ある日のmacchan

ワイン&グルメ、旅の記録

2012年05月21日 | 和歌山・堺
堺を観光。

堺市は人口、面積とも大阪府第2位の政令指定都市。仁徳天皇陵古墳がある街、千利休が生まれた街と歴史のある街で、観光スポットがたくさんあるのには驚きました。

堺市役所21階展望ロビー


仁徳天皇陵古墳が見えますが80mの高さからではこんもりした森にしか見えません。

月曜日なので市役所で勤務する人達や各事務所に訪れる人達とエレベーターが一緒になり不思議な感じがしましたが、誰でも無料で入れ、観光スポットにもなっています。

喫茶コーナーもあり少し休憩。

『地上80メートルの高さから堺の魅力を360度チェック。仁徳天皇陵古墳、履中天皇陵古墳、反正天皇陵古墳をはじめ旧市内、堺旧港、大阪・神戸方面や関空など大阪湾一帯を一望できます。また、市内各所の観光案内パネルもあります。』(堺観光ガイドより)

旧鉄砲鍛冶屋敷


内部は非公開
『江戸時代から続く鉄砲鍛冶井上関右衛門の居宅兼作業場兼店舗。わが国の町家建築として最古の部類に属し、鉄砲の生産現場など鉄砲鍛冶屋敷の面影を残す唯一のものとして市の指定有形文化財になっています。切妻造、平入りの建物からなる屋敷は、江戸初期の鉄砲鍛冶の生活がしのばれます』(堺観光ガイドより)

山口家住宅


内部が公開されていて、観光ボランティアガイドの方が案内してくれました。

土間の梁が見事で、土間だけでなく、大きなハゼの木がある庭園や茶室、床の間など見どころがたくさんありました。

『主屋は慶長20年、大坂夏の陣で市街地が全焼した直後に建てられた、現存する数少ない江戸初期の町家のひとつ。国の重要文化財で、伝統的な堺の町家暮らしを感じることができる魅力溢れる施設です。広い土間に面して畳の部屋が3室並び、土間には梁(はり)と束・貫で構成する小屋組が見られ壮大な空間を作っています。平成21年10月に整備され新たにオープンしました。』(堺観光ガイドより)

千利休屋敷跡


堺の今市町、現在の宿院町西1丁の豪商魚屋の長男として生まれ、わび茶を大成した千利休は天下一の茶匠として、権勢を振るい茶道千家の始祖・茶聖と称されています。屋敷跡には椿の炭を底に沈めていたといわれる椿の井戸と、利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材で建てられた井戸屋形があります。

与謝野晶子生家跡


『堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた情熱の歌人与謝野晶子。明治34年出版の「みだれ髪」は、鉄幹へのあふれる愛と青春のみずみずしさを歌いあげ、浪漫主義の代表作となりました。甲斐町の生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑があります。歌碑周辺の石組みは歌にちなみ、海の波をイメージして高低に配し、所々の青色タイルは光る水面を表現しています。』(堺観光ガイドより)

仁徳天皇陵古墳


ここも観光ボランティアガイドの方が説明してくれました。

『日本最大の前方後円墳、百舌鳥耳原三陵のひとつで、前方部を南に向けた墳丘は、全長約486m、後円部径約249m、高さ約35.8m、前方部幅約307m、高さ約33.9mの規模で、三段に築成されています。左右のくびれ部に造出しがあり、三重の濠が巡っています。陪塚と考えられる古墳は10基以上に及び、5世紀中ごろの築造と考えられます。』(堺観光ガイドより)

余談になりますが私は堺市生まれです。両親は結婚後堺に来て私が2歳くらいまでの数年間堺で過ごしたようです。その頃とは街は随分変わったと思いますが、両親が新生活を始め、私が生まれ、3人で暮らしていた街だと思うと身近に感じました。

さて、堺観光が終わり、相棒の両親を天王寺駅まで送り、帰路につきました。途中少し渋滞がありましたが、行きと同じく約3時間で自宅に着きました。

京都の両親は、ゆっくりですがしっかり歩きますし、興味旺盛、食欲旺盛、何より気力があるのがいいです。少しは親孝行できたかな。また温泉に行って美味しいものを食べましょう!


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