
今日は父の姉の家を初めて訪ねました。
叔母は88歳と高齢なので父の葬式も一周忌も来られずにいました。
母がこっちから行かない限り
逢えないかもしれないから行きたいとずーっと言っていて、でも一人じゃ行けないと言うので仕事が休みの今日、つき合うことにしたのです。
乗り気じゃなかったけど、
最寄りの駅が京急の弘明寺だと聞いて
ネットで調べると
ホームページより
横浜最古の寺弘明寺観音
今から1300年近く前、元正天皇の養老5年(721年)にインドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が渡来、それから17年を経て聖武天皇の天平9年(737年)、天下に悪病流行の際、河内和泉の国の僧行基が勅命を奉じて、天下泰平祈願のため全国を巡錫(じゅんしゃく)し、当山の浄域に草庵を作り、一刀三礼(一刀刻む毎に三度礼拝する)の至誠を尽くして彫刻祈願されたのが、現在の御本尊十一面観世音菩薩様です。
嵯峨天皇の弘仁5年(814年)には、弘法大師が回国の際、一千座の護摩を焚いて庶民の除災招福を祈願したと言われています。
そして寛徳元年(1044年)3月10日、光慧上人により瓦葺き本堂が建立されました。御本尊様の彫刻予想年代とこの本堂建立の年代がほぼ一致することから、この頃が実際の開山と思われています。
鎌倉時代には、「求明寺」と称されていたものを、観音経偈文(かんのんぎょうげもん)の中の「弘誓深如海(ぐぜいじんにょかい)」の「弘」の字をとり、「求」を改めて現在の弘明寺となりました。
別のページ
弘明寺( ぐみょうじ)
は、横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。
瑞應山蓮華院 弘明寺
(ずいおうさん れんげいん ぐみょうじ)
と号し、横浜市内最古の寺院である。
本尊の木造十一面観音立像(通称「弘明寺観音」)は、国の重要文化財。 寺名は駅名、町名などにも広く使われ、江戸期から明治22年までは一帯を弘明寺村(のちに弘明寺町)と呼んでいた
江戸時代、坂東観音三十三ヵ所の第14番札所として信仰を集め、年に2回の市が立ち、大変賑わいました。
とあり、あらら??弘法大師とは?空海様に関係するんじゃあなかろうか?
去年は随分お世話になりましたし、
ついこの前23日もスマホで去年のこの日を見てみようなどと勝手に出てきた写真が川崎大師のもので
これは、なにやらご縁?と
行く気満々になりました。
京急本線の弘明寺駅から徒歩三分
近い!魅力的

七つ石 結界? ?


三蔵法師って日本に来たんだ!?
悟空もかな?

けやき

むむ、何やらいい感じの所が



どこに空海様がいるのかわからず、何しろどこでもお礼を言いました。


帰りにはシオカラトンボ!!
久々に見ました

こっちが本当の門らしい



この日は護摩焚きもある日だったようですが

本尊の木造十一面観音立像ってのもどこにあるのか??でした。
さすがに母と一緒だと中には入って行けなかったし

このあと叔母の家に寄って、昔の話を沢山聞いて盛り上がったのですが、結局、父の父親が御神木を切った話は聞けませんでした

叔母は自分の父親に可愛がられた事はなかったけど、私の父親は末っ子で非常に可愛がられていたよと言っていました。
そんなこんなで、東京に帰りつき、母も
とっとと、田舎へ帰って行きました。
会えて良かった!もう、次はないかもしれないなんて言っていた母より、一回りも、年上の叔母の方が歩くのはしっかりしていました

今日は
自分では空海様にお礼を言えただけでも良かった日だ!としました
