自分が如何に「無知」であったかを思い知らされた。
原子力について、
私は如何に「無関心」であったか。
「知ろうとしないでいたか」。
改めてこのことを知らされる本でした。
昨日ご紹介した、柳沢桂子さんの著書「いのちと放射能」を読み終えての感想です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/05/8f/8852116c12ff1c6ab81be9bf111e153e_s.jpg)
今回の震災・津波での福島第一原子力発電所での事故が起こってみて、初めて、「日本中にこんなにも原子力発電所が作られていたのか」と新聞に書かれた図を見て驚いた、こんな無知で無関心な人間だったのです。
その原子力発電についてでさえ、「原子力発電所は火力発電に代わり、クリーンなエネルギー供給源だ」と言われれば反論できず、ただ「危険だと思う」としか云えず、そのぐらいの認識しかなかったのです。
(私は、基本的には原発は要らないだろうと考えていたのですが、それは危険だろうぐらいの感覚の理由でしかなく)
なんと愚かな事か・・・。
世の中の全てにおいて、まずは「知る」という行為は基本中の基本なのかもしれません。
「じゃあ、知ってどうする?」「どこかへ逃げるのか?」「個人で何が出来るのか?」
ここで語られているのは、そのようなレベルの話ではありません。
生命科学者であった著者が、【放射能はいかに微量であっても生物にとってどれだけ危険か、どうして危険か、原子力の仕組みがどうなっているのか、今の日本の現状がどうなっているのか】子どもでも分かるように、優しく丁寧にそれらの事を説明して下さっています。
私たちは何も知らないで、華やかな生活を求め、有り余ると勘違いして、電力を使いまくり、その為に我々の子ども達、もっと先の子孫に大変な負荷を残していると知ることが出来ます。
この本を読み終えた時に、問題は「福島云々~」ではないと感じました。 日本中の事でもあり、世界中のことでもあります。
地球規模の視点に立たなければ・・・。
例えば、本文から抜粋して少しご紹介すると・・・
「放射能を浴びるとどうなるのでしょう これから放射能が私たちのからだにおよぼす影響をお話しますが、その前に放射線について少し説明しましょう。 放射線は物質を通り抜ける強い力を持っています。このような放射線を出す作用を放射能と呼びます。 放射能をもつ原子は、放射線を出してこわれて別の原子になり、ついには放射線を出さなくなります。放射能をもつ原子の集団中の半分の原子がこわれるのにかかる時間を半減期といいます。
たとえば、ヨウ素131の半減期は八日、コバルト60は五年、ストロンチウム90は二十八年、セシウム137は三十年、プルトニウム239はなんと二万四千年です。・・・」
フムフム・・・
「使用済み燃料はたまるばかりである。日本では、この使用済み燃料の処理ができなかったので、フランスなどの外国に頼んで処理してもらっていたが、いつまでも他国に頼るわけにはいかない。【略】そこで、青森県の六ヶ所村に再処理工場をつくって、ここで使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出す計画が立てられた。
取り出したプルトニウムはウランと混ぜて、高速増殖炉で燃やす。するとふたたび使用済み核燃料ができるが、これを再処理することによって、プルトニウムを取り出すことができる。そして、再びウランとプルトニウムを混ぜて、原子力発電に使用することができる。こうして使用済み核燃料から再処理によってプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜて高速増殖炉で燃やすことによって、長期にわたり原子力発電を続けることができる。 これが国の計画だったが、・・・」
これが高速増殖炉「もんじゅ」の事故で暗礁に乗り上げた。 この増殖炉は当時六千億円をかけて建設されたそうで、今も維持の為に、年間百億円の費用を消費しているのだそうだ。(私達庶民には、六千億円、などと聞いても想像さえできない金額です!)
「再処理工場というのは、使用済み燃料を切り刻んで、硝酸溶液の中に溶かして、使用済み燃料のなかにあるウラン(94%)、プルトニウムを(1%)、核分裂生成物(5%)を分けて取り出す為の施設である。【略】この目的は1%のプルトニウムを取り出すことであるが、使用済み核燃料を切り刻み、硝酸で溶解した時点で、希ガスと呼ばれるガス状の放射能が大気中に放出される。【略】 再処理工場は、『原発一年分の放射能を一日で出す』といられている。」
無知というのは愚かな事だ。
「原発では絶対に事故は起こりませんといったのは、いったいどこの誰だったろう。この管理のずさんさ、危険なものを扱っているという意識の欠如は信じがたいことである。」とは、最後の方に出てくる、この時点で明らかにされた事故・不正、八十九件についての著者の感想である。
私たちは「核の時代」の真っただ中に生きていること。
今や放射能汚染は避けて通ることのできない現実問題になってきていること。
原子力は危険と隣り合わせであること。
この事に私はもっと敏感にならなければならなかったのだ。
「少しでも危険だと受け取られる情報は隠すべし、というのが国の姿勢。国が恐れているのはパニックであり、住民の安全は二の次だということが今回の事故ではっきりした。国など組織の前で個人が無力になるのは、第二次世界大戦中もそうだった。今は本当に「戦争」のような事態だ。」とは、別のところで読んだある方の意見でした。
日本人は「平和ボケしている」とは良く云われますが、「まさしく!」と思ってしまいました。(読者の皆様にはごめんなさい。これは私だけかもしれませんが・・・)
560円の文庫本です。
1回、ランチをお弁当持参にすれば買える金額です。 その価値はあると思いました。
まずは「知ること」です。