あれっ、今フラ語の時間だっけ?
あれっ、今日小テストだっけ?
あれっ?
あれっ??
あれっ???
もうしょうがない。
ご飯がおいしくて味わっていたら
いつの間にか13:00を回っていた。
一回山本裕子です。
最近よく思うこと。
ご飯の時間が短いこと。
ここ最近何かと時間に追われてご飯を掻き込んでいることが多い気がします。
まあ、もともと食べるのが遅い(スプーン・お箸を口に運ぶのが遅い)ので
私は急いでいるつもりでも、急いでいるように見えないと言われますけど。
ご飯を味わうことは大切だと思います。
なんせ、ご飯に集中し味わって食べると
第六感が鋭くなるそうです。(本当かなぁ?)
第六感、つまり直感です。
直感が鋭くなれば、いろいろとためになりますよね。
だからというわけではないですけど
ご飯くらいゆっくりしたいと思うんです。
エッセン部屋でボート部のみんなと話をしたりするのも
とってもいいリフレッシュになります。
ここ数日は、艇整備や大掃除などがあり休息の時間もあまり取れませんでした。
時間は作り出すものなので、
休息の時間を生めなかったのは私のせいかもしれません。
幸恵さんなんて、朝起きた時にはその日の行動スケジュールが頭の中にあるそうです!!
素晴らしいですね。
わたしなんて、無計画にのんびり行動してるから時間も作り出せないんでしょうね。
幸恵さんを見習いましょう。
というわけで、とりあえず前日にある程度
その日のスケジュールを考えて寝ようと思います。
そうすれば、時間を作り出せるかな?
日々の生活にメリハリを!
今は(まさかの)故障中でボートに乗れていませんが、
練習は決められた時間内で全力を出す。
それができれば休息の時間が生まれ
自然とメリハリはできるでしょう。
練習に臨むための準備をすることも考えると
やっぱり一日のスケジュールを立てることは大切ですね。
あぁでも、行き当たりばったりで生きたい。
こんな葛藤を抱えつつ、とりあえず来週一週間頑張ります。
それにしても今日はいい天気ですね。
すがすがしいですね。
さっき飛行船が飛んでましたね。
下宿の窓から見えました。
見ましたか?
私の夢の一つに飛行船に乗るというのがあります。
乗る方法を知っているなら教えてください。
飛行船を見れたのも、学校に行かず下宿にいたからかな?
やっぱり学校に行かなくてよかった。
(今から行きます。)
あれっ、今日小テストだっけ?
あれっ?
あれっ??
あれっ???
もうしょうがない。
ご飯がおいしくて味わっていたら
いつの間にか13:00を回っていた。
一回山本裕子です。
最近よく思うこと。
ご飯の時間が短いこと。
ここ最近何かと時間に追われてご飯を掻き込んでいることが多い気がします。
まあ、もともと食べるのが遅い(スプーン・お箸を口に運ぶのが遅い)ので
私は急いでいるつもりでも、急いでいるように見えないと言われますけど。
ご飯を味わうことは大切だと思います。
なんせ、ご飯に集中し味わって食べると
第六感が鋭くなるそうです。(本当かなぁ?)
第六感、つまり直感です。
直感が鋭くなれば、いろいろとためになりますよね。
だからというわけではないですけど
ご飯くらいゆっくりしたいと思うんです。
エッセン部屋でボート部のみんなと話をしたりするのも
とってもいいリフレッシュになります。
ここ数日は、艇整備や大掃除などがあり休息の時間もあまり取れませんでした。
時間は作り出すものなので、
休息の時間を生めなかったのは私のせいかもしれません。
幸恵さんなんて、朝起きた時にはその日の行動スケジュールが頭の中にあるそうです!!
素晴らしいですね。
わたしなんて、無計画にのんびり行動してるから時間も作り出せないんでしょうね。
幸恵さんを見習いましょう。
というわけで、とりあえず前日にある程度
その日のスケジュールを考えて寝ようと思います。
そうすれば、時間を作り出せるかな?
日々の生活にメリハリを!
今は(まさかの)故障中でボートに乗れていませんが、
練習は決められた時間内で全力を出す。
それができれば休息の時間が生まれ
自然とメリハリはできるでしょう。
練習に臨むための準備をすることも考えると
やっぱり一日のスケジュールを立てることは大切ですね。
あぁでも、行き当たりばったりで生きたい。
こんな葛藤を抱えつつ、とりあえず来週一週間頑張ります。
それにしても今日はいい天気ですね。
すがすがしいですね。
さっき飛行船が飛んでましたね。
下宿の窓から見えました。
見ましたか?
私の夢の一つに飛行船に乗るというのがあります。
乗る方法を知っているなら教えてください。
飛行船を見れたのも、学校に行かず下宿にいたからかな?
やっぱり学校に行かなくてよかった。
(今から行きます。)
五感の内の二つ「視覚」と「聴覚」は、ちょっと前までは「マルチメディア」などと呼ばれ、デジタル時代の華形だった。映像と音声の伝達手段が革命的に進化したわけだ。
残る三つ「嗅覚」「触覚」「味覚」は通信革命の時代に取り残されているような感じがする。しかし、そのことが重要なのだ。
視覚と聴覚は外からの情報に影響されやすいのに対して、嗅覚、触覚、味覚は自分独自の感覚だ。
たとえば、生ハムとメロンという「高級」なものの組み合わせ。「高級」というのは、手間がかかっているとか、値段が高いとか、稀少であるなどといった視覚と聴覚が得た情報に基づく価値判断である。しかし、これら高級なもの同士を一緒に口にした瞬間に「まずい」と断ずるのは、嗅覚、触覚、味覚である。
人は知識を蓄えて反映を築いた生物である。そのため、しばしば知識偏重の落とし穴にもはまってしまう。「生ハムメロン」や、自分の感覚よりも賞味期限の表示を信じるようなことが典型例だろう。他人の評判などを気にし過ぎて精神を病んでしまった人の、心の療養には、暗い所で美味しい物を食べると良いという。つまり、目と耳を休ませ、原始的な感覚に従うのである。それは、社会の座標の中に自分を置くのではなく、自分を原点とした座標で社会を判断するということであり、もっと簡単に言えば「自分を信じる」ことだ。
「臭う」というのは原始的で、動物的で最も不恰好な仕草とされがちだが、危機を回避し、生命体を維持する上では最も重要な感覚だと思う。知識などは時間とともに忘れてしまうが、幼少期に覚えた臭いは記憶の底に染み込んでいる。
というわけで、今、瀬田川で寒さに震え、エッセンを頬張っているのは、書物などの視覚・聴覚による情報に頼ってきた生活習慣からの脱却作業と言えるだろう。
重要なことです。
今日もエッセンを頬張ってきました。
食事を味わうことで自分の感覚を研ぎ澄ますことができ、それが自信につながるのならば、
もう少し食事に集中してみようと思います。
臭いをかぐのも、できる範囲でやってみます!