大学までの私は…
家でも学校でも、嫌なこと…辛いこと…多くて、正直…このままで、状況とか変わらなければ、二十歳の誕生日に死のう!…自殺しよう!…そんなことばかり幼い十代のころは考えていました。
実際…二十歳の誕生日は、岡山とは別の地で、大学生として生活していましたが…
忙しくて、私の誕生日のことすら忘れていました。
誕生日が過ぎ、だいぶたって、「あれ…いつの間にか、誕生日過ぎちゃった…」
ってことで、もう…いいっか…人間、いつか死ぬんだから、自ら命を絶つ…そんなことは考えないようにしようと思いました。
大学の時が、私にとって一番忙しくて楽しかったです。
高校までの私は、人が怖い…先生が怖い…男性が怖い…女性が怖い…
話とかできなくて、ただ…何があっても、黙っていました。
自分が黙っていればいいと…
いじめとかもされました。
でも、先生は何もしてくれなかった…
それどころか、いじめでなく遊び…と言う、いじめてた人達といっしょになって、私の事など何も考えてくれなかった…
とても辛かった…昨日のことのようです。
でも、大学に入って、私は変わりました。
岡山の地から離れ、親とかには、頼れない生活。
確かに…経済的援助は、してもらいましたが、いつも親がそばにはいません。
十代のうちに普通ならみんな経験すること…みんなで遊びに行ったり、いっしょにご飯を食べたり…
それが、私にはなかったのです。
でも、大学生になったら、全然違いました。
みんなと普通にご飯を食べに行き、ボーリングやカラオケに行き、海や川でキャンプをし、先生のお宅へおよばれに行き…
十代のころの私は、いったいなんだったんだろう…?!
そのことを、大学の友達に話しても「うそだろ」って言われて信じてもらえませんでした。
大学の時の先生、友達、先輩、後輩…みんな良かった。
みんな優しかったです。
うそみたいに…優しかった…
だから、今でも、年賀状や暑中見舞いは、大学の時の人達には出しています。
でも、中学や高校の時の先生や友達には、いっさい出していません。
たまに、買い物とか病院とか行った時に、その当時の先生や同級生に会うこともありますが…、気づいてても気づかないふりをしたり、気づかれたとしても挨拶程度です。
大学の時は、頼まれて、ビラを作ったり、新聞・機関紙を作ったり、立て看板を描いたり…
編集したり、絵を描くのが好きだったから…
勉強以外のことも、いろいろさせてもらいました。
論文の発表会にも、無理です!…って先生には断ったのに、男子学生がだれも論文書いてなかったので、私が発表するはめにもなったり…
サークルの遠征試合で、いろいろな県にも行けたし…
バイトも、いろいろ経験できたし…
四回生の時、何もまだ決まっていなかった私を心配して、研究室の学部長の教授が、就職や永久就職(結婚)についても心配されて、いろいろお話があったのですが、お断りしました。
私には、家族ではないのですが、親戚の人に問題があったので、それを先生に知られたくなかったからです。
その親戚の人が…私や、兄…生き方を狂わせたのではないのかと…
その人は、父のいとこで、昨年亡くなりましたが…
岡山の地を離れた私は自由でした。
だから、大学の先生や友達には、知られたくなかった…
それで、せっかく先生が気にかけて下さり、いろいろ紹介して下さったお話も、お断りしたのです。
大学を卒業してからも、しばらくは第二の故郷であるその地に留まっていました。
しかし、身体を壊してしまい、岡山に帰ることになりました。
帰ってからは、昔の私とは違っていたので、変な考えを起こす…そんなことはありませんでした。
それからも、いろいろありましたが、現在に至っています。
結論…
嫌なことや辛いこと…いっぱいあると思うけれど、生きていれば、環境が変われば、必ずいい事もいっぱいあるし、強い人間にもなれます。
学校が、死んでしまうくらい嫌で辛いものなら、引きこもって自分の部屋からどんな事があっても出ない!…そんな勇気、最低でも持ってほしいです。
とにかく、死なない!逃げても何してもいいから死なない!
