気温も20度を超える予報の長野です。青空は出ていますが、時々雲が広がったりと「春らしい」と言えば春らしい天気です。桜前線は、松本まで北上してきましたので、長野に開花の便りが聞こえるのももう直ぐです。
昨日(5日)は朝から青空が広がり暖かな1日でした。
スマホが「二十四節気の”清明”だ」と教えてくれました。「万物が清らかで生き生きとした様子を表した「清浄明潔」という言葉を訳した季語 」なんだそうです。
花が咲き、蝶が舞い、空は青く澄み渡り、爽やかな風が吹くこの季節にピッタリの言葉です。「清明」=「生命」だとも思ったりしました。
そんな気持ちの良い天気に気持ちが動き、婆さんと善光寺御開帳に行って来ました。しかも、私には珍しく早朝(と言っても9時前ですが)に家を出発。
参道に到着したのが9時30分頃。まだ参拝客の姿は少ない状況です。
この時間では、仲見世も開店前のお店が多いですね。回向柱を目指し、急ぎ足で境内へ向かいます。
境内も人の姿が少ないので「ホッ」としました。回向柱前も10人ほどがいるだけでした。近くで見上げると、何となく「有難く」見えます。
今回、回向柱にはコロナウイルスを減少させる「光触媒コーティング」が施され、また、柱に触れる前後には手の消毒を行います。
婆さんも熱心に願い事をしていました。
回向柱からは「善の綱」で本堂の前立本尊と結ばれていて、柱に触れて祈ることで、直接、本尊に祈りが通ずると言うことです。
本堂に上がり、参拝客も少なかったので、内陣に入ることにしました。参拝券を購入し、直接、前立本尊のお顔を拝観し「平和、健康」を祈って来ました。
その券で、本堂の下を巡る「お戒壇巡り」もできます。久し振りに巡って来ました。真っ暗な中を進み、途中の「極楽の錠前【じょうまえ】」に触ると、この錠前は御本尊と結ばれているので、触れることで直接ご縁を結べると言われています。 無事、錠前に触れることが出来ました。
出口の階段を上がった所で「回向柱守」を授与していたので購入。構内の販売所にもあるのですが、本堂の中の方が「より御利益が有るのでは」と期待したわけです。本堂の回廊と回向柱前で、並べて記念写真!
本堂を出ると回向柱前には10メートルほどの行列が出来ていました。10時前に来たことは正解でした。
護摩堂のお不動様にもお参り。
山門横の大勧進前が賑やかでしたので、久し振りに境内へ入って見ました。
境内には、テントの販売所が設けられ、何時もの静かな雰囲気とは違っていました。コロッケの販売所もありビックリです。
大勧進には宝物館があるのですが、御開帳の期間、無料で入館できます。有難く拝見してきました。
境内には枝垂れ梅が咲いていて、賑やかさに「花」を添えていました。
仲見世通りが賑やかになって来ました。婆さんは新しいお店をチェックしながら楽しそうでが、私は興味がありませんので「早く歩いて欲しい!」と思うだけです。そんなこと恐ろしくて口には出せませんが!
小路を入って、世尊院(釈迦堂)に寄りました。ここにも回向柱が立てられています。
ここの本尊はお釈迦様、日本で唯一の等身大「銅造釈迦涅槃像」で横たわった姿をしており、国の重要文化財に指定されています。お堂に上がりお姿を拝観できますので、私達も回向柱に触れてから、お堂に上がりお参りをしてきました。
仁王門の横には「大本願」があります。境内に臨時の出張所が設けられ、その出張所に婆さんの友人が販売を担当していると言うので立ち寄りました。
こちらにもソフトクリームのお店が出ていました。婆さんは友人と談笑をした後、孫娘の為に小さな「福ダルマ」を購入していました。お堂の前には梅が咲き、モクレンも咲き始めていました。「清明」の季節を実感です。
大門の交差点の手前を西に入ると西方寺があります。ここにも回向柱があると新聞情報にありましたので立ち寄りました。
西方寺は大本願の菩提所で、江戸時代に善光寺の仮本堂が置かれたり、明治時代には最初の長野県庁としても使用されました。
ここには「ダライラマ」が開眼法要を行った、チベット仏師制作による「阿弥陀佛像」があります。そこに回向柱が立っていました。チベット式ですからカラフルです。
中央通りに出て、「ぱてぃお大門」の河津桜を見て来ました。中庭の桜は満開です。
平日ですが、中央通りも結構な人が出ていました。
新田町の交差点に「トイーゴ広場」があります。ここでは「長野銀座にぎわい市」が開かれていました。野菜などを販売しているのですが、ここでも婆さんは引っかかってしまいました。当然のことと諦めるしかありません。
ここまで来たら12時を過ぎていました。朝の9時前に家を出て3時間も善光寺界隈を散策したことになります。御開帳にかこつけてすっかり観光気分を味わってきました。
今日(5日)の歩数は、11,268歩。久し振りの一万歩超えと気温も高い中の街歩きでしたので、思いの外疲労感がありました。御仏のパワーを全身に浴びることが出来たということもあると思います。