益田市を代表する祭りの一つですので、このような形で参加することに恐縮しつつ大変光栄なことと思っています。しっかりとお役目を果たしたいと思います。
さて、益田市は居館三宅御土居跡の遺跡保存問題の解決を経て、現在では歴史を活かしたまちづくりを掲げ、これら貴重な歴史遺産を活用した中世文化の薫るまちを再生しようとしてきました。
中世の城下町益田地区には、県指定の七尾城跡と三宅御土居跡をはじめ、雪舟作と伝えられる国指定の医光寺、万福寺の両庭園、南北朝期に創設された重要文化財万福寺本堂、天正11年(1583)に再建された重要文化財染羽天石勝神社本殿、かつての七尾城大手門といわれる県指定医光寺総門、他に誇れる文化財の宝庫です。
益田市としては平成6年の「歴史を活かしたまちづくり計画」の策定から、現在まで、多くの事業予算をかけ、このまちづくりに取り組んできました。
しかし、こうしたハード整備が進む反面、ソフト面での盛り上がりに欠けている点で、再度計画を作り直す必要があります。
今年の5月に埼玉県の川越市に会派で視察に行きました(報告書)が、益田市においても“歴史を活かしたまちづくり”のもと観光入込客数を増加させる要素はたくさんあると感じました。
“歴史を活かしたまちづくり”が“歴史を活かした観光地づくり”につながっていくようなソフト戦略を整備が必要です。
この歴史をいかしたまちづくりの推進については、会派として政策提案をしていくこととしているところです。
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