そうすれば、必ずいつかきっとステキな時がやってくるはす…
そう、いじめやその他の問題で苦しんでいる人に伝えたいです。
今の私は、本当に、あの時…誕生日が来たのを忘れてて本当に良かった…そう思えるから…
家でも学校でも、嫌なこと…辛いこと…多くて、正直…このままで、状況とか変わらなければ、二十歳の誕生日に死のう!…自殺しよう!…そんなことばかり幼い十代のころは考えていました。
実際…二十歳の誕生日は、岡山とは別の地で、大学生として生活していましたが…
忙しくて、私の誕生日のことすら忘れていました。
誕生日が過ぎ、だいぶたって、「あれ…いつの間にか、誕生日過ぎちゃった…」
ってことで、もう…いいっか…人間、いつか死ぬんだから、自ら命を絶つ…そんなことは考えないようにしようと思いました。
大学の時が、私にとって一番忙しくて楽しかったです。
高校までの私は、人が怖い…先生が怖い…男性が怖い…女性が怖い…
話とかできなくて、ただ…何があっても、黙っていました。
自分が黙っていればいいと…
いじめとかもされました。
でも、先生は何もしてくれなかった…
それどころか、いじめでなく遊び…と言う、いじめてた人達といっしょになって、私の事など何も考えてくれなかった…
とても辛かった…昨日のことのようです。
でも、大学に入って、私は変わりました。
岡山の地から離れ、親とかには、頼れない生活。
確かに…経済的援助は、してもらいましたが、いつも親がそばにはいません。
十代のうちに普通ならみんな経験すること…みんなで遊びに行ったり、いっしょにご飯を食べたり…
それが、私にはなかったのです。
でも、大学生になったら、全然違いました。
みんなと普通にご飯を食べに行き、ボーリングやカラオケに行き、海や川でキャンプをし、先生のお宅へおよばれに行き…
十代のころの私は、いったいなんだったんだろう…?!
そのことを、大学の友達に話しても「うそだろ」って言われて信じてもらえませんでした。
大学の時の先生、友達、先輩、後輩…みんな良かった。
みんな優しかったです。
うそみたいに…優しかった…
だから、今でも、年賀状や暑中見舞いは、大学の時の人達には出しています。
でも、中学や高校の時の先生や友達には、いっさい出していません。
たまに、買い物とか病院とか行った時に、その当時の先生や同級生に会うこともありますが…、気づいてても気づかないふりをしたり、気づかれたとしても挨拶程度です。
大学の時は、頼まれて、ビラを作ったり、新聞・機関紙を作ったり、立て看板を描いたり…
編集したり、絵を描くのが好きだったから…
勉強以外のことも、いろいろさせてもらいました。
論文の発表会にも、無理です!…って先生には断ったのに、男子学生がだれも論文書いてなかったので、私が発表するはめにもなったり…
サークルの遠征試合で、いろいろな県にも行けたし…
バイトも、いろいろ経験できたし…
四回生の時、何もまだ決まっていなかった私を心配して、研究室の学部長の教授が、就職や永久就職(結婚)についても心配されて、いろいろお話があったのですが、お断りしました。
私には、家族ではないのですが、親戚の人に問題があったので、それを先生に知られたくなかったからです。
その親戚の人が…私や、兄…生き方を狂わせたのではないのかと…
その人は、父のいとこで、昨年亡くなりましたが…
岡山の地を離れた私は自由でした。
だから、大学の先生や友達には、知られたくなかった…
それで、せっかく先生が気にかけて下さり、いろいろ紹介して下さったお話も、お断りしたのです。
大学を卒業してからも、しばらくは第二の故郷であるその地に留まっていました。
しかし、身体を壊してしまい、岡山に帰ることになりました。
帰ってからは、昔の私とは違っていたので、変な考えを起こす…そんなことはありませんでした。
それからも、いろいろありましたが、現在に至っています。
結論…
嫌なことや辛いこと…いっぱいあると思うけれど、生きていれば、環境が変われば、必ずいい事もいっぱいあるし、強い人間にもなれます。
学校が、死んでしまうくらい嫌で辛いものなら、引きこもって自分の部屋からどんな事があっても出ない!…そんな勇気、最低でも持ってほしいです。
とにかく、死なない!逃げても何してもいいから死なない!
そうすれば、必ずいつかきっとステキな時がやってくるはす…
そう、いじめやその他の問題で苦しんでいる人に伝えたいです。
今の私は、本当に、あの時…誕生日が来たのを忘れてて本当に良かった…そう思えるから…