いままで説明をあいまいにしてきた部分について現在の意見をまとめて書いておく。誤りかもしれないし、今後変わるかもしれないが、現時点の考えという事でご容赦願いたい。
明治憲法では井上毅と伊藤博文の意見が対立し、また識者の意見も対立して、明治憲法はどちらでも解釈できるように憲法を作った。
キーワードになるのが「輔弼」ということばで、簡単に補助あるいは助言と承認と解釈すべきかどうかいろいろ意見はあるだろう。
そして最も大きな意見の対立は、政府あるいは内閣、議会の輔弼なしに天皇が独断で採決できるかという事である。
この点について出口王仁三郎は天皇陛下の独裁でいいとして天立君主説をとり、天皇機関説を軍部と一緒になって批判した。
天皇機関説は天皇は国の機関の一部であるから、そういうわけにはいかない。憲法が上にあり、天皇が下にある立憲君主の立場をとった。
昭和天皇は明治憲法を立憲君主として解釈されていた。また張作霖爆殺事件の教訓から、天皇が強権を発動すれば国の組織が壊れてしまうという危機感を持たれていた。
この点について昭和天皇は終戦後に終戦時は昭和天皇の決裁で周旋できたのに開戦時はなぜできなかったのかと聞かれ、開戦時はそれをやったとしても軍部が内乱を起して日本がめちゃくになっただろうという予測を挙げた。
秩父宮が憲法停止して親政にするようを意見具申したという噂もあるが、天皇はこの時、明治天皇の意向が立憲君主であったと信じ込まれていたようだ。
また他所で専制君主といわれることを嫌っていた。立憲君主として自らを意識されえいたおであろう。
現代の視点から見れば、天皇陛下のお立場が法的に正しく、出口王仁三郎や、軍部での天皇機関説排撃は時代遅れのナンセンスという事になる。
そう思われる方は、ここから先を読まないでほしい。理解できないであろうから。
また私はそれに対して反論するつもりもない。反論している時間が惜しい。
私は出口王仁三郎が書いているように、天立君主立憲が正しいと思っている。
そしてその君主は祭祀を通じて天皇として立てられたその人である。
現在の祭祀が正しいかどうかはわからない。正しい方法を伝えていた家が断絶し、太古の祭祀を行う方法も散りじりになってしまった。
一種のシャーマニズム国家が日本のあるべき姿だとしたら、その祭祀方法が今ではわからなくなってしまっている。決められた一族が、太古に決められた方法で、決められた時期に行うことで、人間天皇が天照大神と一体になり、完璧な政治がおこなわれると考える人びともいる。
近世中世を経て変節した祭祀がどの程度正しいかもわからない。
そもそも三種の神器が同殿同床になっていないこと、天皇が関東おられること自体が「いいのか」とも思われる。
ただそのようなオカルト的側面は真面目に語られる時代ではないし、即物的な理由から天皇と皇室のあり方が考えられ、決められる今日である。
私はできるだけ出口王仁三郎の考えに近づこうとしてきた。それは、現代の大本の解釈かどうかは別として、明治初期、あるいは戦前の思想に近いものがあった。
危険思想として現代人が捨て去ってきたものである。
私は出口王仁三郎の残した文献を手掛かりに、明治初期や戦前の思想を読み解いてみると、そこには世間で学者の言っていることと違う問題点が見えてきた。
これは議論してわかるものではない。
仮説を立て、文献を探してゆくと必ず見えてくる情景がある。
議論するには反論しなければならないが、その時間は私にはないので結論だけの推論を記しておく。
この説は現代にあっては極めて少ないマイノリティであるので、書籍が存在しないのだ。
この書物のあふれる時代に・・。
昭和天皇は天皇機関説に反対ではなかったといわれる。また秩父宮の天皇親政に対して反対意見を出されていた。政治に積極的に介入されようとしなかった。という話が事実であれば、昭和天皇の意見は出口王仁三郎の意見とは異なっていた。
出口王仁三郎は天皇機関説に反対し、天皇親政を主張していた。そのことは今や文献を検索すればわかる。
おろかにも出口王仁三郎が自分の出自を盾に自分が天皇になろうとしていたなどというのはまるっきり誤謬で、出口王仁三郎は皇道を正しい道に戻そうと必死だったのである。
ところが、天皇主義のなかには天皇機関説に共産主義思想を混ぜて説く思想家が力を持ち始めた。それが北一輝と大川周明であった。彼らの説は畢竟国家主義であり、天皇は機関の一つの役割に過ぎない。またファシズムの影響を受けた思想を紛れ込ませた統制派もあるが、これも天皇の意見が違っていれば天皇を意見を聞かなくてもいい、天皇を変えるという考えまで行く思想だった。
つまりひとくくりに戦前の天皇制といっても違いがあった。
現代思想から見れば、皇道派の出口王仁三郎や真崎らの考えの方が危険思想のように見えてしまうかもしれない。天皇親政など言うのはできるものではない、と思っている人も多い。また他国の歴史では国王の独裁体制がうまくゆかなかった例が山ほど歴史書として流布している。
正直、専制と、独裁体制と天立君主立憲の線引きがあいまいだと思われるだろう。
出口王仁三郎は天皇は独裁でいいという。天皇は民主的に決まるのではなく、天立であるから、天に伺うほかない。うかがう方法を私は知らない。すでにかなり前に失伝しているらしく日本書紀には継承権のトラブルが度々みられる。それで現在は長子相続になっている。民が決めるものではない。そしてそれを決める法も勝手に民が決めてよいものではない。
憲法については君主の意思と民の公論にて決めることは可であるが、君主の意思に反して法律をつくるというようなことはあり得ない。君主の意思が先で、大臣や議会の議論はその意思決定を実際の形にして運用するために議論する。
私は天立君主立憲とはそういうものであると考え、天皇は憲法の方向性や運用にかかわり、場合によっては緊急停止、変更などの指示を出すべきだと思う。
生きた運用の命令は神から天皇へ、天皇から国民へと向かう。