素敵な私になるために

『生きているって素晴らしい!』そう感じられる喜びを。
毎日のワクワクを自分にも、あなたにも。

たわいもなく・・・

2011年10月04日 | 地震

本日は富士山がとても綺麗です。 

まだ雪帽子を被った絵のような富士山ではありませんが、それも間近なのでしょうね、北海道、旭川では雪が降って雪かきをしていましたから。

月めくりカレンダーの枚数が残り3枚になりました。 なにか寂しいものですね。

12月はいつもの月とは違って、感覚的にはほとんど半月分しかないように短く感じるので、いよいよ「今年も後2カ月とちょっと」なのでしょう。 あ~早!

人生の終着時点が決まっていて、どんどんそこへ近づいていくからなのでしょうか、(誰でも同じ、生まれたばかりの赤ちゃんでも・・・)今年のカレンダー3枚はなにか特に寂しさを感じました。 (嫌だ嫌だ、縁起でもない!)

地震予知も最近賑わって来ているようで、そんな事もあるのでしょうか・・・。 兎に角、みなさま、いつ来てもおかしくない関東大震災の準備には気をつけましょう。

余談になりますが、地震が来て直ぐにすべきことは、(家にいたら)水を貯める事だそうです。 トイレがどうにもならなくなるのだそうです。

な~んて、心配しすぎの私ですが、今夜は東京文化会館でケマル・ゲキチさんのピアノコンサート。

また、たっぷり彼の情熱的なピアノを堪能できるかと思うと嬉しくなります。

さあ、元気を出して通勤電車に乗りますか。

皆さまも一日良い日でありますように! 

 

 


涙がきえて 祈りがのこった 

2011年09月19日 | 地震

先日ブログでご紹介した、「きえて のこった」しばはら ち氏作の絵本。

この絵本をご紹介頂いた、また昨日までしばはら親子の絵の展覧会をされていた、ギャラリーFirstlightを訪ねてまいりました。

JR大森駅からすぐのところにあるこじんまりしたギャラリーです。オーナーは水越景子さん。

とても楚々として、思っていたように素敵な女性でした。

この絵本は「長崎かぞえ歌」 つまり、ひとつめきえた○○が、ふたつめきえた○○が、と数えていく歌です。

水越さんのブログでもご紹介がありましたが、

ひとつめ きえた まぶしい光で 青空がきえて・・・きのこ雲が のこった

ふたつめ きえた 街がきえて・・・瓦礫が のこった

 

ここのつめ きえた 涙がきえて・・・祈りが のこった

じゅっこめ きえた 恨みが きえて・・・願いが のこった

とてもこころにググッとくる絵本です。

この絵本のご紹介をしたところ、ブログを読んで下さっている友人がすぐに絵本をご注文して下さったそうです。ところが、注文メールが作家さんの迷惑メールに紛れ込んでいたとか・・・それで気がつくのが遅くなったと、しばはらさんよりご注文された方へお詫びのお電話が入ったそうです。

ご注文された方は、突然作家さんからお電話頂き、「えっ、えっ なぜ・・・」とびっくり仰天。 でもお話できて嬉しかったそうです。 

その際に、なぜ絵本をお知りになりましたか と聞かれて、カクカクシカジカ。 私はちょうどその日にギャラリーを訪ねて、はじめて水越さんとお目にかかっていたのでした。

なんとまあ、しばはら氏・水越さん・私・注文した友人と四人が結びついて輪になりました!

この展覧会のタイトルはおりしも「輪っか」でした。 嬉しいこと!!

YouTubeでこのような映像を見つけました。

原爆・反戦・平和 「きえてのこった長崎かぞえ歌」 しばはら・ち


Ignorance  無知

2011年09月16日 | 地震

自分が如何に「無知」であったかを思い知らされた。

原子力について、

私は如何に「無関心」であったか。

「知ろうとしないでいたか」。

改めてこのことを知らされる本でした。

昨日ご紹介した、柳沢桂子さんの著書「いのちと放射能」を読み終えての感想です。

今回の震災・津波での福島第一原子力発電所での事故が起こってみて、初めて、「日本中にこんなにも原子力発電所が作られていたのか」と新聞に書かれた図を見て驚いた、こんな無知で無関心な人間だったのです。

その原子力発電についてでさえ、「原子力発電所は火力発電に代わり、クリーンなエネルギー供給源だ」と言われれば反論できず、ただ「危険だと思う」としか云えず、そのぐらいの認識しかなかったのです。

(私は、基本的には原発は要らないだろうと考えていたのですが、それは危険だろうぐらいの感覚の理由でしかなく)

なんと愚かな事か・・・。

世の中の全てにおいて、まずは「知る」という行為は基本中の基本なのかもしれません。

「じゃあ、知ってどうする?」「どこかへ逃げるのか?」「個人で何が出来るのか?」

ここで語られているのは、そのようなレベルの話ではありません。

生命科学者であった著者が、【放射能はいかに微量であっても生物にとってどれだけ危険か、どうして危険か、原子力の仕組みがどうなっているのか、今の日本の現状がどうなっているのか】子どもでも分かるように、優しく丁寧にそれらの事を説明して下さっています。

私たちは何も知らないで、華やかな生活を求め、有り余ると勘違いして、電力を使いまくり、その為に我々の子ども達、もっと先の子孫に大変な負荷を残していると知ることが出来ます。

この本を読み終えた時に、問題は「福島云々~」ではないと感じました。 日本中の事でもあり、世界中のことでもあります。

地球規模の視点に立たなければ・・・。

 

