雪浦ウィーク「凧道楽」は「地人舎」へと生まれ変わりました。
長らく「凧道楽」として伝統凧などの展示をしてきましたが、原発事故が現実のものとなり、しかもこの国は原発再稼働への道を進もうとしています。もはや道楽に興じている場合ではなくなりました。そこで、今年から「凧道楽」を「地人舎」と改めることにいたしました。
地人とは、私が崇敬する宮沢賢治の「羅須地人協会」から拝借してきた言葉です。晩年の宮沢賢治が農村の青年を集めて作った農民学校がありました。そこで使われたテキストが「農民芸術論概要綱要」でした。それはこんな言葉ではじまります。
おれたちはみな農民である ずゐぶん忙がしく仕事もつらい
もっと明るく生き生きと生活をする道を見付けたい
われらの古い師父たちの中にはさういふ人も応々あった
近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致に於て論じたい
世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人から集団社会宇宙と次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たな時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある
正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに応じて行くことである
われらは世界のまことの幸福を索ねよう 求道すでに道である
地人舎の目指すべき事柄のすべてが、この短い言葉の中にすべて言い尽くされているように思います。人類は、あの「最後の」世界大戦の渦中に、ウランの核分裂反応が放出する膨大なエネルギーに手を付けてしまいました。そのことは同時に放射能を生産することをも意味しました。エネルギーの放出は一瞬でありますが、放射能は人類史の全課程を飲み込んでしまうほどの時間が過ぎても、毒性は消えません。
近代は、科学技術が産み出すものを、言葉や宗教などの価値観を超越して、普遍的価値であると思われてきました。明治維新もこの西欧型近代合理主義思想によってもたらされました。科学や技術は新たな機械を発明し、移動や、暮らしや、商業や農業を、豊かで便利なものに変えてきたように見えます。果たして私たちは昔より豊かになったのでしょうか。幸せになったのでしょうか。
近代が産み出した最終生産物は原子力でした。広島と長崎を廃墟にした原子力は、チェルノブイリとフクシマを廃墟にしました。私たちは一度ここで立ち止まり、ここまでの道を振り返り、そして未来を見据える必要があると、私は思います。
「銀河系を自らの中に意識」するためには、まずこの地球の表面を覆う大地に立つことから始めなくてはならないと思います。賢治は「近代科学の実証と求道者たちの実験とわれらの直観の一致」において論ずることを提唱しました。そのためには先ず、都会からはなれ、大地に依拠することから始めなくてはならないと思って、この雪浦に移住しました。移住して四年目にフクシマの惨事が起こってしまいました。もっとも恐れていたことが現実になってしまいました。しかし、物質文明に過度に依存したこの社会は、この事態を直視することなく、止まることも出来ず、慣性の法則に従って、目標を見失ったまま、動き続けています。
このような時代であるからこそ、近代合理主義に過度に依拠することからはなれ、原発的なるものと決別し、大地にうごめく生き物たちとともに、この雪浦の田舎から未来への道を模索すべく、「地人舎」を名乗ることにいたしました。
雪浦ウィークでは、改まったことは何もいたしませんが、新たな田舎暮らしの道を目指す、出会いと語り合いの場として、再登場することに致しました。
原子力問題や環境問題など、自由に語り合う場を作ります。さらに、毎日午後2時から2時間ほど、希望者がある限り、日替わりの連続講演会を開催します。
5月3日14時より「福島原発事故の現実」
4日14時より「エネルギー論としての原発」、
5日14時より「持続的社会を目指して、循環型社会への道筋」
などの話を、パワーポイントを使って話したいと思います。関係する書物など多数展示いたします。自由で開放的な空間を作り出したいと願っております。(地人舎亭主・藤田祐幸)
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