あの日から17年。
名古屋でも飛び起きたくらいの揺れを感じました。 慌ててテレビをつけたのを覚えています。 そのあと、映し出された光景から一日中眼を離せずにいました。
自然はどうして人間にこんな試練を与えるのでしょうね。
名古屋から安否確認のために駆けつけた人が道路も寸断、電車も通じないからと、折りたたみの自転車と、そのころ出始めた携帯電話を慌てて用意したのを思い出しします。
我が家でも、親戚で亡くなった方がいて、一時期その方のお子さんが名古屋に避難してきていました。 同じくらいの年齢の子がいるということで、たまにウチにも遊びに来たりしていました。 落ち着いて神戸に帰って以来お会いしていませんが、今どんな青年になっていることでしょう。
毎年ロウソクがともされる公園に、一昨年行く機会がありましたが、震災の爪痕を想わせる風景は全くなくて、復興したんだなと感じさせられましたが、東北地方の震災地がそうなるのは、いつのことになるのでしょう。
辛くて悲しい思いをした多くの人たちの今を想います。
きっと大変な思いをした分、他の人には得られない何かを持つことができたのではないでしょうか。 優しさとか、強さとか。
そう思うと少しは救われるような気がするのですけれど・・・
夜のテレビで今回の津波の時に、小学生たちが、自分たちの判断で、しっかり避難したり、家族や周りの人たちまで誘導して助かったところがあったと報道していました。 どうやら以前からの災害に対する教育が役立っていたらしいとのことでした。
不幸なことですが、神戸の地震と今回の津波の大きな被害は嫌でも世界中の人の脳裏に焼き付けられました。
それが今後の起きるかもしれない災害の時には、少しでもみんなの命を助けることになればいいのですが。
もう原子力発電がいかに脆くて、一度事故が起こったら、人間には手の着けられない魔物になってしまうものか充分よく判りました。
これ以上使うべきものではないことを今回のことから学習出来ない程、人類は愚かではないと思います。
いろいろな人の「満月の夕」 聴いてみました。
歌詞もいろいろあるようです。
どれを聞いても それぞれ訴えてくるものがある曲ですね。