国家戦略室 (アンダーグラウンド)

日本本来の政治、統治、歴史についての研究

日本の本当の憲法としての三種の神器

2016年09月21日 | Weblog

神聖なる三種の神器
(一)八尺勾聰の御実体は畏くも万世一系の御皇統を保ち給ふ天津日嗣天皇の御国体なり。
(二)八咫鏡の御本質は天照大御神の言依させ給ふ神聖なる皇祖御遺訓なり、即ち天津日嗣天皇の御経綸を示し給ふ皇典古事記なり。
(三)草那芸劔の御本体は大日本国土也。皇祖須佐之男命この神劔を獲給ふ。八俣遠呂智は地球上全世界各国の総称なり。
 古書に(八咫鏡は神書なり、神代のこと懇にして鏡に向つて物を見る如くに明かなれば鏡といふ也……又八咫といふは八方のこと明かに知る故に八咫といふ、以上秘説なり云々)とあり。誠に哲学の本義を能く洞見したるものと謂ふべし。


 三種の神器

●八咫鏡は神書なり、古人既に日ふ八咫鏡は神書矣神代の事懇にして鏡に向つて物を見る如くに明なれば鏡と謂ふなり、又八咫と云は八方の事明かに知るが故に八咫と云ふ已上秘説なりとこれ徒然草諸抄大成御鈴の章の頭書に記せる所なり。
 この神書は帝皇日継及び先代旧辞を記し玉ふ皇典古事記の真義、畏くも神聖なる皇祖の御遺訓是なり矣。
 吁々《ああ》尊む可し信し奉る可しこの神書は畏多くも皇祖天照大御神が御皇孫に言依腸ふ御宝鏡なり、皇宗天武天皇が詔給ふ斯乃邦家之経緯王化之鴻基焉、皇典古事記を日本国に言依賜ふ言霊の幸ひ助けに依りて闡明而、献上し奉れる神書八咫鏡は畏くも明治天皇戊申詔書に示し賜へる『国運発展の本近く斯に在り』と醒よ大日本神皇国民
●八咫勾瓊は御玉体なり、
 神聖なる皇祖の御遺訓皇典古事記に示し給ふ、日く速須佐之男命乞度天照大御神所纏左御美豆良八咫勾瓊五百津之美須麻琉珠而、奴那登母母由良爾振滌天之真名井而(一説近江批把湖)佐賀美爾迦美而、於吹棄気吹之狭霧成神名 止哉吾勝速日天之忍穂耳命これ畏多くも天佑を保有し玉ふ万世一系天津日嗣天皇の御皇宗の御基なり矣。謹み僅み伏而惟れは我天皇の御皇統は皇祖天之御中主神を初め奉り、別天神五柱国之常立神を初め奉り、神世七代伊邪那岐伊邪那美神の国土経営の御功業成就して、天下を治むる大権を天照大御神に授げ玉ひ夫より皇宗に言依賜ひて天降し玉ふ即ち畏くも現代今上陛下に至る迄御天職を司り給ふ為に末いよいよ益々栄えさ玉ふ御事誠に尊とく誠に惶こき極みなりかし。
●草那芸剣は大日本国の本能及び形式なり。大日本神国の位置と地勢は草薙神剣の形式也、皇国天賦の気温、風土、周囲の潮流、水産動植、陸産動植、天地文物皆悉く草薙神剣の本能を発揮すべき神威発揚の機関なり。
 皇国の各国各嶋は天賦の名称的本能を保有す各国天賦の地に生ずる人各経綸機関の天職を有す、古今の学者神剣の活用と日本の天職を知らず鳴呼。
 草薙神剣の活用法畏多くも天津日嗣天皇が神聖なる皇祖御遺訓に准拠し玉ひ神聖なる天津日嗣の御経綸を照し玉ふに依り神剣国威の発揚発る、黍《かしこ》くも和光同塵皇道の光を収め世界済世の為、世界の文物を引招収得し玉ふ事茲《ここ》に二千有余年履冠転倒は戸位虚礼と化し古今の弊政は虚栄、貧慾、嫉妬、盗心、を生ず根本革命是れ草薙神剣の活用なり矣。


鏡は古事記、あるいは言霊

玉は玉体、天皇陛下、また別のところで出口王仁三郎は歴を当てている

剱は日本の国土とも言っている。マホメットの剱と同様とも言っている。マホメットは聖典と剱。


災害と祭祀の効果

2016年09月21日 | Weblog

祭祀は神道では顕祭りといわれて、まつりのうち目に見える、形ある部分である。

これに対して祈りは幽斎と言って心の中で想う部分であるという。

両方が大事といわれる。

どちらも正しいやりかた、正しい祈りがあるようであるが、細かい部分はわからなくなっている。

幽斎の部分に関してはキリスト教に近い部分もある。

祝詞をあげ、礼拝するのは顕の部分に属するだろうが、祈りの準備としても使われる。

実際のところ顕祭りといえどもまっすぐな祈る心をもって行わなければならないし、祈りといっても行いが伴わなければ、その効果は薄いのではなかろうか。

祝詞も邪念のある者が唱えれば声音が乱れて邪気を発生する結果になるともいう。

顕幽の要素はいずれにもあるが、外形から分けると二つにみえる。

ところで道院では坐を重視する。坐と呪を重視する。坐は形、呪は言霊に該当する。これに行いを合致させる。

天地に邪気が広がることで、天変地異が起きる。この邪気を清めるのに、坐や呪が役立ち、神道では祭祀が重要だといわれている。

災害と祭祀の考え方は、夢物語と考えられ、非科学的と思われている時代ではある。

科学てはまだ解き明かされていないということと、メカニズムが証明されていないかあらではあるが、そもそも神々の存在自体が、明らかにされていないのであるから、科学の論議にのるはずもない。

神々がいるとすればおかしいではないかという人も多いが、神々は人間が考えているような全知全能の存在ではないのかもしれない。

つい百年前までには信じることの多かった、彼らにとっては神々は存在したのである。ところが無いという思想が広がった。しかしないという証拠もない。

神道も、大本も、道院も神々の存在はありという前提で教義を立てている。

そして人心の荒廃が、天災となんらかの関連があるとみている。

そして自然界の調和と祭り、人々の行いが重要であることが伝えられている。

崇神天皇の代になって疫病が発生し、国内の統治が乱れた。

これに対して天皇が神に祈り、神示を受けて、オオタタネコという人物を斎主として、大物主という神を祭らせイチシノナガオチという人物にヤマトオオクニタマノカミを祭らせることで、国内の疫病が沈静化したという。

ここでいくつかの謎がある。

なぜ仁徳もある崇神天皇の代に世が乱れたかということである。

まず神武天皇から七代が架空といわれるほどなにも起きなかったのは、神武天皇が祭祀を古式にのっとっておこなったからだという説がある。

祭式や、天皇の居場所が度々変わったことに関しては、宮廷に入り込んでいた側近の影響力によるものとのも言われている。このあたりはあくまでうわさによる仮説なので今後手掛かりを確認してゆきたいが、うなづける点が多い。

つまり神武天皇の東征も、現地回復活動であったという異なった解釈ができる。

崇神天皇になって崇神3年目に都を奈良県桜井市当時磯城(しき)というところに移している。それ以後5年には疫病発生で苦しむ記述が日本書紀にはみられる。

天皇は自身を責めてたびたび祈り、神が答えて、神意である旨を告げたが、解決策を示している。それが上記の祭祀方法である。

都の移動とというのが気になる。なぜ都を移動するのか。国の都、天皇の居る所というのは政治的理由できめられてよいものであろうか、祭祀と関係はないのであろうか。

今日陛下は関東にお住まいであるが、本来は京都にあるべきではなかろうか。などとの思いが去来する。

また、天照大神、倭大国魂を天皇に御殿にお祭りするに神の勢いを怖れて他の者に祀らせたというのも意味が分からない。このあたりに、神道の祭祀に関してとやかく言うものがあり、祭祀が誤って行われるようになったとも思われる。

三種の神器が同殿同床であったものが別々に祀られるようになったのもこのころからといわれている。

しかしながら、崇神天皇の祈りにより、この困難に対応策が示され、災害が沈静化したという。

出口王仁三郎の書き物を呼んでいると、崇神天皇が我が国の権威をやわらげ、外国の文物を流入させる時代であったというような内容をあちこちに書いている。長い目から見れば、それは神の長期計画の一端であったろうが、日本国にとっては罪なき十字架を背負うような羽目になった。

