2011年夏に契約満了でミランを退団し、フリーでユベントスに移籍した元イタリア代表MFのピルロが「ユーベに加入する前、実はローマ入りが間近に迫っていたんだ。実際にコンタクトもあったんだよ。」と、当時ローマへ移籍する可能性があったことを明かしました。
ピルロがローマに移籍していたら、ユーベの復権と今日までの栄光はなかったと思います。
また、当時ユーベの指揮を執っていたインテルのコンテ監督のその後のキャリアにも影響があったと思います。
2011-2012シーズンのイタリア・セリエAでユーベが2002-2003シーズン以来となるスクデットを獲得できた要因の一つは、コンテ監督がシエナで培った4-2-4から4-3-3-へシフトしたことだと思いますし、それを可能にしたのが4-3-3の中盤の底でレジスタを務めたピルロの存在があったからだと思います。
その一方で、ローマ入りしていた場合、ローマがスクデットを獲れていたかというと、獲れなかったと思います。
当時ローマのバンディエラだった元イタリア代表FWトッティとピルロは、ポジションは違えど役割や影響力が一緒というか、ミランでの元ポルトガル代表MFルイ・コスタや元ブラジル代表MFカカと同じ関係性は築けなかったと思います。
アズーリでは2006年W杯で優勝していますが、当時のアズーリはローマと違ってトッティのチームではなかったと思いますし、トッティよりもピルロの存在が大きかったと思いますし、それ以上に元イタリア代表DFカンナヴァーロのチームだったと思いますし。
同じことは元イタリア代表FWデル・ピエロとの間でも当てはまると思っていて、2002-2003シーズンのユーベはデル・ピエロがバンディエラのチームから元イタリア代表MFマルキージオがバンディエラのチーム、バンディエラのマルキージオ以上にレジスタのピルロの重要性が高いチームへとシフトしたことも当時のスクデット獲得の要因の一つだったと思います。
実際2011-2012シーズンを最後にデル・ピエロはユーベを退団した訳ですし。
一方、仮にピルロがローマ入りしたとしても、当時のローマがユーベ、と同じようにトッティのチームからピルロのチームへとシフトできなかったと思いますし。
それがピルロが当時ローマ入りしていたとしても、ローマがスクデットが獲れなかったと思う理由です。