夏の終わり、君の音」
雨上がりの午後、僕は音楽室の前で足を止めた。窓から漏れるギターとシンセサイザーの音が、不思議なメロディーを紡いでいる。その音に引き寄せられるように、そっとドアを開けると、そこには彼女がいた。
青いTシャツに黒髪がよく似合う、クラスメイトの夏目凛。いつも一人で音楽を作っている彼女の背中は、小さな音楽室の中でひときわ輝いて見えた。
「また聴きに来たの?」
振り向きもせず、凛が少しだけ口角を上げた。その声はどこかからかっているようだったが、僕は正直に頷いた。
「君の音楽、好きだから。」
そう答えると、彼女はようやくこちらを振り返った。大きなヘッドホンを首に掛けたまま、少し驚いたような表情を浮かべている。
「ふーん、本気で言ってるの?」
「本気だよ。」
僕が言い切ると、彼女は困ったように笑った。
「別にプロになれるほどの腕じゃないけどね。ただ、自分が好きでやってるだけだから。」
そう言いながら、彼女は手元のキーボードを軽く叩いた。新しい音が部屋に広がる。その音色に、僕は自然と引き込まれる。
「でもさ、いつかみんなに聞いてほしいと思わない?」
僕がそう尋ねると、彼女は一瞬黙り込んだ。窓の外から射し込む陽の光が彼女の横顔を柔らかく照らしている。
「どうだろうね。…自分でもよく分からない。」
凛はそう言って視線を窓の外に向けた。その横顔に、ほんの少し影が落ちている気がした。
「でも、僕は君の音楽をもっとたくさんの人に聴いてもらってほしいと思うよ。」
僕がそう言うと、彼女は少しだけ目を丸くした。そして、ゆっくりと微笑んだ。
「…変なやつ。でも、ありがとう。」
その笑顔を見た瞬間、胸がキュッと締め付けられるような感覚を覚えた。
しばらくの沈黙の後、彼女が突然立ち上がった。
「じゃあ、ちょっとだけ実験台になってくれる?」
「実験台?」
「新しい曲作ったんだけど、誰かに聴いてもらうのは初めてでさ。感想、聞かせてよ。」
彼女はヘッドホンを僕に渡し、キーボードを操作した。耳元から流れるメロディーは、さっきよりもずっと優しくて切ない音色だった。
「これ…君が作ったの?」
「うん。夏の空をイメージして作ったんだけど、どうかな?」
彼女の瞳が真剣に僕を見つめてくる。
「すごくいい。…本当に、夏の終わりみたいな感じがする。」
そう言うと、彼女は少しだけ頬を赤らめて目を逸らした。
「そっか、そう思ってくれるならよかった。」
そうつぶやいた彼女の声が、何よりも柔らかく心地よかった。
その日から、僕たちは放課後の音楽室で少しずつ時間を共有するようになった。彼女の音楽を聴くたびに、僕の中に何かが変わっていくのを感じていた。でも、それが何なのかは、まだうまく言葉にできなかった。
ただひとつ分かるのは、この時間がとても大切だということ。そして、その音楽が、彼女の存在そのもののように感じられることだ。
夏が終わり、秋が近づいてくる頃。彼女の音楽を通じて、僕の世界は少しずつ広がっていく。きっとこの先も、僕は彼女の音楽に寄り添いながら、その想いを胸に抱き続けるのだろう。