桜のつぼみが膨らみ始めた三月の終わり、陽介と美咲は静かな公園のベンチに座っていた。卒業式を終えたばかりの彼らは、互いの未来を考えながらも、その時が訪れることを恐れていた。
「春になったら、東京に行くんだね。」
美咲がぽつりと言った。
陽介は軽くうなずき、目の前に広がる川の流れに視線を落とした。彼は東京の大学に進学することが決まっており、夢であるエンジニアになる道を歩み始めるところだった。一方、美咲は地元に残り、家業の花屋を手伝いながら専門学校に通う予定だった。
「応援してるよ、陽介。夢に向かって頑張って。」
美咲は無理に微笑みながら言葉を続けた。しかし、その声には少しの震えが混じっていた。
「ありがとう、美咲。でも正直、不安なんだ。」
陽介は思い切って自分の気持ちを口にした。
「君と離れるのがこんなに怖いなんて思わなかった。」
それを聞いた美咲の目に涙が浮かんだ。彼女も同じだった。二人は高校の入学式で初めて出会い、それ以来ずっと一緒だった。部活の帰り道や文化祭の準備、夜遅くまで一緒に勉強した日々。どんなに忙しくても、どんなに辛い日でも、彼が隣にいてくれるだけで安心できた。
「離れても、お互いに頑張ろう。」
美咲は涙をこらえながら言った。
「きっとまた会えるよ。」
陽介はその言葉にうなずきながらも、胸に込み上げる感情を抑えられなかった。何かを失うような感覚が彼を支配していた。
数日後、陽介が東京へ発つ日がやってきた。駅のホームで二人は最後の時間を過ごした。朝早い電車の時間にもかかわらず、美咲は小さな花束を持って見送りに来ていた。
「これ、持っていって。」
美咲が渡したのは、白いカスミソウと小さなピンクのバラで束ねられた花束だった。
「ありがとう、すごくきれいだ。」
陽介は花束を受け取り、彼女の目を見つめた。
「美咲、本当にありがとう。これからもずっと君のことを忘れない。」
電車が到着し、別れの時が迫った。二人はしっかりと抱きしめ合い、互いの体温を感じながら言葉を交わした。
「さようなら、陽介。」
「また会おう、美咲。」
その瞬間、電車のドアが閉まり、陽介は窓越しに手を振った。美咲も涙を流しながら手を振り返した。電車が動き出すと、彼女の姿は次第に小さくなり、やがて見えなくなった。
桜が満開になるころ、二人はそれぞれの新しい生活を始めていた。電話やメッセージで連絡を取り合いながらも、次第に忙しさに追われ、会話は減っていった。そして、いつしかそのやりとりも途絶えていった。
春風に揺れる桜の花びらは、彼らの青春の一部として心に刻まれたまま散っていった。新たな未来が二人を待っている一方で、かつての時間は静かに過去へと溶けていった。