漢学や仏教が入り込むことで、国民の信仰や言霊の威力が混乱し、乱れた。

天皇は神道の教義から導き出されるTOPであり、神と人との接点でもある。ところが、そこで仏教が介入してこの信仰が混乱し、信じる力が失われ、国内の統治が乱れるもととなった。

蘇我氏と物部氏の戦いは天下分け目の戦いであった。

蘇我氏はもと武内宿祢の子孫であったが、途中大陸人の養子を迎え入れ、彼らが何代にも渡って朝廷転覆を狙ったと考えられる。蘇我韓子などは名前にも記されている。その代表であろう。

血族に入り込み、異教を信じさせ、人心を分裂されて国を乗っ取るというのは大陸の六韜三略の常套手段なのである。ちなみに仏像の造営などは国を疲弊させるために行わせる。

振り返って今日の日本は信仰が混乱し、無宗教、唯物論が横行している。ここ何十年と続いているが、特に政治が神道の根本教義からいささかずれている。

民主主義は民を大事にするという点ではその意にかなっているが、民が国の主であるというのは為政者の作り上げた作話である。多数決を運用しながら相談しながら決めようとするのは必ずしも悪いことではなく、万機公論にて決すべしというのは、さらに正しい。五箇条の御誓文を日本はひっこめたわけではない。

また公論とは私論の反対概念である。

話し合うのはよいが、その機構をつくるために民に主権ありとするのは、日本の国体にはそぐわないもので、そのそぐわないものを憲法にしているから国民はいつまでも幸せにはならず、貧しい人は救われない。

格差社会というのは、都合のいい表現で、実際のところ弱肉強食社会である。思いのほかひどいが、国民がその原因に気づかされていないというだけの話である。

じゃあ戦前かという話にすぐなるが、そうではない。

陛下が天神地祇を特に天照皇大御神と大国主の神を日々お祭りし、三種の神器の実物を引き寄せになる。というところまではほぼ間違いないと思われます。

ただ陛下がどこにいるべきか、また、三種の神器を同殿同床にするのか、大和三山に配置するのかは今後考察を深めたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天皇陛下がやらなければならない祭祀

2016年09月16日 | Weblog

陛下の心配しているのは宮中祭祀がおろそかになることではないだろうか。

祭祀は誰が行ってもよいものというものでもなく

やむ得ぬ場合に代理が立てられるのみであるが、

陛下がやってこそ意味がある祭祀もあることと推察される。

それぞれの祭祀の意味についてはわたしにもわからず、またどれが重要で、どれが太古から行われ、どれが道教などの祭祀がから取り入れられたかもわからない。一応学説らしきものがあるが、学説は間違えることがある。

天神地祇を祭る祭祀はもっとも重要と思われるが、四方拝といわれるものが、天皇のみが行い、道教などから取り入れられたものといっている人もある。う

祭祀の大半は中臣氏と斎部が行っていたらしいが、詳細が分からなくなっている。中臣が藤原として権勢をふるい、斎部が忌部として追いやられたというのが歴史に残っている。

基本的な考え方としては天照大神の内流を受け、神と一体になって祭を行うことで、日本や世界が安定し、邪気が祓われると信じられていた。

祭祀の大きな変化が、天変地異をもたらしたという。

神武天皇から7代の記事が少ないのは祭祀が安定して行われて、平穏だったからだといわれている。崇神天皇において三種の神器と陛下は同殿同床だったが移されたために、海外の文物が大量に流入し始めたといわれている。

三種の神器の扱いについては古今伝授により、大和三山が三種の神器の台とも言われている。

それぞれの山にこれらの神器を置けばよいのであろうか。そういった祭祀があったのだろうか。

明治維新多くの祭祀が制定されたが、明治天皇も大正天皇もさほど熱心ではなかったともいう。昭和天皇、近状天皇はご熱心であるともいう。

明治維新。神祇官が設けられたが神道内部で分裂対立があり、政府は、これを柱に置くことを諦めたように思われる。

白川家には天皇に伝える秘伝があるとのことで、現在も伝承者があるという。しかしながら、白川家があった過去の時代もまた平穏ではなかったとすれば、国を治める祭祀に何らかの不足があったのであろう。あるいは白川家は天皇陛下ご自身を神とつなぐ方法を伝えていたやもしれない。

とまれ白川家は断絶した。

祭祀とは何かを考えれば、陛下が信仰をもたれているとしたら、国を護るための祭祀をおろそかにすることはできない。そして、この国はこの神への信仰に支えられ、神との懸け橋として天皇という存在がたてられた。

天が民オオミタカラのために君をたてた。

陛下が神に向かい、私たちが陛下に向かうことにより、国家が一つになる。これが太古の国家であった。

信仰で一つになり、また政治機構でも一つになる。

神が実在するとして、陛下が信仰を持たれているとして、われわれもまた信仰を持っているとすれば。現今の民主主義は厳密には、神、君、タミが一つになる仕組みである。

祭政はもともと一致しており、不完全ながら祭がおこなわれ、大臣は天皇が任命する仕組みになっている。この仕組みは、天皇が権威を与えるという伝統が残されている証左である。

天立君主立憲。つまり天皇の専制というよりは、天皇の権威をもって、大臣以下が行政を行う。その前提を崩してはいない。ただし、個々の政治に天皇が直接介入することができないようにしているのが日本国憲法である。

天皇の存在は我が国が、神を信じ、天皇という君主を中心として国つくりをしていることの象徴でもある。

日本国憲法という暫定的な憲法があっても、我が国は古来の伝統を保持している。

憲法があって国があるのではない。我が国は天皇があるから国がまとまっている。

三種の神器が本当の憲法だといわれる。一つの解釈であるが、

玉は天皇を中心に国家を築け。

鏡は言霊、言霊の幸ふ国。言霊の天てる国。言霊を正しくせよ。言霊でおのれを省みよ。

剱は正義、両刃の剣、悪を懲らしめ己を律せよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


憲法2

2016年07月13日 | Weblog

昔からの型、制度というのは言語に残っている。

大臣の臣。これは家臣の臣で、君主の手下である。

日本ではおおおみ 大臣 総理であっても大臣であり、大統領ではない。

知事に相当する役職を おおみ 小臣

と呼んでいた。

そしてタミだが、これは手身にあてられるように、国を身体全体にたとえるなら、手と身に相当する。

これを民という漢字を使うと、この漢字には目をつぶして逃げられなくする奴隷の意味が含まれているのではなはだ好ましくない。

憲法を漢字で構成するかカタカナで構成するかは議論にすらならないかもしれないが、格調の高いやまとことばをふんだんに入れて、カタカナにすべきで、そうすることで、国の発展とともに解釈を変えてゆける。

解釈が変わるのはよくないように考える向きもあるが、条文憲法はできた瞬間から時代のずれを起こし始めている。

この時間の変化に対応できる憲法を作る為には、ヤマト言葉で、時代の偏移に応じて解釈可能な運用な憲法をつくるのが理想である。

シロシメスという言葉も統治を現すとされている。自分たちがタミであり、キミが存在することをシロシメスことで変化が起きる。

「キミ」とは何か。極身とも当て字される。

人として存在するが、尊い地位につかれた存在で、その存在は国民の総意と天意に基づく。

天意と国民の総意を真釣り合わせるのが統べる君すなわちスメラギ=天皇の地位である。

それは今日的に言えば古い神道、日本の文化に根差している。

今日的な学問は神を否定している。だから古い文化を理解することがまったくできず、異常心理や迷信で片づけてしまおうとする。

日本の政治、国の形はこの神の存在なくしてはあり得ない。それは戦後もなくなってはいない。

政治と宗教を統一する唯一の希望が日本となってきた。

天皇の存在は国民の総意というが、国民すべてが望んでいるわけではないから総意とは言えない。

天皇の地位と存在は天意による。歴史により裏打ちされている。それをどう表現するかが見ものである。

戦後はGHQの圧力で捻じ曲げられたものをどうするかということである。

九条だけを変えて、天皇の地位を変えなければ、アメリカの圧力による憲法の軍事化とみて間違いはない。

天皇条項に変化があれば、少しはもののわかった人間が手を加えているということができる。

天皇が元首であるという表現は日本の考え方である。

天皇が機関であるという表現は共産主義を君主主義に合わせた考え方である。北一輝、大川周明はいずれも左翼出身者で、天皇機関説であった。つまり左翼理論を利用して天皇政治を考えたのである。

