台風12号は長く日本列島にとどまり、猛威をふるい、各地に大きな被害をもたらしました。
いまだに孤立している方々もおられ、一刻も早い救助を願うばかりです。
ここ中川も大変な風雨に見舞われました。大きな被害はなかったようですが、皮を剥いて乾燥させていたタルキの色の仕上がりが...と嘆いている人もいます。
さて台風一過とはよく言ったもので、長雨が去った後はまるでハケでさっと撫でたような秋の空!!
日中の日差しはまだまだきつく蝉の合唱も賑やかですが朝晩はグッと冷え込み、そろそろ中川の秋が足音を立ててやってきました。
今日は中川の伝統的な家屋をご紹介しましょう。
宗蓮寺に向かう途中、チラっと見えた何か...?両側に夏の草花が茂る道を行くとそこに見えたのは....
茅葺きのお家!! とても美しく整えられ、元気な生活感。近づくにつれ「家が呼吸している」のを感じます。
ここは中川で唯一の茅葺きの伝統家屋、Uさん邸。
築およそ270年というこの家は、現存する茅葺き家屋で人が生活しているという点でも極めて貴重で、大学の調査も受けています。
20年から30年に一度は葺き替えなければならないという茅葺き民家、維持も大変なのに住み続けるUさんから色々聞き出しちゃおうと思います!
これがお玄関。見えていませんが、屋根を支えるのにも北山丸太が使われています。
まず目についたものが・・・何か由緒ありそう・・・って言うか
チョットおどろおどろしい~~かも?犬神家の一族・・・!
名前は何と言うのかUさんも判らないみたいですけど、お札を入れておくもののようです。
破れた隙間からおそらく「愛宕」の文字が見えますね。
Uさん、触ったことがないとおっしゃるから、中のお札の年号を見て遡ってみると...100年くらいはそのままみたいです。
中川の伝統家屋には、それぞれの部屋に独特の呼び名があります。
入ってすぐが「シモンデ」。「下の出」から来ているそうです。そしてここは「ウッチャ」。
「うちわ」が語源であるように、家族が集う生活の中心となる部屋。。時にはお客さんを招いて真ん中に切られた囲炉裏を囲み会話がはずんでいたのが目に浮かびます。
奥には懐かしい「おくどさん」が見えますね。もう使われていませんがウッチャにどんと腰を据えている姿を見ると、長年家族の食事の要となったおくどさんへの愛着が感じられます。
ここは「ナカノマ」。昔は寝室だったようです。数えてみると4畳ですが、普通の4畳よりもかなり広くなっています。そしてこの奥にお座敷があります。
家のあちらこちらに昔のつくりが見られます。私たちは「シモンデ」でお話を伺いました。お部屋とお部屋を仕切るのに襖はありません。みな、木の引き戸です。
鉋(かんな)などない当時は「鑓鉋(やりかんな)」と言う道具で削ったそうです。斜めから見ると戸の表面がなだらかでなく、少しデコボコしているのがわかります。
外を遮るのに、雨戸はありますがガラス戸やサッシはありません。障子だけ。それでいいのです。
ここには古き良き時代の空気がそのまま流れています。
何故270年もの間、天変地異によって倒されることなく現存しているのでしょうか...それはこの萱葺きの家屋が風が吹けば風とともに漂い、地震が起これば共にゆらゆらと揺れるから、とUさんはおっしゃいます。
「ガチガチの建築ではなく、家自体が自然に身を任せている」 家は自然に身を任せ、家族はその家に身を委ねる...そんな生き方が今なお、ここ中川で息づいているのです。
心地よい風に虫の声。「涼し~~」思わず声に出すとUさん、「萱葺きの家は夏涼しくて、冬あたたかいって言うやろ?アハハ!そんな事あらへん、隙間だらけで冬は寒い寒い」...だそうです^^
…あ。じっくり見ると木がそって隙間があったり、歪みのために引き戸が重かったり。だって270年もの間、幾世代の家族を見守ってきたのだから少しくらいの不具合は大目に見てください。自然に身をまかせるんだから寒かったら着込みましょうよ。・・・とは言ってませんよ。。
去りがたいほどくつろがせて頂いた、最後のサプライズ!!
それは正面からは見えませんがお風呂の屋根に取り付けられたソーラーパネルです。
Uさんご自慢のすぐれもの、夏も冬も燃料いらずでお風呂をいただけるそうですよ。
現代の便利も少し取り入れながら太陽の恵みを暮らしに役立てているのですね。
色んな方面からの取材や調査があるにも関わらず、Uさんご夫妻は伝統家屋を270年も守り伝えている、というような奢りはなく肩肘はらず本当に普通に、自然に暮らしておられるように見えました。
ふらっと立ち寄ってみたら...今日もUさんが表の長いすに腰をおろしてお庭を眺め、傍らで奥さまが何やら用事をされてる姿が見られるかも知れません。。
自分もこんな家に住めたらいいのにな~。