今夏は例年に比べて夕立となることが多いように感じますが、朝から暑いことには変わりない京都です。8月の初日となった日曜日、出町柳近くの本満寺の境内を歩いていると一重咲きの白花のキョウチクトウ(夾竹桃)が花を咲かせていました。
咲いていたのはこの花序と少し離れた場所にあったもうひとつの花序だけでしたが、白い色には爽快感があり、すっきりした一重咲きとあいまって一服の清涼剤になりました。
さて、このキョウチクトウはあまり知られていないかもしれませんが広島市の「市の花」です。76年前の今日、午前8時15分。B-29「エノラ・ゲイ」が投下した1発の「リトルボーイ」の閃光が広がると爆風と熱線、放射線が街を襲い、一瞬のうちに壊滅状態となった広島。
そして「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の街でいち早く復活して花を咲かせたのが、このキョウチクトウでした。
また、国泰寺の大クスノキなど戦前は有名だったクスノキ(楠)も原爆でやられましたが、生き残ったクスノキもいち早く復活したことから、こちらが広島市の「市の木」となり、終戦から28年後の1973(昭和48)年11月3日に広島市基町の中央公園にある「花の精」前広場で広島市「市の木」「市の花」制定記念式が行われ、それぞれ制定されたそうです(広島市のホームページを参照)。
被爆3日後に、勤労奉仕に動員されていた少女たちに「地獄に電車は走らない。ここが地獄ではないことを皆に知らせるために電車を走らせてほしい」と指導教師が車掌として乗務するよう説得した逸話が残る、広島電鉄が走らせた「一番電車」と同様に、少なからず市民にとって希望と勇気の灯火となったのではないでしょうか。
さて、その「草木も生えない」と言われた75年目にあたる昨年は、想像もしなかった新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい始めました。コロナ禍と呼ばれる新型コロナウイルスとの戦いは、目には見えない相手を人類共通の敵に勃発した、まさに「第三次世界大戦」とも譬えられています。
でも、この75年で人間は何かを学び取ったのでしょうか。コロナ禍の対策を見ていても、どこか科学技術への過信と為政者による後手後手の対応で、過ちを繰り返してばかりのように思えなくもない?
ひょっとしたら、人間に本当に大切なことを気づかせ、考えさせるきっかけ(もしかして最後通牒?)が新型コロナウイルスであり、その対策においては、希望と勇気を与えてくれた植物であるキョウチクトウが同時に伝えようとしている、過去と同じ過ちを犯してはならないことを肝に銘じなければならないのではないでしょうか。
初めてコメントさせていただきます
長崎に原爆が落とされた日
真っ赤なキョウチクトウが満開だっと
大人になってかっら聞きました
今でも沿道のキョウチクトウ咲いていると思います
この花を見るたびに思い出します
白いキョウチクトウすがすがしくていいですね
キョウチクトウは広島市の「市の花」ですので広島原爆の日にあわせて紹介しましたが、長崎でもそうだったのですね。
「75年は草木も生えぬ」という言説は、アメリカのマンハッタン計画に関わったジェイコブソン博士の談話によるものだそうですが、この「75」という年数が「人の噂も七十五日」や「初物七十五日」の数字と重なり、何か因縁めいたものを感じてしまいます。