友人の陶芸家・山本幸一さんが亡くなって2ヶ月くらいになる。みんな山幸(ヤマコー)さんと呼んでいた。金峰山の中腹に窯があり、石段を上っていくと大抵仕事をしているか、犬の散歩に行っていた。
里芋の季節には、近くの農家が持ってきた袋詰めの里芋が玄関横にこづんであった。売るためである。これが抜群に美味しくて、そろそろという頃には予約していた。
昨年の6月ごろだったか、「ガンになったっタイ。それもすい臓だもんね」と言う。びっくりした。72歳。まだまだこれからというときに、神様もひどいことをするもんである。
それからちょくちょく顔を出したが、昨年の終わりごろには「もう半分しか力が残っとらん」と言っていた。明けて3月、顔を見に行くと、「これで3つぐい呑みができるけん、作ってみらんね」と一握りの土の塊をくれた。何とか形にして持っていくと、「ほう、立ち上がっとるタイ! さすがねー」とほめてくれた。最後の窯焼きの、私への何よりのプレゼントだった。
ヤマコーさんの焼き物を一言で言えば「カッコイイ」である。わざとらしいところが1つもなく、自然と出て来る品の良さ。シャープなのに温かみがあった。我が家の食器やオブジェの半分以上はヤマコーさんのものだ。
数日前、オブジェの遺作展を見に行った。もういないんだなと思うと、胸のあたりに穴が空いたような気がした。自分も死ぬときは、あんなふうに死ねたらいいなと思った。