高橋真樹【Official】/ シンガーソングライター[blog]

2021年10月2日(土)「高橋真樹 20周年記念コンサート@札幌/サンピアザ劇場」開催決定!よろしくお願い致します!

『この街で』第4回

2016-08-22 20:08:38 | Singer Song Writer 高橋真樹【日記】
今日8/22で、デビューというものをさせていただいてから丸9年が経ちました。皆さんのおかげで歩み続けさせていただけていること、本当に感謝しています。

まだまだ荒削りな僕の音楽ではありますが、更に良質なステージング・作品をお届けできるよう、そして更に喜んでいただけるよう、この音楽道を努めていきますので、これからもよろしくお願い致します!

そして今年は、高橋真樹 / 音楽活動展開15周年。15年間の集大成として臨む【10/1(土)旭川市民文化会館】でのステージに向けて、確認の意味を込めて綴る『この街で』第4回。多分、このシリーズで最も長文なので、お時間のある時に…

◆『この街で』第1回はこちら
◆『この街で』第2回はこちら
◆『この街で』第3回はこちら

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経験は物を言う。とまでは思わないけれど、経験は強味だとは思う。けれど、経験に胡座をかけば、すぐさま経験に飲まれてしまう。僕はそうも思う。毎回が挑みの連続。それは今までもこれからも。

【2001~2005年】

当時よく唄っていたのは『シビア』、2002年に作った『あきさめ』、初めての東京で作った『桜咲く頃に』、オーディションで優勝した『To Yuji』だった。2004年頃からは『海へはせる想い』『放課後』『大丈夫』、そして2005年には『伝言』の輪郭ができた。

2001~2006年までは、前座3曲15分、対バン・ジョイント形式で5曲30~40分のLIVEが多く、ソロLIVEは年に2回できたらいい方だった。

前座。

「絶対に本編の人を喰うぞ!」という、一見無謀とも思われる意気込みのもと、本音としては「本編の人をやりづらくさせるぞ!」という気概をしのばせつつ、ステージに挑んでいた。

何年か前にこのブログに書いたこともあるのだけれど、僕は「前座」から始まった人間だからこそなのか、その言葉の響きがたまらなく好きでいて、たまらなく嫌い、そんな感覚がある。もしもあの頃の僕が今の僕の前座をするのなら、それはそれでとても興味深い(笑)

「対バン」も「前座」と同じ…否、それ以上の気概で挑んだ。

例えば出演者5組中4組はバンドで、弾き語りは僕だけ。そういう状況こそ燃えた。バンドの連中は音的な意味合いで、いわゆる「華」があったし、その中にこちらはギター1本で挑むわけだから、どんなに歌詞やメロディが良かったとしても、演奏として、ただ単にジャカジャカとストロークだけだったり、指で爪弾くだけの弾き語りだったら、サーッとお客さんが引いていくのは歴然だった。

だからこそ、僕は「一人バンド」を追求し始めた。自分のLIVEでカラオケやドンカマを使うのは嫌だったし(今も)、自然とバンドに負けないものを追求するようになった。これはパフォーマンス的要素だけれど、指1本で弾いてみる。ベース音を弾きながらリードを入れてみる。チューニングを変えてみる。等々、今もその途中で試行錯誤の連続だけれど。

とにかく色々なLIVE状況を経験せねば!と、ただただがむしゃらに挑んでいった。と同時に、色々な唄を作り貯めていった。

【2006年 春 / 24歳】

生意気にも「東京どさんこツアー」と題して、東京の各所ライブハウスで8日間連続LIVEをさせていただけることになった。

その際から、東京の高田さん(studio KJS/ 現・ELLIPSE)の住むスタジオ兼ご自宅にお世話になるようになった。色々な音楽を聴かせてくれた。ドゥービー・ブラザーズを初めて知った。

東京。

それまでの僕の東京への向き合い方は、いわゆる田舎者コンプレックス丸出しで、目深に被った帽子の奥から理由なく両目をギラギラさせているだけだった。苦労話をする気は更々ないけれど、新宿駅前東口のあふれ返る雑踏に紛れ、たどり着いた駅前屋台で伸びきったしょっぱいラーメンをすすったこともあった。その情景は後に『赤提灯』(2008年)という唄になった。

