今日は〜人生初の鮎釣りに行ってきた。正直15分くらい糸を垂らしてすぐギブアップ。でも意味もなく糸を垂らし続けて一緒に行ってくださった84歳の叔父とまたもや大声でお喋りをしていたらいろんなおじさん達(皆品位ある紳士達)が近づいて来てくれてわたし達のビクを一杯にしてくれた。
84歳かぁ。いつかきっと懐かしくなって泣いてしまうんだろうね、わたし。。。。
大切な釣果である鮎をお分けくださった皆さんは友釣りのエキスパートのような方達で「全然釣れなかった」と言いながらも「鮎釣り用の船」にはものすごくいっぱい鮎が詰まっていた。「随分お釣りになられたんですね。今夜は鮎の塩焼きですか」とお伺いすると皆口を揃えて「いやぁわたしは鮎は食べない」、えーーーーーーーーー。逆にこの世には鮎を食べないのに釣る方達がいるのかと驚きました。居酒屋のご主人様かなと思い「お客様にお出しするのですか」と聞くと「いやわたしはオトリヤ」さんとのこと。オトリヤさん?
大物鮎も含めて大小様々の鮎を何も労せずして大量に獲得してクーラーボックスに詰め込むとなんだか自分が釣ったかのような気にさえなってしまった。(うそうそ)。84歳叔父と山賊の如く山分けをした。へへへ。
ネットで氷締めのことくらいは学んでおいて良かった。
こうしておくと10分少々であの恐ろしい神経締めや頭叩きをしないで勝手に死んでくれるのだ。(注意; 鮎には神経締めはそもそもやらない)。
でも。
10分は寒さの中でもがき苦しむのかと思うと心が痛んだ。
でもでも他の方法だとわたしが夜眠れなくなると思う。
なにしろゴキブリを毒殺で苦しみを与えて殺すことにも同意しかねるのがわたしなのだ。瞬殺以外は認められない。
時々2ミリくらいの虫を瞬殺して悪いわねぇと謝る始末。
今我が家に持ち帰りフィッシュロースター(普通の魚焼きグリルとかいう部分)で3匹焼いてみた。フィッシュロースターの引き出しを開けてみたら鮎は3匹とも口を揃えてグワっと口を開けていた。(『こんな風に口を開いてしまうものでしたっけ、もしや生きていた? 本当は死にきれていなかったんで途中で覚醒して、業火の中で 苦しくて口をクワッと開けたのかしら、』そんな思いが頭をよぎった)。ちょうど良く焼いたつもりだったんだけど壮絶なものを見てしまったようでまだ食べていない。
どうだろう、鮎、身の芳香がスイカのようかしら、伝説の通り。。。。。。。。
まだ少し残っているので冷凍しようと思う。
明日、多摩川の川っぺりに蓼を取りに行くつもりだ。
蓼酢で食べると美味しいんだそうだ。
2024年 8月26日 月曜日 台風前夜
世間一般はわたしの様な人の事を偽善者と言うのだろうが、ふわりと柔らかくほんの少しだけ滑りのある鮎のしっぽをちょいと摘み上げフィッシュロースターに並べる時どれほど壮絶な思いになった事か。生涯ベジタリアンを通した祖母は「失神しそうになる」とよく言っていたがわかる様な気がする。必死で鮎と目を合わせない様にしてグリルに身を並べた。でも最後の1匹と目があってしまってガツンと来た。人によってものの感じ方というのは違うものだ。
その生涯ベジタリアンの祖母が必死で戦中戦後に自分の子ども達には栄養を取らせようとして失神しながら肉でも魚でも食べさせてくれた。その甲斐があってかおかげさまで皆長生きをしている。皆ちゃんと寝たきりにならずになんとか生きている。申し訳ない申し訳ない。ありがたい事だ。すまない。かたじけない。
後日談; このブログを書き上げたあと意を決して実は食べたんです、その、釣ってきた鮎を(わたしが釣ったわけではないけど)。んんんんんんんん〜んまぁ〜い。こここここここんなに、んんまいのか〜。美味し〜い。へぇ〜。確かに微かな芳香の様なものがある。これがスイカの香りとかいう鮎の身の匂いのこと?へぇ〜、とひとしきり感心しました。
もうすっかり冷たくなってしまっていたけど得も言われぬ微かな匂い。
神様ってすごーーーーーーい。