ギタリスト・末原康志さんの訃報。
僕は2007年、ご縁がありました。
1st.Album『Expressong』で、僕の編曲イメージを更に広げてくださった方。「流れ星」のイントロのMartinは、まさしく末原さんの音です。
ちょっと長文です。
_____
2007年6月。
東京・原宿レコーディングスタジオ。
末原さんには、レコーディングの合間に、コードを押さえたままハーモニクスを奏でる弾き方を教わったりもした。気さくな方だった。
デビュー盤『Expressong』は、レーベルのプロデューサー曰く、ミュージシャン3人(末原さん・金武功さん・僕)で各曲の音を構成したいとの意向だった。
中でも印象深かったのは、アルバム2曲目の『拝啓Sapporo』のレコーディング。
ギターのパートは僕が担当。LチャンネルがLarrivee、RチャンネルがGUILD。そして、本来パーカッション担当の金さんは、この曲ではコーラスで参加しましょうという流れに。
「あのさ、この曲、俺のギター入る隙間ないよね(笑)」と末原さん。
すいません…当時の僕は今以上に人間下手で、その受け答えにはただただ笑うしかできなかったんですけど、今だから白状しますと、生意気にも僕、リードが入れないような編曲をしてたんです(>_<)
程なくして、末原さんは「風の音とか、靴の音で曲の世界観、広げてみようか」と案を出した。で、何と!スタジオに置いてあった出前のファイルを手でこすり始め、「どう?風っぽくなるね」と。そして履いていたブーツの踵で靴音を演出。
そう、パーカッションのパートを末原さんが行うという、ファンの方が見たら「おい!末原名人に何やらせてんだ!」とお叱りを受けるやもしれぬ事態。
「レコーディングはこういうマジックがあるからいいんだよ」と笑いながら、出前のファイルを真剣にこする末原さんのマルチプレーヤーぶりに、そして初めて経験したプロの現場に僕はいたく感動したのを今でもおぼえてる。
あれはtake2だったかな、若干狙ったテイで、それでいてわざとらしくなく、「ごめん、もう一回こすらせて!」とトークバックの声が聞こえた時、男しかいない現場には笑いの渦が巻き起こり、そのレコーディング作業を行うエンジニア・石川純也さんの笑顔も本当に楽しげで、あの時、チームが更に一丸となったように思う。
僕自身、2つ目の誕生日を迎えた2007年。
25歳の時だった。
ってか、あのプロデューサーは今何してるんだろう。それはもうどーでもいいけど(笑)←ここ大事。
_____
末原さん、遅くなりましたが、その節は本当にありがとうございました。マスタリングエンジニア・相川洋一さんも亡くなり、アルバム制作に関わってくださった方々が旅立たれるのは本当に悲しいですが、『Expressong』が時代を経ても色あせない作品であるように、決して風化しない作品をこれからも紡いでいけるように僕は頑張りますから!
僕は2007年、ご縁がありました。
1st.Album『Expressong』で、僕の編曲イメージを更に広げてくださった方。「流れ星」のイントロのMartinは、まさしく末原さんの音です。
ちょっと長文です。
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2007年6月。
東京・原宿レコーディングスタジオ。
末原さんには、レコーディングの合間に、コードを押さえたままハーモニクスを奏でる弾き方を教わったりもした。気さくな方だった。
デビュー盤『Expressong』は、レーベルのプロデューサー曰く、ミュージシャン3人(末原さん・金武功さん・僕)で各曲の音を構成したいとの意向だった。
中でも印象深かったのは、アルバム2曲目の『拝啓Sapporo』のレコーディング。
ギターのパートは僕が担当。LチャンネルがLarrivee、RチャンネルがGUILD。そして、本来パーカッション担当の金さんは、この曲ではコーラスで参加しましょうという流れに。
「あのさ、この曲、俺のギター入る隙間ないよね(笑)」と末原さん。
すいません…当時の僕は今以上に人間下手で、その受け答えにはただただ笑うしかできなかったんですけど、今だから白状しますと、生意気にも僕、リードが入れないような編曲をしてたんです(>_<)
程なくして、末原さんは「風の音とか、靴の音で曲の世界観、広げてみようか」と案を出した。で、何と!スタジオに置いてあった出前のファイルを手でこすり始め、「どう?風っぽくなるね」と。そして履いていたブーツの踵で靴音を演出。
そう、パーカッションのパートを末原さんが行うという、ファンの方が見たら「おい!末原名人に何やらせてんだ!」とお叱りを受けるやもしれぬ事態。
「レコーディングはこういうマジックがあるからいいんだよ」と笑いながら、出前のファイルを真剣にこする末原さんのマルチプレーヤーぶりに、そして初めて経験したプロの現場に僕はいたく感動したのを今でもおぼえてる。
あれはtake2だったかな、若干狙ったテイで、それでいてわざとらしくなく、「ごめん、もう一回こすらせて!」とトークバックの声が聞こえた時、男しかいない現場には笑いの渦が巻き起こり、そのレコーディング作業を行うエンジニア・石川純也さんの笑顔も本当に楽しげで、あの時、チームが更に一丸となったように思う。
僕自身、2つ目の誕生日を迎えた2007年。
25歳の時だった。
ってか、あのプロデューサーは今何してるんだろう。それはもうどーでもいいけど(笑)←ここ大事。
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末原さん、遅くなりましたが、その節は本当にありがとうございました。マスタリングエンジニア・相川洋一さんも亡くなり、アルバム制作に関わってくださった方々が旅立たれるのは本当に悲しいですが、『Expressong』が時代を経ても色あせない作品であるように、決して風化しない作品をこれからも紡いでいけるように僕は頑張りますから!