わたし達キリスト教徒が王と呼んでいるキリストはユダヤ人の王であったようだ。当時のユダヤ社会の王は別にいたわけだがそれでも救い主ヨシュアが祭司一族と王族との末裔であった事は福音記者によって明記されている。読み方にもよるが人によっては推認出来てしまう事だ。
異邦人のガリラヤ。誰にとっても嗣業の地などではないガリラヤに亡命するようにまるで平家の落人部落?のように住み続けていた人達がいたのではないか。ひっそりと この世的な生業も持ちながら。当時のユダヤ社会においても 王族と祭司一族の結婚は珍しい事ではなかったようだ。非常に-とんでもなく-とてつもなく-高い宗教教育=信仰という名の情熱の事、を受けて育った若い女性がいて、やはり王族の末裔と いいなずけであったという状況があったようだ。ところでわれらが救い主は聖ヨゼフとは肉における親子ではない、聖書によるとそういうことになる。ニケア信教もマリアから肉を受けたと教えている。
では預言者の言うダビデのひこばえとは誰の事なのか。マリアの肉をのみ受けてお生まれになったイエズスがやはりダビデ王のひこばえと呼ばれる所以は何か。これはイエズス様ご自身も人々に「それはどういう事か」というお話を自らされているので興味は尽きない。残念ながらその時の話の内容は聖書にしるされていない。マリア・・・・様はいったい何者だったのだろうか?
聖書はマリアをアーロン家の娘の親戚とだけ記載しているのみ。もしやマリアは? もしかすると、どちらかというと王族の末のほうの家に生まれ やはり近いか同じのユダ族であった聖ヨゼフと いいなずけになったのかもしれない。なのでマリアはエリザベトとは親戚という表現にととどまるのかもしれない。なぜ彼らはダビデの町に住まずガリラヤに住んだのか?本来の嗣業の地に住民登録のために戻ってくることができたのならそれ程隠れていたとは言えないが本来の出自は隠していたのかもしれない。普通・・・・・、普通なら、大きめの村位の大きさの自分の故郷に帰ってきて顔が利かないなんて事はおそらく2千年前でもあまり無かった様な気がする。そこでヨゼフ様は馬小屋しか融通できなかったのである。宿屋が満員だったと聖書にはあるが確かにそうだったのだろうが、マリアが月が満ちていた事はわかりきっていた事。距離的に言っても普通なら前もってお願いすることは可能だったはずだ(2千年前予約という言葉が存在したかどうかは謎だが)。にもかかわらず満員だったこともあり得るというものの、やはり何かのご事情があった事も考えられる。
それに普通のユダ族ならばユダ族の嗣業の地にすむのが普通なのに。よりによって彼らは あのガリラヤに住んでいたのである。何故か。
マリアをエリザベトの親戚だからと言って正統派大祭司一族の末裔としてだけみるのはやや偏っていて(そういう血縁はあったと思うけれど)むしろ預言者の言葉の核である表現を無視しないで聖書の言葉を素直に読むと、メシアはダビデのひこばえ、であるならばその肉となられたマリアもまた肉において王の末であったのかもしれない、と思える。
そう女の末にこそ蛇の頭は砕かれるのだ。「ダビデのひこばえは女のほうの末なのかもしれない」。もっとも言語の意味合いや言葉の社会的歴史的背景を無視して深読みしているに過ぎず自分でもこれはかなり近眼的狭視野的深読みのように感じている。そうであっても「ダビデのひこばえは女のほうの末(聖書には単に女の末)なのかもしれない」と思う。
女の末というのは読んでの通り、女の末の事であり、それが女性の末である女性の事なのか、その息子であるのか一般的な解釈においては曖昧でどちらにもとれてしまう。『しかし創世記では女の末を「彼」と言っている』。
ながながと出来る限りの精読を試みたがわからないことが多く興味がますますわいてきてしまう。
わたし達キリスト教徒がことある毎にマリアの御像に描き被せた王冠はつまりはその通りのことであるかもしれないのだ。しかしこれは空想の域を出ない。想像、推測より淡いものに過ぎない。