天皇機関説を嫌ったのは、そのために天皇の権威が骨抜きにされてしまうということもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


天皇陛下の立ち位置

2016年05月08日 | Weblog

天皇は天と地を映し出す鏡の役割を担っているとすれば、そこには神の意図と、人々の心が映し出される。

専制君主との違いは一方的に人々に命令するのではなく、人々の意思を映しだしながら、天意との調和を図っていく。

真釣り合わせるというのはそういうこと・・・ではないかと思う。ただしこれは私論であり、出口王仁三郎の論ではない。

出口王仁三郎は天皇は人々の主師親であるという。そうあるべきという理想を示したのであろうと思われる。

神功皇后に神がかりがあったり、オオタタネコという天皇以外が祀らねばならないことがあったりと、皇道には不可解な面が多い。

出口王仁三郎は自分が天皇に取って代わろうとしたのではない、。オオタタネコに役割を果たそうとしたのである。

オオタタネコは崇神天皇が疫病を鎮めるため夢のお告げから探し出した斎主である。誰が祀ってもよいというわけでもなく、天皇が執り行えばいいというものでもないことが分かる。

 


14、天皇機関説と天皇親裁

2016年04月07日 | Weblog

出口王仁三郎が農村座談会で日本の天皇は独裁でいいと言ったということは大変わかりやすい答えだった。

皇道大本の答えはこれに集約されている。

日本人や欧米人の大半は独裁政治をヒトラーやムソリーニのファシズムを連想させるものとして忌み嫌う。

ところが問題は独裁という体制にあるのではない。

誰がどのように独裁を行うかということに焦点を当てられていない。

古代の天皇制はシャーマニズム、つまりは神に方向性を伺う事によって政治を決めてきた。

その方法が存在した。

ところがシャーマニズムが異常心理ととらえらえる今日にあっては、機構のみをもってなんとかまとまりを付けていかなければならない。

そこで民主主義を発明し、憲法を発明した。

今の社会では神は否定されているから王権神授ける説はばかばかしく思われるだろう。

皇権は神授である。

皇道を理解するにはいったん信じてみなければ理解ができない。

我が国の皇道は世界最大最古のシャーマニズムである。

信託によって政治を決め、祭と政治と思想教育を一致させるもので、天皇を中心とした実在のシステムである。

経済と軍事は神に権威を与えられてこそ正当化される。

明治は王政復古まではいったが神政復古に失敗した。

実体は形式的な祭祀と人為的な国学で神僞官を固めたせいで、当時しかるべき人材がいなかったというほかない。

王仁三郎が現れた時には明治政府は祭政を分離していた。

神政復古の開始時期は、神の側が天皇に意思を伝えなければ始まらない。

今時それが行われているとみるべきかどうか。

先ほどの立憲君主説にしても、昭和天皇が天皇機関説に反対しなかった立場は出口王仁三郎の意見とは異なる。

しかし天皇陛下の大御心には時代が反映し、そうでなければその時代は治まらなかったのかもしれない。

二つの考え方がある。

1、天皇陛下は家臣の影響を受けて立憲君主に固執したがために英断できずに軍部が台頭した。

2、天皇陛下は時代の心を映し出され、国民に歩調を合わせ立憲君主すべく運命づけられた。つまりが陛下が立憲君主に固執するようになったのも、その時その時点ではやむを得なかった。

出口王仁三郎のいうことは理想ではある。だがそれは上下がそろったときの話で、下々が反抗すれば天皇とていかんともしがたい自体は起こりうるであろう。

あの時代あの時点で天皇陛下が立憲君主としてふるまわざるを得なかったのは、やむを得なかったことではなかったろうか。

そして終戦時に終戦を決めた立場は立憲君主には限界があり、議会が紛糾して結論が出ない場合、君主が超法規的に物事をきめることがありうることを示してはいないだろうか。

独裁というと聞こえは悪いが、日本の天皇陛下がなさる独裁は議会を無視し、憲法をなくした独裁ではない。国民の意思を尊重し、皇室の先祖の意思を尊重し、大臣や議会の意見を尊重し、強調しながら歩む独裁ではないか。

出口王仁三郎は議会や大臣、国民が皇室をリスペクトし、天皇陛下の御意志を利用するということではなく、純粋に従うようになった時に天立君主立憲が実現し、日本は政治形態をヨーロッパの模倣ではなく、日本独自のものとして完成させることを言っているのではないか。

今の日本はヤマタノオロチに飲み込まれた草薙の剱である。オロチの尻尾に引っ付いている。これを引っ張りだすのは、日本以外の存在かもしれない。

崇神天皇は三種の神器を分離して奉るようにした。このことから日本の威力は落ちたといわれている。日本に世界中のものが流れ込むようになったとも言われている。

三種の神器というのは鏡、玉、剱であるが、言霊、陛下、国土であるという。

 

 

 

 

 

 

 


13、シオンの議定書

2016年04月06日 | Weblog

シオンの議定書について詳しくは他を検索していただきたい。

ユダヤ人の長老が陰謀を企て、他民族を畜生化して支配するという内容でその会議の議事録のようなものである。某ロシア人が入手したもので前書きでは興味深い文章を残している。

聖なる神父たちの言葉によれば「反キリストの所業はすべてキリストの御業の模倣である」と。

これは偽書であると言われており、また、発表したニールスはちょっと変人だったという宣伝が盛んに行われるが、出口王仁三郎はこれを下記のように判じている。

神靈界

大正八年十二月九日

『本年五月十日(大正八年)伊勢御礼参拝の途次、数名の随行員と共に東都に上り、某氏の手より、魔素の陰謀シオンの決議書を手に入れ熟読すれば、故教祖の御手を通じて国祖国常立尊の予告し、警告し玉ひし、外国の悪神の秘密計画書にして、神諭の所謂「外国から廻ってきた筆先」であることを知って非常に驚倒すると共に、注意周到なる大神の天眼通力に感服せざるを得ませんでした。神諭に石屋の陰謀とか、【我が在る】の悪計とか出て在るのは、即ち魔素(マツソン)秘密結社の事を示されたものである。吾人は天下の形勢に鑑み、慎重の態度を採って赤裸々に発表することを見合せて居ったのであるが、時機の切迫と共に東京の「公論」という雑誌に、弥々今回発表されて了ったから、有志の諸君は同誌を一部購入して、明治ニ十五年からの大本の神諭と、対照されたならば、実に大本大神(国祖大神)の数千年間の御苦心と、故教祖の天下無比の神格者で在った事が首肯される事と思ふのであります』

大本神諭の以下のところを読むと日本の神がこれに対抗するシステムを作っていたことが述べられている。

天地の先祖をなくして悪の行方で世界の頭となりて、此先を悪をモウ一つ強く致して、まぜこぜでやりて行かうとの、初発の目的通りに、此処までは、トントン拍子に、面白い程上りて来たなれど、此の日本には、神の深い経綸が世の元から致してありて、日本の仕組通りに九分九厘まで来たぞよ。
 悪神の仕組も九分九厘までは来たなれど、モウ輪止りとなりて前へ行くことも出来ず、後へ戻ることも出来んのが、現今のことであるぞよ。仕放題の利己主義の行方で、末代此世を悪で立てゝ行くことの目的が、今迄は面白い程昇れたなれど。(大正四年旧十二月二日)
 外国の悪神の企みは、神界にては三千年余り前から、仕組を悪神が致して居りたなり、外国の人民を使うて斯世を乱しにかゝりてからでも、二千年になる永い経綸であるから、世界隅々までも、山の谷々までも、水も漏らさぬ仕組を致して居るぞよ。(大正八年八月十一日)

この2000年とか3000年とかいう年代は神界の年数なので、現界の日数と一致するかどうかも分からないが、悪神の陰謀はここ百年とかいうわけではなさそうである。

ペンネーム竹田日恵という人が、ソロモン王が魔術を持つ異教の石屋をあつめたのがきっかけだったとも書いているが定かではない。

出口王仁三郎は石屋の陰謀で世界が混乱しているとは言っている。そしてシオンの議定書はユダヤの一部がこの石屋=マッソン=フリーメイソンを使って世界をコントロールしようとしていることを描いている。

