秀
ありがとうございました。
何でも相談できる兄のような方でした。
私たちは田中さんの追悼文にもありましたが、山形県長井市でレインボープランという生ごみを活用した循環の地域づくりを20年に渡って進めています。
その建設期において、藤田さんには3度に渡っておいでいただき、長井市民にお話しいただきました。私たちが今も変わらずに情熱をもってこの事業にかかわることができる背景には、藤田さんからご教示いただき、事業への確信をいただいたエントロピーの世界があります。中学生にも充分にわかるほどに(実際、私の娘は中学生でしたが、完全に理解していました)かみ砕かれたそのお話は、面白く、かつドキドキするような未知の世界に私たちを案内してくれました。会場に集まった200人近い市民は先生のお話に引き付けられ、一言も聞き漏らすまいとしていました。会場には最後まで一切の私語はなく、先生の声だけが響いていました。すばらしい講演会でした。
以来、私は循環型社会を建設する上での様々な課題を藤田さんに相談していました。私をそう動かしたのは藤田さんが単なる学者でないと知ったからです。実際、我々のところにはたくさんの学者が来ましたが、そのほとんどすべてが我々から論文執筆上の資料を引き出すために来ていて、我々の抱える課題にともに立ち向かおうとする人は全くいませんでした。日本の学者のこころざしの低さに辟易するほどでしたが、藤田さんは違いました。知識の面でも、運動形成上の面でも我々の質問に本気で付き合ってくれました。学者としてという前に、人間としての生きる姿勢が違いました。その蓄積が生み出した知識、体験、説得力が違いました。人間的迫力が違いました。
このような学者がまだ日本におられたのだ。この事実は感動でした。救われる思いでした。すっかり、藤田さんのファンになり、その後何度か藤田さんの本だらけの研究室にもお伺いするようになりました。
藤田さんが大学を辞められるとき、藤田さんは私に法学部の学生の前で話をする機会を与えてくれました。いのちと土と循環と・・、長井市の実例を通して得た経験と百姓としての体験を交えて話をしました。藤田さんは一番後ろの席で黙って聞いておられましたが、後でビールをごちそうになりながら「2~3か所は違うな」と指摘され、ご自分の意見を述べられました。ここが藤田さんの藤田さんたる所以です。そこからの楽しい時間が今の私の貴重な財産となっています。
三浦半島から長崎に引っ越されてから、お会いする機会もなくなりましたが、「晴耕雨読を地で言っているよ。」と話されていました。
「ガンなんだよ」とのことでしたが、こんなに早く逝ってしまわれるとは思いませんでした。先生には感謝しかありません。今は心からご冥福をお祈りいたします。藤田さん、先生、ありがとうございました。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「地人舎」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2023年
2022年
人気記事