アナハイム・エレクトロニクス社(以下AE)で開発された百式は同機の開発主査を務めたM・ナガノ博士の「百年先も戦えるMS」のコンセプトに基づいて百式と名付けられたと言われているが、これを額面通り受け取ったとして、果たして百年後も第一線で戦えたのだろうか?
結論から先に言うと、第一次ネオ・ジオン抗争時の最終局面でガンダムチームの百式は同機が配備されていたネェル・アーガマに温存されるも終戦後に地球連邦軍によって隠匿されると、その後表舞台に姿を表すことはなかったために残念ながら百年後のMSと渡り歩いた記録は残っていない。
では、百年後のMSと比較した場合、百式は第一線で戦えたのだろうか?
その前に百式というMSについて、改めて振り返っておきたい。
そもそも百式は連邦軍が開発に成功し、敵対するティターンズへの配備も進められていた可変MA(以下TMA)に対抗するには可変MS(以下TMS)の配備が必要と考えるエゥーゴの要請でAEが当初TMSのデルタガンダムとして設計・開発された機体であった。しかしながら、TMSとしてはフレームの強度が不足しており、デルタガンダムから非TMSの百式として再設計されたMSである。
前述したナガノ博士の「百年先も戦えるMS」のコンセプトがどの時点で盛り込まれたのかは不明であるが、百式の特徴としてまず挙げられることが、ビーム兵器が標準携行装備となって直撃されると一撃で撃破される状況が顕著化した一年戦争後のMS戦を踏まえて射撃に対してMSの装甲による防御から機動性と運動性の向上による回避に重きが置かれて設計・開発されていることである。
具体的にはムーバブルフレームが剥き出しになるまで装甲面積を減らすことによって軽量化が図られており、これは百式がTMSとして開発された名残りとも言えるウイングバインダーとグリプス戦役で同機のパイロットを務めたエゥーゴのクワトロ・バジーナ大尉の技量及びそれに応じたピーキーな設定と相まって高い機動性を発揮したと言われている。
その次に挙げられるのは、これまでのMSよりも少ない装甲を守るために施されたビームコーティングである。軽量化による機動性の向上の観点より、所謂ガンダムタイプのMSとしてはシールドの実装も見送られた百式であったが、百式の機体色の源にもなったとも言われるこのビームコーティングによって同時期のMSよりも高い堅牢性を発揮したと言われている。
これらの特徴によって百式は非TMSでありながらグリプス戦役ではティターンズのTMAやTMSはもちろん一年戦争時よりも機体の追従性やオールレンジ攻撃の精度や量が向上したニュータイプ専用機と互角に渡り合っている。
続く第一次ネオ・ジオン抗争ではデチューンされた2号機がエゥーゴのアーガマに再配備されたが、ジェネレーター直結式のビーム兵器を複数実装もしくはジェネレーター直結式のビーム兵器に加えて携行式のビーム兵器も併用することでグリプス戦役時のエゥーゴやティターンズの主力MSよりも高い火力を誇ったネオ・ジオンのMSとも互角に渡り合っている。
また、第一次ネオ・ジオン抗争時には改良型となるMSR-100S 百式改とその量産仕様となるMSR-00100S 量産型百式改、強化型のFA-100S フルアーマー百式改に陸戦仕様のMSK-100S 陸戦型百式改とバリエーション機も開発・実戦投入されている(もっとも百式に比べるとこれらバリエーション機らはいずれも戦果を残したとはいえず、第一次ネオ・ジオン抗争後に隠匿された百式同様その姿を消すこととなるのだが、、、)。
そして、百式にはグリプス戦役への投入時に後のMSに影響を与えた装備が二つ実装されている。
一つは、主に対戦艦時に用いられた大火力のメガ・バズーカ・ランチャーである。グリプス戦役の最終局面でアクシズのAMX-003 ガザCの大部隊を一撃で撃墜したと言われるメガ・バズーカ・ランチャーはAEが開発したエゥーゴのMSZ-006 Zガンダムに実装されたハイパー・メガ・ランチャーを経て、同じくAEが開発したエゥーゴのMSZ-010 ZZガンダムのハイ・メガ・キャノンへと発展する(これはサイコミュと並んで第四世代MSの必須条件となるジェネレーター直結型のメガ粒子砲であり、ZZガンダムの開発成功によってAE及びエゥーゴは第四世代MSの運用でネオ・ジオンを先んじることになったと言える)。
もう一つは、前述したウイングバインダーである。これはZガンダムにこそ採用されなかったが、MSZ-006A1 ZプラスA1型や百式の完成形とも言えるMSN-001A1 デルタプラスらその後のAE製のTMSにはほぼ採用されることになる。
このウイングバインダーはネオ・ジオンのAMX-107 バウにも採用されており(ウイングバインダーとその意匠より、バウの開発はAE、そしてナガノ博士が手掛けたと筆者は推察する。それについてはまた別の機会にレポートしたい)、Zガンダム以降の第三世代MSには必要不可欠な装備であったことが伺えられる。
これらの事実より、百式は第二世代MSの最高傑作機に相応しい戦果を挙げただけではなく、第三世代MSや第四世代MSの試金石となったMSでもあったと言えるだろう。
もっともこれら第三世代MSや第四世代MS、特に第四世代MSは一部のエースパイロット機、すなわちニュータイプ専用機を除くと百式同様姿を姿を消すこととなる。
また、第四世代MSへの発展を遂げる中で、特に第一次ネオ・ジオン抗争時は前述した通り複数のビーム砲を実装することで高い火力を保持することがMSのスタンダードであったが(従来接近戦用の装備であったビーム・サーベルもジェネレーターと直結され、メガ粒子砲として併用可能なタイプもこの時期に実装されている)、これらも従来の兵装であるビーム・ライフルとビーム・サーベルとオプション兵装としての実体弾の3点セットへと回帰することとなる。
結果、第一次ネオ・ジオン抗争以降はグリプス戦役時の第二世代MSが主力として定着、地球連邦軍の主力量産機に第二世代MSのRGM-89 ジェガンが採用される訳だが、グリプス戦役時のエゥーゴの主力量産機であったMSN−003 ネモの後継機としてAEが開発したジェガンこそが百式の量産型と位置付けらるのではないだろうか。
もっともジェガンには百式のメガ・バズーカ・ランチャーは流用されていないし、ウイングバインダーも採用されておらず、むしろそのバックパックはネモのバックパックをベースに百式と共に二度の紛争を戦い抜いたRX-178 ガンダムMk-Ⅱの影響が伺える。
しかし、これまでのMSよりも装甲が減らされているジェガンの設計思想は、徹底的な軽量化が図られた百式の設計思想の影響下にあると言えるのではないだろうか。
そのヴァースキ大尉を以て、ジェガンのパーツでアップデートされたジム・ナイトシーカーの機動力を悪くないと評しており、これはジェガンの機動力の高さを物語っているとも言えるだろう。
そして、MSのスタンダードは第2世代MSからビーム砲撃を防ぎ、小型化することで被弾面積も下げた第2期MSへ移っていくことになり、同時にMS開発のトップの座もサナリィやブッホ・エアロダイナミクス社へと明け渡すことになる。
だが、MS開発トップの座は奪われてた後もAEから連邦軍へのMS供給は維持されており、それは百式の開発によってAEがU.C.を代表する軍産業複合体へと発展したことが要因と言えるのではないだろうか。