日本人はこんな話はあまりまともに信じられないだろうが、イタリヤの内閣がこのフリーメーソンがらみで総辞職したP2事件というのがあった。そのころはフリーメーソンに関するかなりの記事が真面目に表に出た。フルーメーソンは実在する。

当時は中東の在る戦争で、フリーメイソンが両方にかかわって争いを興すなどという記事を一般の週刊誌で読んだことがある。

二度の大戦も経済戦争もこのフリーメイソンがかかわっているといわれている。

出口王仁三郎はフリーメイソンに対して批判はしているが、ユダヤ人に関しては大部分が憑依されているが一部は真正の信仰を持ち続けているといったニュアンスを霊界物語の6*巻で登場人物に述べさせている。

宇野正美という人が、ユダヤ人の中には本当はユダヤ人でない人もいるという内容の書物も描いているが、ではだからと言ってすべてのユダヤ人が善とは言い切れないだろう。

アインシュタインはユダヤ人で後に平和運動に参加したが、原爆開発の大きなきっかけを作った。

本人が意識するしないは別として、歴史に大きくかかわり、善の中に、悪、悪の中に善、善に見えて悪、悪に見えて善が存在する。

エスペラントの創始者ザメンホフもユダヤ人。

マルクスもユダヤ人である。大量の粛清が行われるなどマルクスも思わなかっただろう。しかしマルクスの思想は神に抵抗する大きな武器となってしまった。

マルクスはモチーフを原始共産制から得ている。原始共産制はシャーマニズムを土台としており、それなくして原始共産制は正しく機能しない。ところがマルクスはシステムだけを抜き取り肝心の魂を無きものとし、国家という概念をトップにおいて経済システムを考案した。だから失敗した。

マルクスのシステムは原始共産制の模倣である。

国家という抽象的な概念を理論の頂点に据えて統治機構を考える点については北一輝も大川周明も同様である。彼らはそのシステムの中に天皇を位置づけて理論を構築した。

これを見抜いていたのが真崎甚三郎で

「北一輝の『日本改造法案大綱』はロシア革命におけるレーニンの模倣でありそれを基にした国家改造は国体に反する、大川周明の思想は国家社会主義であって共産主義と紙一重の差である」と述べている。

 

 真崎甚三郎の説は天皇機関説ではない。天皇を超法規的に扱う。天皇は憲法に拘束されず、むしろ憲法の改変、実施に権力を持つ。

 その根拠は天照大御神のシャーマニズムである。

 王仁三郎の皇道も同様の考え方に立っているため、北一輝らに手を貸さなかった。

 天皇陛下は立憲君主としてふるまおうとされていた。

 昭和天皇の独白録には次のように書かれている。

開戦の際東条内閣の決定を私が裁可したのは立憲政治下における立憲君主としてやむを得ぬことである。もし己が好むところを裁可し、好まざるところを裁可しないとすれば、これは専制君主となんら異なるところはない。終戦の際は、しかしながら、これとは事情を異にし、廟議がまとまらず、議論分裂のままその裁断を私に求めたのである。そこで私は、国家、民族のために、私が是なりと信ずるところに依て、事を裁いたのである。

今から回顧すると、最初の私の考えは正しかった。陸海軍の兵力の極度に弱った終戦の時においてすら無条件降伏に対し「クーデター」様のものが起こったくらいだから、もし開戦の閣議決定に対し私が「ベトー」を行ったとしたらば、一体どうなったであろうか。
(中略)
 私がもし開戦の決定に対して「ベト―」をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の命の保証もできない、それはよいとしても結局凶暴な戦争が展開され、今次の戦争に数倍する悲惨事が行われ、はては終戦も出来かねる始末となり、日本は滅びることになったであろうとおもう。
     (注:ベトー veto=拒絶)

 陛下の意図を内閣が実施することができなかった。東條は努力したとはいわれるが、そこまで国を陛下を追い込んだのは東條である。

 

ところで出口王仁三郎はこのことについては述べていないが、別のところで、天皇陛下は独裁でいいといわれている。議会は天皇陛下のいうことをどのように実施するかという機関であって、それに反対するような議会はけしからんというわけである。これは農村座談会という昔の記事で出口王仁三郎が語っているのを読んで初めて判明した。

大本はもともと天皇親裁政治が目標だったのである。

それを戦後隠したり、後継者がいやあれは時代に合わせて王仁三郎が言ったことで本意は他にあったなどというから、形式だけの一地方宗教のように受け取られるのである。

この視点から王仁三郎の書物をよむと、すべてとはいわないまでも大本の多くの書籍の真意が判明する。

アジアに進出して明光国を作ろうとしてたという意図を調べてゆくと、もとはアジアが日本であり、もっとさかのぼると世界が日本であった時代があり、それが再来すると予言しているのである。

これは確かに今の時代には言えない。中国のみならず他国が激怒する。

昭和天皇は立憲君主であることにこだわり、出口王仁三郎は天立君主立憲つまりは天皇陛下の独裁、親裁政治を企図していたという事実が浮かび上がってくる。

昭和天皇は立憲君主にこだわらずベトーを発すれば大混乱が起きることを予想して戦争の開始を承認したという。

また昭和天皇はイギリスの王室を参考にしていたから立憲君主にこだわったともいう。立憲君主は天皇機関説である。故に昭和天皇は天皇機関説に対しては反対はしていなかったと言われている。

昭和天皇は生涯立憲君主を正しいものと信じておられたようだ。戦時中一時憲法を停止すべきとの秩父宮との論争があったとのことが思い起こされる。

これをみてみると昭和天皇がシャーマンとして判断したのではないことが分かる。昭和天皇は英国王室をモデルに立憲君主という統治形態にこだわったのである。

つまり天皇にはすでに天皇とアマテラスオオミカミの神霊を一体化させるような方法が断絶していた徒も考えられる。

皇室で明治時代までこれを教えていたのは伯家神道の白川家であったが、白川家は明治維新に引き離され、今日断絶している。

明治憲法が作られる時には実はこの点については元田 永孚(もとだ ながさねなどが懸念していた

この時代にはまだ天皇親裁を理解する人物も存在したのである。

しかしながら伊藤博文は立憲君主を想定して明治憲法をつくらせた。

つまりすでにこの時に日本の運命は決した。

また更にさかのぼってそれ以前。

明治維新の時に神祇官に人を得ることができなかったのも原因であると思われる。

明治維新には吉田神道や伯家神道、平田篤胤の流れをくむ国学者などがあつまり、神祇官内部での意見がかなり混乱していた。本格的な神がかりの伝承は絶えており、在野で本田神徳などという人物が試験的にいろいろやっているだけであった。

つまり形式と理論のよせ集めで、本当のところ神の声を聞けるものなどいなかった。

また後に伊勢派と出雲派で祭神論争等も起こり、混乱した神道を頂点に置く国造りは困難と政治家が判断していたようだ。

明治15年1月24日、内務省は政教分離の通達を発し、神官の教導職兼務を廃した。

この時まだ大本は興っていなかった。出口直が神懸ったのは明治25年、出口王仁三郎が合流したのが明治31年と少し遅かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 

 

 

 




12.核兵器は皇道に背く

2016年04月02日 | Weblog

原爆の製造及び保持については昭和天皇ははっきりと否定させ、やめさせようとした。

しかるに杉山、東條はこれを続けさせ、仁科ら科学者もこれを継続していた。核物理学は理論的にはかなり進んでおり、出口王仁三郎は日本が最初に発見し、使えないからとドイツに譲り、ドイツでもやらず、あまりかがやったと言っていたらしい。日本が最初に発見したので日本に落ちたとまで言っている。

ハワイまで飛ぶ核弾頭ミサイルの構想はあったが、実際の製造に関してはウランを調達できず、実験も失敗を繰り返し、実現レベルは程遠かったとも言われている。アメリカでもできるといわれてから実際に完成するまでには相当の失敗を繰り返している。

ところが政府は原爆の保持が第九条に抵触しないなどと言い始めている。これは戦前の杉山、東條の路線を踏襲している。

憲法に抵触しなければ何をやってもよい・・・法治主義の欠陥が浮き彫りにされ始めた。

日本は本来徳治主義の国である。大きくは神徳で天皇陛下が統治する国で国民すべてが徳治を重んじて治められる国である。そうなると法は少なくとも常識が神徳に基づいて考えられるから、天皇が反対した原爆を保持するなどという発想は浮かばない。

