天皇は天と地を映し出す鏡の役割を担っているとすれば、そこには神の意図と、人々の心が映し出される。
専制君主との違いは一方的に人々に命令するのではなく、人々の意思を映しだしながら、天意との調和を図っていく。
真釣り合わせるというのはそういうこと・・・ではないかと思う。ただしこれは私論であり、出口王仁三郎の論ではない。
出口王仁三郎は天皇は人々の主師親であるという。そうあるべきという理想を示したのであろうと思われる。
神功皇后に神がかりがあったり、オオタタネコという天皇以外が祀らねばならないことがあったりと、皇道には不可解な面が多い。
出口王仁三郎は自分が天皇に取って代わろうとしたのではない、。オオタタネコに役割を果たそうとしたのである。
オオタタネコは崇神天皇が疫病を鎮めるため夢のお告げから探し出した斎主である。誰が祀ってもよいというわけでもなく、天皇が執り行えばいいというものでもないことが分かる。
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