ようこそ!

コーヒーなど召し上がりながらごゆっくりどうぞ

日本の原子力発電の現状について(その1)

2011-05-15 18:22:48 | 日記

福島原発の重大事故について毎日のニュースは見逃せない。

この福島原発の現状について「日本科学者会議原子力問題研究委員会・委員」で理学博士・市川富士夫先生のお話を聞く機会があったで紹介したい。

私は九州電力・川内原発、東京電力・柏崎原発の建設基礎調査の仕事に携わった事もあるので関心深く拝聴した。

先生は最後に「節電する事も原子力行政の一翼です」とのユニークなお話をされていた。

以下は5月10日現在の状況に立脚してのお話である。

==================================================================== 

(1) 日本の原子力開発から判ること

 

 自己紹介を兼ねて.私が原子力に直接に関わったのは今から55年前のことであった。

当時私は大学院の修士過程を終了し、就職するか大学に残るかを迷っていた。

 

 修士過程に入る直前の1954年3月1日は、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験により日本の漁船・第五福龍丸なが被曝するビキニ事件が起こり、さらに各国の原爆実験による放射性物質で汚染された雨(放射能雨)が日本各地に降り、原水爆禁止の声が高まっていた。

 

 私は指導教授の御指示により、大島を含む東京都の民家の屋根の雨樋に溜っているチリ(自然にあるいは雨と共に降下した物質)の中の放射性物質の成分分析を行っていた

  

 そんな時、新設の財団法人・原子力研究所から応募のお誘いがあり、指導教授のお勧めで採用試験けて入所することになった。このことについで大学内で賛否の論争が起こった。

 

 反対者は、原爆を作るかも知れない所に入って手を貸すことはないと主張し、賛成者は、日本の学術会議が決定した原始力平和利用三原則(日本国民による自主的研究開発、関連機関の民主的運営、一切の情報の公開)を守らせるために入所することに意義があるということであった。結局、私は後者を執って入所し、以後、基礎研究部門で放射化学(放射性物質の科学)の研究に30年余り携わり、58才で定年退職した

 

 そもそもこの時期に日本が原子力開発を始めたのは、米国の原子力政策が原子爆弾一本から原子力発電との二本立てに変更されたことによる。そのことは、当時の米国大統領のアイゼンハウアーが国連で行った「atoms for peaceという演説により表明された。

 

 米国は自国で原発を実用化すると共に、友好国にも売り込むことを計画し、日本にも働きかけてきたこの働きかけは巧妙で、日本側は保守の代議士の中曽根康弘氏が社会党などと共同で1954年度の追加予算として23500万円の原子力予算を国会に提出し.一日で衆院を通過させるという強硬手段をとり、米国側は国内法の整備後の翌1955年1月に、研究用原子炉とその燃料の供与なの打診を日本にしてきたこれらの背景の下に日本は原子力の研究開発に踏みだして国内法の整備を進めた前述の日本学術会議が原子力の研究開発を平和目的に限定し、それを担保するための三原則を提唱したのもこのような状況を憂慮したためであった。

 

 米国からの呼掛けに応ずるための受け皿として財団法人から特殊法人に移行した日本原子力研究所(原研、現在の原子力開発機構の一部)が設立され、米国主導の研究開発が始められたのである

 

 学術会議の三原則の趣旨は原子力基本法に引き継がれたが、文面、解釈ともに後退したものとなった

 

 以上のように、日本の原予力研究開発は、米国の意向とそれに便乗する勢力と、日本学術会議に代表される研究者とその背景にある国際世論との矛盾を抱えてスタートしたのである。

 

 原子力をめぐる日米関係はその後さらに登展し、実際に発電する動力試験炉(JPDR)として福島と同じ沸騰水型炉(BWR)を米国のジェネラルエレクトリック社(GE)から原研に導入したこれはトラブル続出であったが、大阪万博に間に合わせるということで19631026に初発電をし、この日が原子力の日」として毎年記念行事が行われるようになった。

 

 その後日本の電力会社は競って米国から軽水炉の導入を始めたが、その時の米国の宣伝は「軽水炉の安全性は実証済み」であった日本政府も電力会社もこれを鵜呑みにしたが、当時の米国には建設中の原子炉しか実用炉はなかったのである。

 

 しかし電力会社も国も実証済みと宣伝した手前、引込みがつかなくなり、原研での軽水炉の安全性研究まで「実証済み」だからとして禁止してしまった。これがいわゆる「安全神話」の根源である。

 

 その後、米国でも日本でも軽水炉のトラブルが続出し、新規立地も困難になそこで苦肉の策として軽水炉に種々の安全装置を付加して多重防護と称する日本流「安全神話」を振り撒いたのである。

 

 そもそも「安全神話」とは、「炉心溶融に至るような原子炉の過酷事故は起り得ない」という思い込みであり、その説明として「原子炉の燃料は、被覆管、圧力容器、格納容器、建屋という四重に囲まれている」とか「安全を確保する装置が何重にもついている」などと言われ、これらを多重防護と称している。

 

 本来、多重防護とは「事故を起こさない、拡大させない.周辺公衆を保誰するために影饗を緩和する」という思想である。ところが、最近は単に入れ物の多重性とか装置の複含の問題に矮小化されているために思想本来のもつ重要性が忘れられようとしている。

 

(2) 福島原発事故の原因と現状

 

 第一原子力発電所の6基の原子炉の内、5,6号炉は定検のため停止中で差し迫った問題は無い。13号炉は炉内に核燃料があるが核反応は停止している。14号炉には使用済み燃料保管プールがある。

 

 これらとは別に共用の使用済み燃料保管プールがある全ての燃料は放出する放射線のエネルギーが熱に変換するために生ずる崩壊熱を発生するので、これを冷却しないと燃料が過熱して溶融する。また、燃料の被覆管の材料のジルコニウム合金と水の反応および水の放射線分解により水素が発生し、特定の条件で強烈な水素爆発を起こす危険がある。

 

 今回は地震により受電鉄塔が倒れて停電し、予備のディーゼル発電機が津波で使用不能となり完全な冷却能力喪失となった1,3,4号炉は建屋上部が破損したため、へリコプター、消防ポンプ、デモ鎮圧放水車、セメント注入用クレーン等で海水を注入したが.米国からのコメントにより淡水に変更した。

 

 2号炉下部の圧力抑制室で爆発音があり損傷したものと推定される東電は4月上旬に収束工程表を発表し、その期間を69ケ月としているが、ロボットによる観察や人の立入り調査等から内部の破損、汚染が著しく、収束が工程表どおりに進むことには困難が予想される。

 

つづく 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。