あんこ日記

日々を綴ったブログです。大切ものは、目の前にある瞬間瞬間の積み重ね。「日々是好日」

私のこと。備忘録 出生〜幼少時

2018-05-08 | 日記
私の生い立ち

宮崎県に4人兄弟の長女として産まれる。
上2人は男の子、母はどうしても女の子が欲しくて赤い靴を買い、毎日仏壇に兄と女の子が産まれますようにと祈っていたそうです。

とはいえ、元気な兄達の下に生まれた私。
女の子らしかった記憶は周りも本人も全くないほど。ウルトラマンが好きで、恥ずかしい話、年長さんくらいまで立ち○○○してました!

しかも生傷絶えず、喧嘩も絶えず。
男の子顔負けのパワフルさ。
右前額部にはつまずいてガスボンベで負傷。
左前額部には、七草祝いで酔っ払いのビール瓶が当たり負傷。
下唇の内側を使用禁止のブランコから落ちて負傷。

肌も小麦色、いわゆる地黒。
あー、肌が黒いことでどんだけ悩んだだろう。
昔の私に伝えてあげたい、、大人になっても色は黒い、でもそれがあなたの魅力!てね^_^
この頃は髪も自然と茶色で、まさに元気な男の子、のような女の子。

男の子みたいだね、て言われることも多くて、男の子みたいにいなきゃって幼いながらに思っていたな。
だから、今でもピンク色の服が着れない。
ぶりぶりの女の子とか見ると抵抗がある。
でもきっと、羨ましいんだろう。
ま、似合わないけどね笑

自営業を営んでいた両親、祖父母と住んでいましたが、今思えば、裕福なほうだったと思います。
ただ、父は仕事の付き合いとか言って夜いないことも多く、私の思う家族らしいこと、うちはできない環境だな、と薄々気づいていました。

家族旅行といえば年に1回、鹿児島の城山観光ホテルに泊まり、プールで泳いだり夜の街にくりだすこと。子供入室禁止のバーやクラブで大人たちに混ざった時のドキドキは忘れられない。
あれもこれもいい思い出(^ ^)

卓球やマラソンが趣味で、物知りで、可愛いまる字を書く、かっこいい父が大好きでした。
母は昔は厳しく、3秒で泣き止まないと平手打ち。めっちゃくらいました。

きっとそれだけやんちゃだったし、母も必死だったんだろうな。


続く