余談だけれど、その感覚が180度変わったのは2013年 3rd.Album『3』のジャケットにもなった、谷根千(谷中・根津・千駄木)を歩いたり、東京の空をちゃんと感じられるようになってからだと思う。

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「東京どさんこツアー」を終え、帰旭してからは「FMりべーる」での担当番組も本格化してきた。番組変遷についてはまたあらためて。

東京滞在中は様々な出会いがあった。この際だから書くけれど、日本の誰もが知っている大物歌手の編曲やギターを担当していた方から「お金を出してくれるならデビューできるよ」と話があった。

当時の僕は、色々と悩み揺さぶられたりもしたのだけれど丁重にお断りした。僕は「こちらからお金を払って冠を買うようなものは、デビューではない」と今でも思っている。

東京ではまた、大変有り難いことに新たなレーベルとの出会いもあった。結果、こちらから一銭の持ち出しもなく、デビューをさせていただいた。細かくは以前にも書いたから割愛するけれど、またひとつ「扉」を開けることができた。


↑当時、掲載してくださった記事。

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話は少し前後するけれど…
2007年1月。

拠点のアーリーで、マンスリーLIVEをさせていただけることになった。念願のソロLIVE。ただ、このLIVEにはひとつ条件があった。

当時25歳。「オリジナル500曲近くあります!!」と「若気のいたり」というより「馬鹿気のいきり」で宣言すると、マスターはこう言った。


「じゃあ、毎月全曲違う歌でやってみろ」と。


マンスリーLIVE1年目は、1時間半の枠だった。1回のステージで12~14曲。「曲、いっぱいあるんですなんて言わなきゃよかった…」という本音をしのばせつつも、自分に負けたくない一心で1年間何とかクリアした。

けれど、大きな発見があった。僕が旭川に移住して初めて書いた『忘れがたき夢』という唄を練り直して、『流れ星』という唄に生まれ変わった。

現在、2時間フルでお届けしているマンスリーLIVEは、今週8/27(土)で116回目を迎えることとなる。

【高橋真樹 マンスリーLIVE】の内容はこちら


↑リンゴスターと並べていただいた(汗)


【2008年1月】

マンスリーLIVE2年目は、月毎に季節に合った唄を作るという課題があった。『あかし』『如月』『五月の桜』といった現在も残る作品たちも生まれて、曲調も大きな転換期だった。また、1st.Album『Expressong』が完成してから次なる一手を打つべく、色々と模索していた時期でもあった。


旭川、札幌、東京。

また色々なことを考えた。




『どうして旅に出なかったんだ』



友部正人さんの曲が
耳に飛び込んできた。



決めた。






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INFORMATION (全敬称略)
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■【8/27(土)】 旭川
■【高橋真樹 マンスリーLIVE2016 vol.116】

※デビュー10年目突入記念LIVE~Special~※

【会場】アーリータイムズ
【住所】旭川市2条3丁目左1号

【開場】18:30
【開演】19:00

【料金】3000円(1drink付)

【ゲスト】玉置真人(Percussion)

【お問い合わせ】
0166-22-2461 アーリータイムズ

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8/27(土) 旭川「アーリータイムズ」vol.116
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9/15(木) 青森県弘前市「弘前プラザホテル」
9/16(金) 青森県八戸市「Power station A7」
9/18(日) 札幌「八剣山果樹園」
9/19(月・祝) 旭川「アーリータイムズ」vol.117
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☆10/01(土)旭川「旭川市民文化会館」☆
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10/08(土)札幌「歌酔倶楽部ありがとう」vol.31
10/14(金)北見「LIVEHOUSE夕焼けまつり」
10/15(土)釧路「喫茶えいが館」
10/16(日)中標津「cafe just one」
10/22(土)富良野「エデン」
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11/20(日)札幌「meteor」
11/26(土)陸別「R'z」
11/27(日)本別「エリート」

高橋真樹Official Web Site





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