草薙さゆり 公式BLOG

シンガー草薙さゆりの気まぐれBLOG

更新しなすぎた特集その3 【真剣編】

2015年12月31日 | 音楽
さて【ライブ編】で、書ききれなかったものを、ここに。書きながら泣いてしまうので、小分けに書き始め3日経ちました(笑)これが年内最後のブログかな(o^^o)





さぁ、1つ前の記事で、
書ききれないと書いたやつの話の続きです。




兄が生きていれば、41歳。
私と14も離れていた、兄。
以下は『たい君』と呼びます(^-^)

たい君がなくなったのは
平成10年10月10日でした。

母にとってもですが、
私にとっても、大きな存在です。

何度か、ブログにも書いてきたかと思いますが、改めて。

たい君は生まれた時から
脳性麻痺の重度の心身障害者でした。
寝たきりで、喋ることも、トイレも、食事も、全て自分では出来ませんでした。


たい君と過ごしたのは
たった10年。


24歳で肺炎を拗らせ、大きな手術も、身体への負担がかかりすぎるので出来ないまま、、身体中に管を通し、生きれる時間を精一杯に生きて、亡くなりました。



前記事でも書きましたが、
12月前半に、某重症心身障害者施設のクリスマス会で歌いました!

イベント仲間のオーガナイザーが働いている繋がりでした。


何だか、昔の記憶が止めどなく蘇り、涙が溢れてくるのを抑えるので必死でした。悲しいとか辛いのではなく、そこには、私も気づいていなかった感情がありました。


小さい時、たい君が行ってた養護学校のクリスマス会で歌ったことがあります。今も写真が残ってるんだけど、20年経って、また施設で歌う日が来るなんて、

なんだか感慨深いです。




久しぶりに、その場に触れ、
そこを利用する方々の親御さんを見て、母を思い出しました。

実は、たい君の話をすると、色々とやるせなさや寂しさを感じてしまうから、母には、歌いに行くことを言わずに、家を出たんです。


でも、会場についたら、なんだか、
『帰ってきたんだなぁ私』
みたいな気持ちになって。

母にメールしました。

たい君の仲間がいっぱいいるとこで、歌ってくる!って。


『そうか、素敵に歌ってちょ

と、明るいメールで背中を押してくれました(o^^o)





幕裏で
『やばい』
と、1人つぶやき、涙が溢れてしまいました。

即涙を拭い、
気持ちを引き締めましたが、
歌が思うように歌えませんでした。


最後の曲で曲紹介をするときに、たい君の話をしました。



きっと、
明るく楽しく順風満帆にも見える
私が、みなさんと同じ状況を体験し、
失っていたのは驚いたことと思います。


会場が静まりました。
決して、私はシーンとなって欲しかったわけではありませんでしたが、皆さんの視線と息遣いが伝わるようでした。

たい君が、、、
この場をくれたんだなと思いました。




私は、
今日ここで歌うことができて、とても幸せだ。と、思いました。

そこにいる、皆さんの声にならない、声にしてない気持ちが、分かるから。


たい君をみてきたから、
たい君を介護し続ける母を見て来たから。


言葉には表せないくらい、

辛いことも、幸せなことも
沢山あって、悲しみも、喜びも
大きすぎて。



私は、
初めて気付きました。


心のどこかで

『私のたちの何が分かるの?』

と思っていた自分に。




昔、『障害者を可哀想と思ってはいけないんだよ。障害者も私たちもみんな同じ人間なんだから』と、授業で話した先生がいました。


私は、すごく腹が立ちました。


それが差別だって。


授業中に、キレました(笑)



血を吐きながらも、
辛いと叫べずに、体に床ずれができても、痛いと言えずに、

病院に運ばれる姿を見て、
何度、可哀想だと思ったか。


障害者というものを
ひとくくりにすること自体が間違っていると、ずっと思ってました。


『知らない奴が
知った口聞きやがって』


って、ブラックさゆりマンは
切れてました(笑)



でも、クリスマス会で歌った時


『そうか、私は知っているんだ』


って思いました。


だからこそ
『前向きに『生きる』素晴らしさを歌にできるのは、私なんだ』
と、思いました。


知らない人が知る必要はないし、
知らない人が間違った知識や、
間違った解釈をすることは
悪いことじゃなかった

って、今は思います。


自分が歌を歌い続けられる限り、
たい君はつねに力を貸してくれるし、
場所をあたえてくるだろうし、


だから、私は、
自分が人に何かを教えるために話すんではなく、自分が、たい君との思い出を言葉にするだけで、十分なんだって思いました。



そして!
最後はしっかりと無事
熱唱できました。*\(^o^)/*


即興でできたDream Ideal。

歌詞の一部に
『あなたを幸せに出来ることができたなら きっと私はどこまでも飛んで行ける』
って歌詞があるんだけど、

あなた
は、私の中で誰かは分かってなくて、
不意に出た言葉だったけど、


私がもし、魔法使いみたいに何でもできるパワーを持っていて
治らない病気が治せたり、
相手の心の傷を癒せたり、
声にならない声が聴こえたり
全てを変えることができたら、
どれだけ、幸せだろう。


という心理が働いていたかもしれません。同時に、自分の無力さを感じて生きてきたんだと思います。

時を経て
この、クリスマス会で歌えたことで

私の音楽の神様は、

たい君

かもな。
って、感じました。





全てが終わり、


病院をでで母と電話をしました。

さゆりが歌ったのはどこの病院?
と、聞かれ答えると



なんと、たい君が何度かお世話になった病院だったことが判明しました。


巡り巡って


今がある。


ご縁とよく言いますが、
奇跡も、巡り合わせも
全ては、準備万端で、

自分自身が人生を
正直に生きていけば、
かならず、待っていてくれるんだなと
思いました。




やっぱ
一生歌っていこう。



改めて心に誓いました。






最後に。
2015年は、本当にいろんなことがあったけど、いい意味で、全部どーでもよくって(笑)

今年も元気に歌を歌えたことだけが、
私の最大の喜びです。


愛する仲間たち、
天の導きに感謝。


2016年も、宜しくお願いします(o^^o)