阪神淡路20年-1.17-

2015-01-17 | 独り言
あの日の午前9時、当時営業ウーマンだった私はお客さんと神戸製鋼所本社ロビーで待ち合わせをしていた。そして、あの日神戸製鋼所の本社ビルはがれきになってしまった。もし地震が9時頃に起こっていたら、私は今、生きていない。

最初は飛行機が落ちたのかと思うような振動だったが、次第にがたがたと家中が揺れ始め、布団の上に本がパラパラと降ってきた。あの時のなんとも言えない、這い上がってくるような恐怖感は今でも記憶にある。幸いなことに我が家に被害はなかった。

震災後、交通網が復旧するまでの数ヶ月を大阪市内のビジネスホテルで暮らした。有給を目一杯使ってボランティアにはいろうと目論んでいたのに、会社から「ホテルを手配したので出勤するように」という電話が入り、あっけなくボランティア計画は消えてしまった。

しばらくすると、震災のニュースは、4月に東京で発生した地下鉄サリン事件に飲み込まれてしまった。このとき、日本は東京を中心に動いていて、関東の人たちにとって関西の震災など他人事なのだと思った。

GW前に自宅通勤に戻った後、土日だけ「電話で話しをきいてあげる」というボランティアに参加し、一緒に何度も泣いた。
あれから20年もたってしまった。今でもあの時の話を思い出すと涙がこぼれそうになる。
今朝もあの震災で亡くなった方々のご冥福をお祈りした。



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2 コメント

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Unknown (るー)
2015-01-17 09:14:11
20年前のあの頃、私は仕事で関東に転勤していた。
しかし、ちょっと遅めのお正月休みを過ごすために、
友人3人と大阪梅田のホテルにチェックインしたのが
16日の夕方。
そして、17日午前5時46分の地震。
高層階に宿泊していたにも関わらず、窓の近くから
地面が見えたのを今でもはっきりと憶えています。
普通に見たら、地面なんて絶対に見える訳が無い。
ホテルが折れてしまうと、思ったほどの揺れでした。

今日は、亡くなられた沢山の方の御命日。
今も皆様のご冥福をお祈りしております。
                  
                     合掌
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震災復興 (にゃんころりん)
2015-01-17 19:55:58
るー さん  こんばんは。

私の住まいの近くにあった大規模な仮設住宅が解体されるまでおよそ5年かかりました。
そして、今、復興住宅の高齢化、孤独死が問題となっています。
阪神淡路震災はまだまだ終わりません。
阪神淡路の教訓が、少しでも東北に生かされ、一日もはやく当たり前の生活を取り戻せるよう、みなさんに笑顔が戻るよう願っています。
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