京都園芸倶楽部の元ブログ管理人の書笈

京都園芸倶楽部のブログとして2022年11月までの8年間、植物にまつわることを綴った記事を納めた書笈。

鷹ヶ峰御薬園の遺構が取り壊されるかも?

2020-07-13 06:40:36 | 歳時記・文化・芸術
江戸幕府が開設した公儀の御薬園だと一番に思い出されるのは、東京大学大学院理学系研究科附属植物園に引き継がれ、併設された小石川養生所でも有名な江戸の小石川御薬園かもしれませんが、じつは京都にも御薬園が洛北の鷹峯にあったことはご存じでしょうか?

公儀の御薬園は寛永15(1638)年に江戸の麻布と大塚の2か所に開設されたのが最初で、天和元(1681)年に護国寺建立のため大塚御薬園を麻布御薬園に集約し、貞享元(1681)年に麻布御薬園を小石川御殿内に移転したのが小石川御薬園です。この麻布御薬園と大塚御薬園の2か所に次いで寛永17(1640)年に開設されたのが鷹ヶ峰御薬園なのです。その後、幕府が開設して直轄した御薬園は享保年間までに10か所に増えました。

江戸幕府は当初、鎖国政策下において中国やポルトガル(のちにオランダ)から長崎の出島を通して入ってきた薬草木や珍しい植物を育て、当時の医療である漢方に応用できるかどうか試すための栽培と種子保存のために公儀の御薬園を開設しましたが、江戸中期になると医療が一般民衆にも普及し始め、輸入品だけでは市中の医薬品をまかなうことができず、幕府の財政も悪化してきたことから、この御薬園で積極的に薬草を栽培して商品化することで販売益を生み出し、財政再建を見込んでさらに開設していったそうです。

さて、この鷹ヶ峰御薬園については、2013年4月に発行しました当倶楽部の会報「園芸春秋」第550号でも紹介していますが、その遺構が取り壊されるかもしれないと、一昨日の土曜日7月11日付の京都新聞朝刊の記事が伝えていました。




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OGPイメージ



江戸幕府が営んだ「鷹ケ峰薬園」の井戸跡 住宅開発で取り壊しの危機 京都|文化・ライフ|地域のニュース|京都新聞


 



この京都御薬園(鷹ヶ峰御薬園)ですが、残念ながら御薬園そのものは明治時代以降に農地や宅地に転用され現存していませんが、御薬園の管理を任された御典医の藤林道寿の名字が「鷹峯藤林町」と跡地一帯の町名として残っています。戦前に京都市教育会(現在の京都市教育委員会とは別の団体で、戦前に市内の史跡に約80基の石碑を建てて顕彰した団体)が当地に建碑等によって史跡として顕彰しようとする計画があったようですが実現せず、十数年前に跡地に石碑と解説板が篤志家(非営利活動団体)によって設置されました。

これは8年ほど前に撮影したものですが、跡地にあたる場所のコンビニエンスストアの敷地内に設置された石碑と解説板です。




石碑には「徳川時代 公儀 鷹峯薬園跡」とあり、側面には寄付者の名が刻まれています。




解説板には鷹峯御薬園について、簡略でありながらもわかりやすく説明が記載され、貴重な写真も掲載されています。




そしてくだんの井戸跡はというと、これも8年前の状態ですが……




と、とても遺構とは思えないような扱いなのでした。

じつはこの御薬園で栽培されていた植物が現在も栽培されている「京野菜」に残っており、辛味大根は京都府が選定した41種類(絶滅種2種と準じる野菜3種を含む)の「京の伝統野菜」に認定され、鷹峯とうがらしは伝統野菜に準じる野菜として認定され、いまでも鷹峯が特産地です。市内中心部に比べると標高が高いので、ネギも冬になると通常より厚みのあるゼリー状の粘質物(これを「ず」と呼んでいます)が入り、とても甘みが増します。


京都であればどの地でもなにがしかの史跡や遺構があると言えますが、鷹峯は「京の七口」のひとつである長坂口にあたり、中世には「長坂口紺灰座」という商人集団が藍染の媒染剤に使用する丹波栗の木灰を取り扱って隆盛を極めました。長坂口の関所の門が黒かったことから「鷹峯黒門町」という町名が残っています。

また、安土桃山時代には豊臣秀吉が築いた御土居の北西部にあたり、御土居跡は「鷹峯旧土居町」という町名で残っています。そして、江戸時代初期には本阿弥光悦が徳川家康より鷹峯の地を拝領し、芸術村として一族の他に芸術家や職人たちと創作と風雅の芸術三昧の生活を送るとともに、光悦は法華経を厚く信仰していたことから日蓮宗の鎮所を建立し、のちに常照寺となって宗派の学問所である鷹峯檀林として学僧が学ぶところにもなりました。


それと、これはちょっと余談になりますが、花札の8月札「芒に月」のモデルとなったのも鷹峯で、集落の西にそびえる「鷹ヶ峰」「鷲ヶ峰」「天ヶ峰」を「鷹峯三山」と称します。


このように、御薬園だけでなく、さまざまな史跡や歴史的建造物が残された由緒ある場所の鷹峯で、文化財でなくても教育的価値のある遺構を保存して有効活用する方法はないものでしょうか。

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2 コメント

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Unknown (くろさん亭)
2020-07-13 15:46:50
はじめまして、いつも読み逃げしております、くろさん亭と申します。

この薬園は澤田瞳子さんの小説に描かれていている薬園ですよね。どうにか活用できないものか、と考えてしまいます。
返信する
「京都鷹ヶ峰御薬園日録」ですね (京都園芸倶楽部)
2020-07-13 16:24:11
くろさん亭様、ありがとうございます。

おっしゃるとおり、澤田瞳子さんの小説「京都鷹ヶ峰御薬園日録」の御薬園です。
本来ならこういった事態になる前に動き出していないといけなかったのでしょうが、ただ保存するだけというのも、もったいない気がします。
新聞記事にもあるように、地域の歴史・文化・教育の資源として他の旧跡や文化遺産と一体で活用されるのも方法のひとつかと思います。
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