(3) 福島原発事故による被曝と環境汚染
現場で働く作業員は劣悪な条件の中、生命がけで仕事をさせられている。東電の被曝管理は杜撰で、個人被曝の測定器が不足したり、女性が予想外の被曝をしたり、日頃のいい加減さが非常時に暴露されている。環境汚染対策はその場しのぎで異常時の対応能力がない。
低レベルと称する廃液を直接海に放出し漁業者に多大の迷惑をかけるに至っては無知と劫慢としかいう言葉がない。海を単純に希釈拡散の場としかみておらず吸着、沈降、生物連鎖等の濃縮過程や複雑な海流の実態も知らず、ごみ捨て場としか考えない東電の殿様体質を見た思いである。土壌汚染も深刻である。避難区域を同心円でしか考えず.今になって事故時の風向による汚染地域が発券され避難指定しているのは怠慢である。
事故発生直後から米国の原子力安全規制委員会NRCは.試算に盤づき80km圏内の米国人の圏外退去を指示し、フィリピン政府は在日同国人に100km圏外への退避を求めた。中国は在日中国人の一部に自発的一時帰国を促しているようである。
汚染大気は一時東京にも到達した。遺伝的影響を考慮する場含は、個人の被曝線量と人口の積で示す集団線量を求める必要がある。
報道等で、X線による診断や治療で受ける被曝量に比べて環境汚染がたいしたことが無いと説明されることがあるが、被曝はそれによる危険(リスク}と利益(ベネフィット)のバランスにより許容されるのが原則であり、原発事故による住民の被曝は何の利益もないことは明らかでありこのような比較は元来ナンセンスである。原子力安全保安院は、今回の事故による放射性物質の放出量を、37京ベックレルと発表した。京は1兆の1万倍であり、まさに天文学的数字である。
(4) 関係機関の対応をどうみるか
ここで関係機関とは、東京電力、原子力安全保安院、原子力安全委員会および政府に限定する。
東京電力は業堺、財界における指導的地位におごるところがあり、事故の当事者として情報を迅速正確に発表したとは言い難い。その姿勢は補償問題にも現れ、天災による免責を主張したり、政府による援助を当然のこととする態度は怒りをかっている。
原子力安全保安院は推進の立場の役所であり、東電に対する監督官庁であるにも拘わらず、むしろ東電擁護の態度であり、独自の情報奴集も不十分である。
原子力安全委員会は本来なら先頭に立って事態の処理に努めるべきであるが、腰が重く、現地に委員を派遣するのも遅かった。制度上は原子力施設の安全審査が主任務であるが、事故時の実働グループが乏しく、原子力安全保安院等の推進側に依存することになるので委員会自体の姿勢が重要である。その気になれば東海村のJCOの臨海事故のように初期から安全委員(住田氏)を現地に派遣して対処することも出来るのにそれを実施しなかつた。住田氏を支えたのは原研の研究者たちであった。
最後に政府であるが、敵府も機関であってこの様な非常時における危機管埋能力が問われるところである。総理の性格上の問題だけで評価されるものではない。このような国家的
異常事態にあって足の引っ張り合いをしたり権力争いをしたりする姿を国民は冷静に見ている。いくつもの委員会や本部がつくられても何も進展しなければ相撲界の苦悩を批判することもできまい。
以上
現在進行中の問題でもあるので関心を持って見守っていきましょう。