しかし聖書。
民を統べ治めてきたものが肉における王ではなく律法・他ならぬ神の言葉であることを表すために女性であるマリアのみが選ばれたのかもしれない。おそらくはそのように信仰の目で考える事だけが必要なことなような気がする。
マリアは既に何度かガリラヤの地で王族と祭司一族が結婚を繰り返した その末であったようで、それはネットでも頻繁に垣間見る意見だ。アーロンの娘エリザベトが大変な礼節をもってユダの山里でマリアを迎えていることからも可能性としてエリザベトよりも身分の高いファミリーであった事も想像できる。「主のはしため」と彼女たちが言い表すとき それがどれほど高い身分の事を言っているのか聖書を読むと理解できる。決してそこらの女奴隷の事(当時はそういうのがあったわけだ)ではない。しかもエリザベトは「主のお母さま」と言い表している。天皇家でも陛下のはしためは侯爵や伯爵の娘達である。
エリザベトが普通の当時の神殿で働く祭司と結婚をしたのと比べてもマリアはどのようにしてか王族の末裔と言い表されている聖ヨゼフといいなずけであったことからもいろいろ想像できることがある。
これは宗教的なインスピレーションではなく個人的な趣味の考古学熱が高じた推測にすぎない。
とはいえ日本の一流の聖書考古学者であるカトリック司祭もところどころ共通の意見を御書物に述べていたのである程度は根拠のある推測なのかもしれない。図々しいつもりはなく、自分の推測がちょっとでも接点があったなんて狂喜してしまう。私はと言えば聖書を ある一点の視点から何度も何度もしつこく読み当時の王朝の変遷などもネットで検索した末の推測なのでその範囲に過ぎない。
既にキリスト降誕の時代には正統派王族(ダビデの末裔)と正統派大祭司一族の結婚は何度も行われていたようだ。ガリラヤでひっそりと隠れながら愛国の情熱を燃やして毎日神に祈りを捧げ暦を守り親族とも親しくし、(カナ?)(カナで婚礼を上げたユダユダファミリーも何故ガリラヤにいたのか不明である。怪しい。親戚か何かに違いない、女性であるマリアが出席していたのなら親戚に違いない)、そのように シャバスシャロームを清く保って生活していたのだろうと思う。
ちなみにマリアの御歌がとびぬけていて現代でも通じる知性に輝いているのは祭司一族がおそらく伴っていた伝来の記述筆記の能力の賜物なのではないかとこれは空想してしまう。聖殿の巻物を補完保存する書記官?のような人達とも親族であったり親交を深めていたに違いない。そして物騒な当時のエルサレムに心を痛めていたに違いない。そのような日常にとある出来事が起きたのだと思う。そしてそれはどう考えても超自然的としか思えない出来事だったのだ。
わたしは古代キリスト教ではなくローマンカトリックという宗教と出会いがあってよかったと思っている。おそらく考古学的真実やら事実だけでは絶対に今のこのような信仰の恵みに近づけなかったと思う。特別なことに対して敬意と愛をそして番外な謙遜をもって臨み接することを教えているローマンカトリックは「宗教として唯一」で優れている。おそらくは超自然的な奇跡を目の当たりにしても「そういうの信じないからっ」とか何とかぶつぶつ呟くだけの一般ピープルに わたしはこの宗教無しには 過ぎなかったのではないか?
カトリックという宗教はそのまま聖人によってのみ改革され続けていくべき宗教だと思う。「ガリラヤのマリア様」のように信仰という名の情熱で心がいつも一杯になっている人達によって立て直され立ち返ればいいのではないかと思う。わたし達の不信心によって疑問のある人達(60年代の公会議の時のように)がいじってはいけない宗教なのだと思う。
ところで。
彼らの王を王として戴くわたし達はやはりまたユダヤ人なのか?
どうか。
そのことを考えているともうとっても
ワクワクしてどうにもならなくなってくる。
そして み国が来らんことを、とは?
この世が
あの世が映し出された水面のようで
あったらいいのになぁ。
せめて。