このサイトでは過激な思想を紹介してはいるが、原爆の保持に関しては絶対反対であり、これは皇道に反すると明言したい。

戦後日本が原子力発電を続けたのはプロトニュウムの確保と原爆製造の技術を学ぶためであったという説もある。この説は一時笑われてはいたが、必ずしも否定できないようなところもある。

自衛のために原爆を保持と言うが、そういう議論をし始めれば、結局戦前と同じく海外からの侵略を防ぐために他国を攻撃するという議論が始まる。明治の時、日本が朝鮮半島やアジアの大陸に進出していったのは、欧米の植民地化に備えることがきっかけだった、それがしまいには、日本の領土を広げる幻想を見るような軍人を生み出してしまった。

原爆は禁じ手である。

「核は合法だ。だから核武装も選択肢として否定しない」

などという人がいれば、その人は皇道を踏み外しており、右でも左でもない。2.26事件の青年将校のように無頼の輩であり、日本と世界を誤った道に引き入れる。

北朝鮮の軍備が増強され、それに反して日本の軍備も増強される。悪循環である。北朝鮮が核兵器を持っていても、威嚇にせよなんにせよ、核兵器を持つことは日本では許されない。

非核三原則?アメリカの意思?いやいや、天皇が原爆に関してはもってはならないという勅命をみずから口頭で発し、強い意志を持たれていたからだ。

それが昭和天皇であったかとか、文章にされていないというのは言い逃れにしか過ぎない。

また使用しなければ保持してもいいというのは詭弁にしかすぎない。ではなんのために保持するのかといえば、相手を威嚇するためというのであろう。だが相手が使用してこちらが使わずにいられはしない。

原爆によらない解決策が日本には求められている。

 

 

 


11、明治憲法と日本国憲法

2016年03月31日 | Weblog

出口王仁三郎師に言わせると日本は天立君主立憲で立憲君主ではない。

どういうことかというと、君主は憲法で立てられたものはではなく、まず天が君主を立て、君主が憲法に権威を持たせることになっている。

この点が民主主義からは批判され絶対王政と混同されるところではある。

憲法をなくして、君主がすべて指示を出すわけではない。君主が憲法に権力を与え、改廃の権限もまた君主にある。そこに議会の関与するよちがあるかというとそれはある。君主の意向に沿って議会が関与する。ただし議会は君主の意向を制限するためのものではない。君主の意向をいかに実現するかということを検討するものである。

それでは専制君主ではないかと言われるかもしれないが、それを専制君主というのであればそうであろうし違うといえばそうであろう。専制君主とか独裁とかいう言葉の定義は微妙であるからそのことについてはやりたいものがすればいい。太古の政治形態を欧米の政治形態の分類に当てはめてもあまりいみはないどころか、見えるものすら見えなくなる。

君主の権力は天から与えられたもので、憲法はそれを制限するものではない。欧米の憲法がそうであるからと言ってそれを日本に当てはめたのが日本の憲法であるがそれは明治憲法でも昭和の憲法でも同様である。それでも明治の憲法では解釈により天皇の威光を発揮できたが天皇機関説を導入すれば明治憲法は天皇の平和への御意志を封じ、軍部に抬頭を促し、日本国内の総覧を引き起こす危険があった。

このことに気づいていたのは真崎甚三郎であり、彼は北一輝と大川周明の理論が左翼理論であり、それによって青年将校が惑わされていることを憂いていた。

統制派は天皇機関説であり、時に謀略を用いて改革を推し進めていた。

石原莞爾はどちらにも属していなかったが、彼は田中智学の国柱会に傾倒しており、法華経から天皇の威光を発見した田中智学の思想に傾倒していた。

法華経は大乗仏教で釈迦の説ではない。と私は思う。

評価が高いのは理由がある。聖徳太子の時代から研究されていたということもあるが、それ以上に裏がある。

広がった仏教は土着の宗教を吸収して広がったが、法華経はかつて日本が大陸にいたころに流布させていた高天原の宗教を吸収して作られていた。誰かが、天才的な誰かが釈迦の宗教に仮託して太古の宗教とくに皇室の祭祀に関する話を入れたといわれている。

つまり皇室祭祀に関連する部分を経に織り込んだといわれている。ちなみに空海の真言密教は皇道の言霊の原理を織り込んでいるという。

この二大仏教が日本で開花した理由は、もともと皇道の教えつまり高天原教とでも言うべき教えが、大陸に残っていて誰かが仏教の名のもとに教として作り上げたのである。

空海はとある行者にいざなわれて修行をしていたという伝説がある。

実は四国は皇室祭祀を司っていた忌部氏の故郷阿波の国がある。空海の故郷は讃岐。

空海はこの行者に言霊の基本を教わって、裏のルートで中国大陸に渡った。

 

 

 

 

 


10.戦前の陸軍をどう考えればいいのか

2016年03月27日 | Weblog

 現在の民主主義からみれば、過去の体制は単なる軍国主義体制に見え、全否定されてしまう。

 それでは実は原因はまったくわからない。

 出口王仁三郎が軍部や右翼と関係をもちながら皇道を訴え、天皇機関説に反対したのにはきちんとした論理がある。

 当時北一輝や大川周明の唱える国家体制が浸透し始めていた。

 しかし、彼らはもと左翼であり、その理論は天皇を利用した国家社会主義に他ならない。

 皇道派のTOPといわれていた真崎甚三郎は評判は悪いが、この点についての見識は正しい。

 これに対して統制派は天皇の意思を必ずしも受け入れず、天皇が間違っていれば反論し、場合によっては皇室の別の人物を担ぎ出してすげかえるような意見を持っていたものもいた。

 つまり天皇機関説が問題になったのは、天皇が国家の部品であるとすれば、気に入らなければ変えるということが起き始める。秩父宮擁立運動や、天皇の意思に反する中国での軍部拡大運動はすべてこうした天皇を都合よく自分なりに解釈し始めたところから始まる。

 今日的に考えればその方が納得されるだろう。現憲法では天皇機関説である。しかも政治に関与させないように作られている。

 これは戦前、天皇の権限を拡大していたにも関わらず、軍部や統帥部がそれに従わなかったことが原因であるが、その背景にあるのは天皇の権限が大きかったことが問題なのではなく、逆に天皇の意向が軍部や外交官に十分浸透できなかったことによる。

 石原莞爾がいかに天才であったとしても満州が最終的に意図するものとは違ったものに変質することは予測できなかった。天皇陛下の不拡大方針は知っていながら、謀略で拡大した。天皇の不拡大方針の裏には米英や中国への配慮があった。一段大局に立ってものを見て居た。石原莞爾の作戦は、あくまで軍事的レベルの作戦であり、先の見通しに関しては甘かった。

 陛下は戦争回避の努力を続けていたが、石原莞爾は戦争の準備を進めていた。石原はどれほど東條のやり方を責めたとしても、石原もまた大局を見誤り、満州事変が戦争の引き金になった。

 天の岩戸開きとは、天皇の威光が世界に輝くことであるが、軍部はそれを武力で行おうとしたために各地の恨みを買った。これは素戔嗚が天照大神に信じてもらえず地で乱暴を働いたとされる故事と重なる。

 かくして天皇の威光は広がるどころか、戦争の責任は天皇にあるとされ、今日に至っても天皇と政治や経済、ことに軍事が関係することはタブーとして世界中に怖れられている。

 戦後これは経済戦にすり替わったが、これも最近ではTPPなどアメリカの謀略に日本は瀬戸際までおいつめられている。

 この状況をひっくり返すとすれば、現代の価値観とは全く異なった価値観の上で物事をみなくてはならない。

 世界が日本に注目し、日本の天皇に注目すること、日本の天皇制が海外の王制と異なって、神より与えられた権能で治められるという太古の神授説によるものであること、そして神を実在の存在と考え、政治が神人一致して行われること。

 こうした古代の理想政治がまだ実現する可能性が残っている稀有の国であることを実証する必要がある。

 

 

 

 


9.日本が統治したほうがうまくゆく?

