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今年最後の神社巡り

2016-12-31 19:42:13 | 日記
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穏田神社の中のおいなり様↑

さて昨日の続きです

穏田神社を後にし、来るときには行列が出来ていた揚げパンやさんがガラ空きになっていたので
迷うことなくゲットしました。
ココナッツ揚げパン!おいしかったーーー
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で、旗神社も行きたかったけど、毎夜、遅くまで火の鳥を読んでいて(読破)寝坊しちゃったため出かけるのが遅くなりもう主婦は帰って夕飯こしらえないといけない時間にっ

帰り道の浅草橋!!
かつブロにすなりさんがコメントしていた神社にちょいと寄ってみようかなと

浅草橋 神社 で検索すると三つ出てきたので近いところから寄りました

銀杏岡八幡宮
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須賀神社
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スサノオ様の所だ!
ライオンさん

第六天榊神社
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ここは入ったら鳥の声がすごかったのです
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本殿が鳥居で出来ているような?
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ここが都内最古かな?違うかな?
名前はそれっぽいけど
よく解りませぬ
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私が神社に行ったところでなにもわからないけど、
大自然の中は素晴らしく気分が晴れるので、まーいーかー
清正の井戸の近くの森
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二つの何かが走り抜けた明治神宮の森
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これは明治神宮の松の木
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下から見上げた

やはり怖いわー

因みにこの写真は23日に撮った夕日です。
あまりにも綺麗だったので孫と二人で沈むまでぼけーっと眺めていました。

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そんなこんなで色々あった年だけど、皆様お世話になりました。
良いお年をお迎えください

明治神宮と穏田神社

2016-12-30 23:38:39 | 日記
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昨日はダンスもなく、テレビをつけたまま大掃除をしていました。
すると、寅さんのさくらが出ていたので見てみたら
渥美清特集をしていて、柴又帝釈天が出ていたので、掃除はそっちのけに

するとなんと渥美清さんは原宿の穏田キャットストリートに住んでいたというのです。
穏田といえば最近かつブロにも穏田神社が出てきてたし、親戚の奥さんの実家でもあるので、こりゃーもー行ってみるしかないな~と、本日出かけてまいりましたとさ!

原宿で降りたのでまずは駅前の明治神宮へ行きました。
森の中が気持ち良かったですが、割と混んでいました。
外国人が多いのに驚きました
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もうこんな看板
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清正の井戸も並んでいました。

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案内のおじさんがいて、解説してくれていました。
清正は愛知の出身で名古屋城も建てたし熊本城も建てた
井戸を掘るのが得意で熊本城が地震で壊れたって井戸は健在だったなどと、

イサクさんの魂だろか?

この井戸は渋谷川の源流であり、春の小川の歌にもなっているなどなど、そーいえばブラタモリでも言っていたなー

さわってみると水は温かかったです。
なんで清正?と思って調べました。

----ウィキ先生----
22万坪(約73ヘクタールに及ぶ広大な神域は、江戸時代初めには肥後藩藩主・加藤家の別邸であり、寛永17年(1640年)より彦根藩藩主・井伊家の下屋敷となっていたもので、この土地が1874年(明治7年)、井伊家から政府に買い上げられて南豊島御料地となっていた[2]。明治天皇は「うつせみの代々木の里はしづかにて都のほかのここちこそすれ」と詠んだ。
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なそーな

本当に東京かな?と思うほど静かな所でした。
しばしのんびり

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いよいよ穏田に向かいます



キャットストリートも渋谷川に蓋をした通りなので、川沿いを歩いているっつーことですな
渋谷駅も大規模工事をしてますが、駅の真下を流れる渋谷川の流れをちょいと変更したけど、温存し
川の下に地下街を造っているらしいです。
守られていますね。


こちらが穏田神社
輪をくぐる時に唱える文がおぼえきれず^^;
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狛犬さんは確かに可愛い
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こんなポスターが
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ポール・クローデル
フランスの作家、詩人、外交官

「あれ程興味ある太古からの文明は消滅させてはならない。日本は驚くべき発展をしたが、それは当然で、他のいかなる国民にもこれ程の資格は無い。彼らは貧乏だ。然し、高貴だ。」
と続く。
日仏間が戦争状態であった昭和十八年、元駐日フランス大使であった彼が語った言葉。
《言霊の幸ふ国》神社新報ブックスより

なんか、感激

帝釈天に行きました

2016-12-11 00:07:53 | 日記
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9日の金曜日、
母親と柴又帝釈天に行くことになりました。
母はテレビでやっていたのを見て行きたくなったらしいです。

彫刻が素晴らしいとのことで見ることに!
中に入るのは初めてです。

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左側の松は 瑞龍松

ふむふむ流石に素晴らしいと思いました。


ーーウィキ先生よりーーーーー
帝釈堂内殿の外部は東・北・西の全面が装飾彫刻で覆われており、中でも胴羽目板の法華経説話の浮き彫り10面が著名である

大正11年(1922年)から昭和9年(1934年)にかけて、加藤寅之助ら10人の彫刻師が1面ずつ分担制作した。
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彫刻ギャラリー

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こんなに近くで彫刻が見られるとは!

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渡り廊下を渡った
裏側には大客殿と呼ばれる建物がありました。
お茶を飲めるスペースもあり庭を眺めてまったりしまた。

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日本一の南天の床柱

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ーーウィキ先生よりーーーーー
邃渓園(すいけいえん)大客殿前に広がる池泉式庭園で、昭和40年(1965年)、向島の庭師永井楽山の設計による。庭園への立ち入りは禁止されているが、周囲に設けられた屋根付きの廊下から見ることができる。
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こんな所に住みたいなー
あ、やぱ、お城がいかな

帝釈天はこの人らしいですよ!
これが板本尊というものなのかなぁ?

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母も私もへーーーこの人なんだ!とインパクト大にビックリし、

ネットで
帝釈天(たいしゃくてん)とは?
と調べたところ

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 もとは古代インド神話の英雄神・インドラです。天空を駆け抜け、「インドラの矢」と呼ばれる雷で凶暴な魔神達と戦いました。

 仏教に取り入れられると戦いの神という認識は薄くなり、慈悲深く柔和な性格に変わっています。梵天と並ぶ仏教の二大護法神
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やぱ、よくわかりませぬ が
取りあえず仏教

ヤハウェだったりしないかな?(^◇^;)
しないな^^;


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空からやってきて水を出してくれたらしいです。

で御神水

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これが寅さんの産湯なのでしょう



ぽっかり白い雲

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寅さん記念館にも行きました。
隣接する山田洋次ミュージアムから江戸川土手に出られて、矢切の渡しをしばし眺めてました。
帰りは山道に戻り
お蕎麦やさんのさくらセットを美味しくいただきましたとさ(寅セットもあります)

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めでたし めでたし


オマケ木曜日の夕日
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