gooニュースhttps://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20200110-0074
F1解説の今宮純さんが亡くなったとか。
日本にとってF1は80年代のホンダエンジン供給と日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟が誕生してから、全選放映が始まった。その後一気にF1人気に火が付いて、今や毎年超満員の日本グランプリが開催されるほどにF1は日本に定着した。
当時13を超えるチームと26人以上のドライバー。それら人間模様と速く走るための最先端の技術や守らないとならないルールなど、複雑で難しいことを分かりやすく解説してくれたのが今宮純さん。ヨーロッパの文化的スポーツを伝えてくれた。まさにF1宣教師でした。
中学生の頃、試しに1レースを見たら、完全にハマッてしまった。見ているレースにはいつも今宮さんが解説していて、レースのたびに雑誌を読むようになった。知れば知るほど面白くなっていって、エンジニアを目指すようになったのもF1の影響だと思う。
94年に悲劇の事故でアイルトン・セナが亡くなり、95年は今宮さんもF1の解説を外していたのですが、その際代わりに解説をしていたメンバーだったら、ここまで人々をF1に引き込めなかったと思う。96年以降にまたコメンタリーブースに戻ってきてくれた。
いつもマイルドで落ち着いてフェアに解説してくれた今宮さんでしたが、心の中は非常に熱い人なのだと思う。
1991年の鈴鹿チャンピオン決定となったレース後の総括コメントで、耐え切れず涙声になったときは、人間・今宮純を感じたのを忘れられない。
天国でもF1を見てくれてることでしょう。
アイルトン・セナと共に現在のF1を眺めてくれてるかな。
F1解説の今宮純さんが亡くなったとか。
日本にとってF1は80年代のホンダエンジン供給と日本人初のフルタイムF1ドライバー中嶋悟が誕生してから、全選放映が始まった。その後一気にF1人気に火が付いて、今や毎年超満員の日本グランプリが開催されるほどにF1は日本に定着した。
当時13を超えるチームと26人以上のドライバー。それら人間模様と速く走るための最先端の技術や守らないとならないルールなど、複雑で難しいことを分かりやすく解説してくれたのが今宮純さん。ヨーロッパの文化的スポーツを伝えてくれた。まさにF1宣教師でした。
中学生の頃、試しに1レースを見たら、完全にハマッてしまった。見ているレースにはいつも今宮さんが解説していて、レースのたびに雑誌を読むようになった。知れば知るほど面白くなっていって、エンジニアを目指すようになったのもF1の影響だと思う。
94年に悲劇の事故でアイルトン・セナが亡くなり、95年は今宮さんもF1の解説を外していたのですが、その際代わりに解説をしていたメンバーだったら、ここまで人々をF1に引き込めなかったと思う。96年以降にまたコメンタリーブースに戻ってきてくれた。
いつもマイルドで落ち着いてフェアに解説してくれた今宮さんでしたが、心の中は非常に熱い人なのだと思う。
1991年の鈴鹿チャンピオン決定となったレース後の総括コメントで、耐え切れず涙声になったときは、人間・今宮純を感じたのを忘れられない。
天国でもF1を見てくれてることでしょう。
アイルトン・セナと共に現在のF1を眺めてくれてるかな。
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