2016年03月25日 | Weblog

 戦前の日本の軍部の見解を見ると、台湾や中国、朝鮮で日本が統治したほうがうまく統治して庶民が幸せになるような意見がある。

 これは中国や朝鮮にとっては余計なお世話ということになろうが、下々からすると、当たらずといえども遠からずの感情はあったようだ。特に朝鮮半島の状態はかなりひどかったということが歴史書に伝えられている。

 前提を変えて考えてみる。太古においてアジアがヤマト民族の統治下にあったとすれば、それを回復しようとする神功皇后の三韓征伐や、太閤明智の大陸進出策、陸軍の大陸進出は100%侵略とは言い難い面もある。

 イスラエルが信仰に基づきエルサレムを奪取して作られた国であることを考えれば、あながちおかしなことではない。

 歴史学は政治の影響を受ける。

 今日の日本史は神武天皇の存在を認めていない。だが学者が認めていないことが事実であったことはいくレアもあることである。

 あれだけの資料がありながらなおかつ神武天皇の存在を否定しその根拠が記述がシンプルだからではそれこそ学問としてはおかしい。

 

 

 

 

 

 

 

 


8、バハイ教と大本

2016年03月24日 | Weblog

 バハイ教はイランで生まれた。

 預言者としてのバブ、

 顕示者としてのバハオラ、

 後継者としての息子のアブドルバハー

 によってほぼ確立され、現在はアメリカなどでも信者が多い。

 マホメット以来の新しい基準を確立したといわれている。

 人類の平和と統一を究極の目標とし、真理の自己探求、男女平等、一夫一婦制、科学と宗教との調和、偏見の除去、教育の普及、国際補助語の採用、極端な貧富の差の排除、各国政府と法律の尊重(暴力革命の否定)、アルコールや麻薬の禁止などの教義、戒律を持つ。発祥地のイランや中東に留まらない世界的な普遍宗教としての性格を有する。(ウィキペディア)

 

   男女平等をかなりはっきりと打ち出している。この点についてはおおもとが男女といっても夫婦の役割として針と糸としてその特質を強調しているのと違う。独身の男女と夫婦との違いが認識しがたいことがあり、夫に力仕事や皿洗いをさせることが平等だと思っている節もある。

 世界の共通語の出現を打ち出している。当初エスペラントが有望視されていたが、英語が普及するに従い、明確にどの言語という指定をしていないというところから英語が強く押し出されるようになった。

 万国正義院という評議会があり、世界の諸問題を複数の代表で解決するシステムがある。9名の代表が選出され、世界中の問題を扱う。

 バハイ教については出口王仁三郎の霊界物語に好意的に出ており、当時国際共通語として期待されていたエスペラントと相まって、話題になった。

 しかし両者に組織的な関係が持たれたとは聞いていない。

 バハイはアブドルバハー以後アブドルバハーの孫にあたるショーギエフェンディが守護者としてバハイを世界に広めた。

 伝説では預言者バブは超人的な知識をほとんど勉強することなく習得していたという。そして最後は銃殺されたが、その直前に奇跡がおきて一度銃殺を回避している。

 初めの銃殺隊のリーダーがクリスチャンで、どうしてもバブを撃ちたくなかった。バブに聖者ならなんとかしてくれと言った。時至ってやむ得ず発砲したが、目の前から消え、バブは牢で別の人に伝えなければならないことがあると言って話をしていたという。

 銃殺隊のリーダーはこの奇跡を目の当たりにして銃殺隊の役目を辞退し、別のリーダーがバブを二度目に撃ったという。幻覚だと言ってしまえばそれまでだが、神秘的な人物であり、そのバブがヨハネの如くバハオラを教団の指導者としてたてた。

 バハオラはコーランに匹敵する新しい時代の律法書とでもいうべきキタ・ベアクダスを作成した。

 そのご長男のアブドルバハーが聖約の中心としてバハオラに指名された。

 このバブ、バハオラ、アブドルバハーは特別な存在である。

 大本にあっては、出口直、出口王仁三郎、出口日出麿が存在するようなものだ。当時私はこの三人とバハイの三人を重ねて考えることがあった。

 出口日出麿については、分派した人たちがずいぶん批判的に扱ってはいたが、かつて 道院のフーチで運靈として出口王仁三郎の後継者として評価され、絶大な信頼を受けていた。 日の出の神は別に出口清吉というひとが生きていたなど裏事情はあったが、ともかくも日出麿氏の見識は群を抜いていた。

 救世主の出現はヨハネとキリストによく対比され、霊界物語にもそういう表現が出ている。出口王仁三郎はそういう表現を出しておきながら、実際のナザレのイエスとは別だといったりしている。

 大本の基本的な郷里から、縦と横の糸のからみで経綸が動くことをヨハネ、キリストで説いたのかもしれない。

 ヨハネが預言者と呼ばれようが先ぶれと呼ばれようが縦の役割を背負い、キリストが横の役割を背負っていたともいえなくはない。

 ともあれ、出口王仁三郎のナザレイエス観は少々厳しく、贖罪思想はとっていない。また処女懐胎にも否定的な発言がみられる。

 しかしこの問題を追及して益するところは少なく論争から宗教間の亀裂を生じるより、それぞれの宗教の根幹部分を確認して連帯したほうが賢明だという理解があったのだろう。バハイでもこの問題は答えを回避している。

 出口王仁三郎が示したかったのは原型としての「型」であったろう。

 ヨハネ 神世開基と

 キリスト 神息統合

 その型がイランではバブとバハオラとして顕現したのではないだろうかと当時の私は考えた。バハイ教に対するイスラム教の一部の派からの反発は強くバブの銃殺とバハオラの投獄という結果を生んだ。

 大本は中国で多くの宗教団体との提携を持ち掛けた。それが失敗に終わったのは誰が中心人物かということであったと聞いている。クリスチャンは当然キリストイエスというだろうし、イスラム教徒はマホメットというだろう。距離を保った協力はできるが、それぞれの教理の中心者がだれかについては譲ることが困難である。

 バハイとの提携が困難だったのはおそらく、バハイの信者はバハオラをこの時代の唯一の顕示者として考え、出口王仁三郎を顕示者としては評価していない点である。この部分はバハイ教にとって核心部分であり、道院が出口王仁三郎を尋仁として偉大な指導者として評価したのとはかなり違う。

 霊界物語64巻上にはあなない教の信者とバハイの信者と遭遇がかかれている。出口王仁三郎がこれを書いたのは1923年。アドブルバハーがなくなったの1921年である。

 霊界物語の登場人物にどちらが大聖主かという比較話がでているが、登場人物にはいかに大聖主といえども亡くなってしまっては救済事業に手の下しようがありますまいと言わせている。(まあ後継者がその事業を受け継ぐことはあるがとも言っているが)

 だが後年出口王仁三郎自身にもこのことがあてはまってしまうことになる。

 バハイは万国正義院を中心とした組織とルール確立し、いわゆる大聖者がいなくても組織が運営される組織をつくり、ショーギエフェンディという守護者まで用意するという周到にして遠大な計画をもっていた。これが見事に成功してバハイは世界に広まった。

 ところが大本ではすでに記したように教団内で分裂がおきて後継者が教団を訴えるという事態が起きた。しかも後継者と目される人の思想は出口王仁三郎聖師の思想と異なったことを言い始めた。このため出口王仁三郎が決めた後継者を彼の死後変えざるを得なくなった経緯がある。

 情けない話だと思う反面、結局どちらについていかねばならないかわからくなった信徒こそいい迷惑である。教理をよく腹に入れておかないと間違える。

 実は後から知ったのだがバハイ教にもバブが指名した後継者がいた。

 後にその男はバハオラは対立したという経緯がある。バブが見誤ったのか、魔がさしたのか。

 この男はバブ教という別教団をつくり、最後にはバハオラを暗殺しようとしたらしい。

 暗殺に比べたら訴訟など可愛いものかもしれない。

 そういえば釈迦を敵視し、信者の一部を連れ去ろうとした提婆達多は釈迦の親戚にあたる。

 似たような型が現れるものなのかもしれない。

 釈迦は後継者として舎利弗がいたが、釈迦に先だって逝去した。釈迦に先立つ二人の師匠は釈迦が悟りを得る前に亡くなっている。つまり釈迦は不幸にも師にも恵まれず後継者にも恵まれなかった。

 釈迦は生まれてすぐ転輪王になるか救世主になるかという預言をされた。これは興味深い。

 イエスもまたピラトからユダヤの王とされている。

 転輪王となにか聖なる王というニュアンスで考えれば、政治力を持った宗教的な宿命を担った王ということになる。

 占い師は釈迦の中に同時に二つの可能性のある相をみたが、結局出家して国を捨て、悟りを開き、後者に近い存在となった。ちなみに釈迦族は太陽の末裔と呼ばれた種族だった。太陽族とは太古日本がアジアを支配していたころの末裔ではなかろうか。だとすれば釈迦は皇族の血を引いており、釈迦族の王子として国を治めるべきであったのかもしれない。

 出家して乞食で暮らすという生活形態は日本ではフィットしない。仕事はつかえることであり何らかの職業を通じて修行をするものと考えられている。

 当時のインドだからこそその道を利用できた。

 出口師の預言では、当時救世主は再誕している。エルサレムには再臨する。再誕と再臨は違うといっても、すでに出口王仁三郎師がいないとすればダライラマのように転生していなければならない。

 第三次大本紛争は出口王仁三郎聖師がいうように「栗のいがが内からはぜるよう」におきたことから、大本の使命は終わったと道院の笹目秀和氏の口からも聞いたことがある。しかし私にはそうは思えなかった。

 出口王仁三郎聖師逝去後、出口日出麿氏が心神喪失に見える状態であったがわずかに筆をとって書く単語には私は個人的に感ずるところが多々あった。分派の人たちや後継者といわれる栄二氏は認めようとしなかったが、何らかの神秘が働いていることが、その筆からは感じられた。

 しかしながらその日出麿氏亡き後、教団が正しい道を歩んでいるかどうか、私は判断する立場にない。

 ただ残された祭式、資料などは一級のものであり、日本の太古史を知る上では欠かせない。さらに日本の神社神道・・・が様々の歴史を経て今日の形になっているのでどれが真であるかも難しいものもある。芯でないからと言ってその土地や個人の信仰を覆していいものかどうかわからない。間違っているからつぶすでは、明治維新に仏教を弾圧したような結果になる。

 ゆえに私は大本から距離をとり、大本という教団内のことよりも、世界の中で柱としての日本とユダヤの関係、太古の真実、人類の本来の姿などを探っていきたいと思った。

 

 

 

 


7、ユダヤ民族とヤマト民族

2016年03月22日 | Weblog

 現在の日本人は多数の民族がまじりあっている。そのなかにはイスラエルの失われた10支族も入っているという。

 しかし皇室の先祖は「神の選民」とは違うということを出口王仁三郎は言っている。皇室の祖先は神の直系であるという。

 この場合の神は、欧米のエホバの神というものではなく、高貴な種族の末裔ということを意味する。

 人種差別するのは心苦しいが、西洋でいう肉体を持った天使のような種族の存在が前提とされている。

 アダムとイブから生まれた人類の話は有名で、これを認めながらも、それ以外の天使が肉体をもって現れた種族がそれ以前にあったことが示されている。

 このあたりになると神話の話になるので受け入れられない人もいるであろう。私も伝聞でしか伝えられないのがもどかしい。

 つまりおおもとの神話では天使人類と、アダムエバから生まれた人類が同時に存在していた時期がある。やがてそれらはまじりあってゆく。

 創世記をこの視点でみると神が複数になっているところが腑に落ちる。

 「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。」 

 ノストラダムスが「天使人類の子孫・・」という言葉を残しているが、それは我が国の皇室を示したものだと解釈すると腑に落ちる。

 だが皇室も様々な血縁関係を経て今日に至っている。決して純粋な天使人類というわけではないだろう。

 話をもとに戻そう。

 おおもとは二柱の神の存在から説きだす。国常立の神と豊雲野神

 二つの原理、富士と鳴門の仕組みともいうし、縦と横の経綸ともいう。

 性質の正反対の原理、神が交差して世界の経綸が実現する。

 一方が日本であれば他方がユダヤであり、出口王仁三郎は決してユダヤのすべてを悪とはしていない。

ただ、多くのユダヤが悪神に支配されているということは、霊界物語の6*巻に物語として書いている。

たとえばシオン運動と大本とは関係ないと言い切っている。エスペラント語を開発したザメンホフは最初シオン運動に賛同していたが、途中から離れた。ユダヤのすべての活動を良しとするものではない。

またイスラエルの支流が皇室だという意見もあるがこれも選民と神の子孫との違いがある。

 ユダヤの財閥は世界の国境を超えて権利を主張するTPPのようなものを利用して超国家的経済活動を堅固なものにしようとしている。それは従来の国家の枠をある意味破壊してゆく。弱肉強食の過程で世界は一時混乱するかもしれない。

 しかし最終的には世界は12のブロックに分かれて、我が国の天皇により統治されるというのが私の大本解釈である。

 12はおそらく民族的気質により12の宗教がカギになるであろう。現在はイデオロギーによ東西の分裂は崩れ始めているといわれている。共産主義の限界が見え、資本主義、民主主義が勝ちをおさめ、グローバリゼーションの名のもとに、経済的弱肉強食が行われている。

 経済優先でブロックをつくる試みがなされているが、これは非常に難しいし、強いもの勝ちになりやすい。

 まずは世界の宗教が対話する試みからはじめ精神的ルネッサンスを日本に起こす事が肝要であろう。

 ダライラマとマザーテレサは争うことなどしない。

 私は霊界物語でも紹介されているバハイ教についても学ぶことにした。

 

 

 

 

 


6、民主主義 ユダヤ

2016年03月21日 | Weblog

 これまで思考実験として、また他人の意見として読んでいたものを頭から自分の生き方に反映させるには相当勇気がいる。

 民主主義が真と考えられている世の中で君主主義を主張することは非常に難しい。時代錯誤、戦前の亡霊、軍国主義などと結び付けられてしまう。

 ゆえに、自分の思想は簡単には人に明かさない。人には理解できるようなパーソナリティを作っておく。そうすると人は安心する。これは天真爛漫な生き方をするのとは反対で他国でスパイのように生きることを強いられる。

 ある意味非常に難しい。しかし、知ってしまった以上、変人として生きるか、自分を隠して生きるかしかない。

 民主主義については他のところでも述べたアテネの民主政は今日の民主主義と違うと主張することで、プラトンが国家論の中で民主政を下位に位置づけたことから目を背けようとする学者は多い。

 民主主義には問題がある。論理的矛盾があり、それは現実世界では権力闘争や衆愚を生み出す。このことに気が付かず日本には真の民主主義が根付いていないという者もいるが、では民主主義が根付いている国があるというのならその政治のありさまをみてみるがいい。必ず問題を内包している。それは民主主義が完成していないからではなく、民主主義自体に矛盾をはらんでいるからだ。

 民主主義は君主主義をひっくり返して理論を作った。複数の民を多数決によって民の意思として擬制(むりやりみなし)し、これを主として政治を構築しているので、現実との矛盾が生じる。

 民主主義は哲学者にとっては耐えられないくらい誤魔化した論理によってなりたっている。

 正直に多数決主義、多数意思主義とでも言えばよいものを、少数の意見を無視して民の意思としてしまうずさんさが、政治闘争の原因になってsます。

 君主を倒してしまった民衆は誰かをリーダーにせざるをえない。それを多数決で決めているだけ。多数者の意見は反映するが、少数者の意思は無視される。

 では人類は多数が賢明だろうか。議論の余地がある。政治の能力のない人が政治家になったりもする。

 多数決を国民の意思とするのは擬制つまりあたかもそのごとく・・でありそのものではない。

 蜂が女王蜂を頂点として組織づけられているのは教訓かもしれない。それは生まれながらにして女王鉢の素養を持ったものが女王蜂として君臨する。

 人類は天皇が頂点として君臨すべく宿命づけられている。というのが太古の日本の考え方で、私が理解したおおもとの思想の核の部分である。

 日本は皇統を維持す国柄であり、それが日本の使命でもあったと思われる。縦と横でいえば限界の世界ではタテの役割である。これに対して横の役割を担って言えるのがユダヤ民族である。

 神の選民と呼ばれるユダヤ民族はこの皇統を支えて世界を整える役目を担っている。

 日本では神道関係者の一部に親ユダヤ派、反ユダヤ派がある。世界経済を動かしているのはユダヤの財閥で、シオンの議定書は悪神の神諭とも言われている。

 ユダヤ派は古い歴史に基づいて祖国を回復した。この運動は是か非か。

 出口王仁三郎は時々ユダヤやフリーメイソンについて言及しているr。

 世界経綸にユダヤは深くかかわっている。

 出口王仁三郎は世界の経済戦がフリーメイソンによって引き起こされているとしている。

 

 

 


5、道院と宗教の考え方。

2016年03月19日 | Weblog

 大本の文献を読んでいると、他の教えを排斥しているのではなく、別の宗教との連携に気を配っていることが分かる。中でも道院という中国に起こった団体(これは紅卍会という慈善団体と一体になっているのだが)との連携が強調されており、出口王仁三郎も出口日出麿もこの団体を通して、満州蒙古で歓迎されたと聞く。清朝のラストエンペラーの侍従のなかにもこの道院の信者がいたといわれている。 

 そこで私も道院へゆき道院がどういうところか、どういう修行を行うところかを知るために赴いた。道院は二人で自動書記を行い、その神示によって経典や組織が形成されていた。しかし共産中国が確立してからはその中心は台湾と香港に散り、それぞれ活動を行っていた。完全に協力関係にあるかどうか、様々な事情もあるらしい。台湾にもやはり分派があり、どちらも自動書記を行っていた。

 自動書記自体は神秘的だが、それが正しい神によるものか邪霊によるものかは正直私にもわからなかった。

 日本には当時笹目秀和という仙人のような人がいた。お目にかかったがかなりご高齢であった。奥多摩の大岳山にヘリが降りることのできる院をつくった。

 笹目氏は大本とも関係があり出口王仁三郎師や日出麿氏に大本のご神体を崑崙山におさめるよう頼まれたと書き記している。また彼は戦時中モンゴルの徳王のサポートを行っていたようだが途中意見の相違で身を引いたようだ。合気道の植芝盛平とはあまり意見が合わなかったようす。大本の三代教主には道院の坐を進めたが、三代教主は座禅を重んじ受け入れられなかったと聞いている。

 笹目氏は当時神仙の寵児とかいう書物を描いていて、中国大陸での体験談を披露している。捕まって監禁されたことや仙人との出会いなども描いている。

 道院の修行法についてはあまり詳しく書くことができない。これはそれについて説明する専門の修行者がおり、入門しないとそれを明かすことができない。入門はそんなにむずかしいものではない。求修といわれているが、儀式と一定期間の坐を行うこと、基本的な心得などが教えられる。

 私は座禅で足を組むのが苦手だった。その点先天の坐法は苦労がなかったが、微妙な手の位置や姿勢などがしっくりくるのにだいぶ時間がかかった。

 いくつかの神呪が教えられ、この神呪と坐それに慈善活動が基本修行となる。仏教を見てきた私には非常に合理的で整理された体系に思われた。

 経典があるが、その内容は仏教などよりもはるかに難解であった。

 しかし個人用に般若心経のような短い経があり、求修したものを渡される。

 私はここでも団体内での争いに遭遇し、みんなと活動してゆくという気持ちになれなかった。

 自動書記はすでに停止しているとのうわさも聞いていたが、いまのところ健在だった。台湾との繋がりがあり、台湾から一行が訪れていた。

 出口王仁三郎は大本と道院を一体としてとらえ、大本は道院、道院は大本であるとも言っていたという。したがって私もまた両方を心身にしみこませるようにした。これは益するところ大であった。

 大本は祭祀を重んじているまた霊界物語を読むことを重んじている。道院でも祭祀があるにはあるが、坐と呪、経典を集まって読むことを非常に大事にしていた。

 すべてを行うのは正直自分には無理で抵抗があった。知が勝ちすぎて、どうしても理解しようとしてしまい機械的になにかを実施するという気力がわいてこない。これはたぶん自分にはまだ許されていないのだと思うようになった。入門したての頃は自分が偉くなったような気にもなったが、驕りであり、分相応というところだ。いやひょっとしたら落ちこぼれかもしれないと最近思うようになった。

 道院の教えの中には、自分に穢れがあると穢れを引き込んでしまい次々に悪い方に行ってしまうというのがある。不運といわれるものの大部分がこれなのだと理解するようになった。たとえ先祖の因縁であろうがなんであろうが、解消させてしまう免因呪というのがあって、何十回も唱えることになっている。ところが自分にけがれがあるとこれを唱えることがなんとなく嫌になってしまう。怠惰という形で現れてしまう。いいわけをして続かないのだ。

 何十年とこれを繰り返している。しかしながらほんのわずかの間でもこの呪を唱えるようにしていると少しづつ運が開けてくるような気がする。

 一気に転換できるものではない。少しづつだ。

 坐も慣れないうちは具合が悪くなってしまうことがある。姿勢のどこかに無理があるのだ。また自分の気が乱れている時はうまく落ち着かないときもある。無理をしないほうがいい。

 基本通り神呪を繰り返すとかなりおちつき、坐も身体が軽くなる。これらがおきると一日物事がうまく運ぶ。

 しかし人間は愚かなもので縁に触れてまたむさぼり、怒り、愚かを繰り返してしまう。うまくいっている時ほど、いったん落ちるとダメージも大きい。このあたりが無理をせず少しづつということなのだろう。染みついた垢は容易には取れない。習慣の垢もあろうし、先祖から引き継いだ垢もあろう。今でいえば遺伝や気質や家族の習慣の伝承だろう。原因を見つめても解決にはならない。解決にはひたすら呪と坐を行うことだろう。

 言っていることは他の宗教と同じようなことである。しかしこれは技術である。太古にもあったといわれる修行方法だそうだ。故に道院は宗教団体として登録せず、宇宙の最高学府と称している。 

 おおもとにも鎮魂法というのがある。また祝詞があり、短い祈りの語句がある。ただ進められる比重としては大本では最も重視されるのが「カムナガラタマチハエマセ」や天津祝詞と霊界物語の読誦であろうか。道院でいわれるほど鎮魂法をかならずやれとはいわれない。帰神という神がかりは禁止されている。また別途自動書記のできる人がおきても、惑わすものとして重視されない。自動書記という現象は低級な霊がかかるということもあるのだ。

 道院にいわゆる教主は存在しないが、大本には教主が必ず存在し、血縁の女性が受け継ぐこととなっている。

 宗教的な内容はただ単に道徳を説いているだけではなく、ともに宇宙の創成や神々の活動に及んでいる。

 私はどちらにも深い縁があって知ったわけではなかった。それゆえにどちらに肩入れすることもなく一定の距離を置きながらみることができ、組織内の紛争から逃れていられた。

 しかし距離を保っていると形式的な面を十分に取り込むことが難しく祭祀などはやらなければ忘れてしまう。習慣からは離れてしまう。

 家族は宗教を嫌った。大本の信仰を持つ人を家族にすべきかどうか、一概には言えない。大本には様々な縁で人が集まっている。よき人もいればなかなか難しい複雑な人もいる。同じ宗教だからうまくゆくとは限らない。

 私は大本と関係のない人と所帯をもち、まったく理解されないための孤独も味わった。しかしこれは結婚する前と同じである。宗教は強制してもしょうがない、否強制すべきものではないということを深く学んだ。

 数十年精魂を傾けてようやくたどり着いたところは到底現代人が理解できるものではなかった。

 関西の古い新興宗教の奥に、眠っている時代錯誤の考え方が真理であるなどということを誰が理解できるだろう。

 そういう思いが繰り返し襲ってくる。

 人は宗教の表面だけをみて判断する。みそとクソの区別がつかない。学者は世間の地位は高くともこの領域は理解できない。人間が猿人から進化していると考えていては、ミッシンクリンクは見つからない。

 人類は記憶喪失を起している。今まで六度世界は泥海になったという。そのたびに文明が滅んだ。

 そういうことを教える学者はいない。

 自分はオカルトおたくに陥ったのだろうか。たびたび自問する。

 そうではない。

 多数がかかっている催眠術、記憶喪失から脱却しようとしている。

 近代の迷信は機械論的世界観である。エビデンスがなければ存在しないかのような理解。これが生命の理解を妨げている。

 この世界と生命の連鎖が自然にできたというのか。それを感じる人間が自然に発生したというのか。

 宗教はつくりものなのか。・・・そういうものもある。だがそうでないものもある。

 今でいう異次元がこの世界に並立している。幽界であり神界である。太古に会ってはそことの行き来が可能であった。もっと近いものであった。

 この世はその世界のうつし世である。

 プラトンのイデア論と日本の神界の考え方が奇しくも一致している。