例えば、本文から抜粋して少しご紹介すると・・・

放射能を浴びるとどうなるのでしょう   これから放射能が私たちのからだにおよぼす影響をお話しますが、その前に放射線について少し説明しましょう。 放射線は物質を通り抜ける強い力を持っています。このような放射線を出す作用を放射能と呼びます。 放射能をもつ原子は、放射線を出してこわれて別の原子になり、ついには放射線を出さなくなります。放射能をもつ原子の集団中の半分の原子がこわれるのにかかる時間を半減期といいます。

たとえば、ヨウ素131の半減期は八日、コバルト60は五年、ストロンチウム90は二十八年、セシウム137は三十年、プルトニウム239はなんと二万四千年です。・・・

フムフム・・・

使用済み燃料はたまるばかりである。日本では、この使用済み燃料の処理ができなかったので、フランスなどの外国に頼んで処理してもらっていたが、いつまでも他国に頼るわけにはいかない。【略】そこで、青森県の六ヶ所村に再処理工場をつくって、ここで使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出す計画が立てられた。

取り出したプルトニウムはウランと混ぜて、高速増殖炉で燃やす。するとふたたび使用済み核燃料ができるが、これを再処理することによって、プルトニウムを取り出すことができる。そして、再びウランとプルトニウムを混ぜて、原子力発電に使用することができる。こうして使用済み核燃料から再処理によってプルトニウムを取り出し、ウランと混ぜて高速増殖炉で燃やすことによって、長期にわたり原子力発電を続けることができる。 これが国の計画だったが、・・・

これが高速増殖炉「もんじゅ」の事故で暗礁に乗り上げた。 この増殖炉は当時六千億円をかけて建設されたそうで、今も維持の為に、年間百億円の費用を消費しているのだそうだ。(私達庶民には、六千億円、などと聞いても想像さえできない金額です!)

再処理工場というのは、使用済み燃料を切り刻んで、硝酸溶液の中に溶かして、使用済み燃料のなかにあるウラン(94%)、プルトニウムを(1%)、核分裂生成物(5%)を分けて取り出す為の施設である。【略】この目的は1%のプルトニウムを取り出すことであるが、使用済み核燃料を切り刻み、硝酸で溶解した時点で、希ガスと呼ばれるガス状の放射能が大気中に放出される。【略】 再処理工場は、『原発一年分の放射能を一日で出す』といられている。 

無知というのは愚かな事だ。

「原発では絶対に事故は起こりませんといったのは、いったいどこの誰だったろう。この管理のずさんさ、危険なものを扱っているという意識の欠如は信じがたいことである。」とは、最後の方に出てくる、この時点で明らかにされた事故・不正、八十九件についての著者の感想である。

私たちは「核の時代」の真っただ中に生きていること。

今や放射能汚染は避けて通ることのできない現実問題になってきていること。

原子力は危険と隣り合わせであること。

この事に私はもっと敏感にならなければならなかったのだ。

 

 

「少しでも危険だと受け取られる情報は隠すべし、というのが国の姿勢。国が恐れているのはパニックであり、住民の安全は二の次だということが今回の事故ではっきりした。国など組織の前で個人が無力になるのは、第二次世界大戦中もそうだった。今は本当に「戦争」のような事態だ。」とは、別のところで読んだある方の意見でした。

日本人は「平和ボケしている」とは良く云われますが、「まさしく!」と思ってしまいました。(読者の皆様にはごめんなさい。これは私だけかもしれませんが・・・)

560円の文庫本です。

1回、ランチをお弁当持参にすれば買える金額です。 その価値はあると思いました。

まずは「知ること」です。 

 

 

 




絵本 「きえて のこった」とMasking Mask Girls Project 

2011年09月12日 | 地震

今日は一日お休みを頂き、家で寝ておりました。 

3時間寝てはちょこちょこっとパソコンし、また3時間寝てはパソコン見て・・・そんな生活でした。

最近Facebookで色々な方と知り合います。今日はその中からほのぼのとした感動を皆さまにシェアしたく、情報をひとつ。

水越景子さんはギャラリーGallery FIRSTLIGHT」をお持ちです。

9日から始まった展覧会は絵本作家のお父様と、平面作品から立体、パフォーマンスなど様々な創作に取り組んでいる息子さんとの二人展。

題して「輪っか

今日書かれた彼女のブログを読んで感動しました。 お父様の絵本作家の方の絵本紹介であったのですが、絵本のタイトルは「きえて のこった」。

長崎の原爆の一人の少女の体験を、数え唄にのせて語る絵本だそうです。

その中で八つまではいろいろなものが消えて行くのですが、

九つめから、涙がきえて・・・祈りがのこった

そして「じゅっこめ」で行きつく思いは

   恨みがきえて・・・願いがのこった
   きえろ きえろ
   戦争が きえて・・・平和が のこれと      (「Galleryの小窓」から引用)

そしてまとめに、「これは戦争だったけど、3月の震災でこの少女と同じような思いをしている人は沢山いるはず・・・自分たちにできることを続けていかれたら・・・そう願う気持ちがあります」と。

ぜひ、Galleryの小窓へ飛んでブログをお読みください。 題は「願い」です。

彼女はGalleryのアーティストさん達とMasking Mask Girls Project と言う活動もされているそうです。マスクに小さく絵を書いて被災地の少女達に贈られているのですって。

今週は予定がいっぱいなのですが、やはりこの展覧会に無理しても行ってみたくなりました。 18日までだそうです。




I love Japan

2011年09月11日 | 地震

メキシコのAlexis君の絵

本日は2011年9月11日

東日本大震災より半年、 アメリカでのツインビル爆破テロ9.11より10年目の節目の日。

亡くなられた多くの方のご冥福を心から祈ります。

折しも、明日は満月。 地球と太陽となんとかが並ぶとかでそちらの方でも騒がれています。

「何が起きてもおかしくない」などと叫ばれているこの数日間。

そんな中、パートナーはアメリカへ旅立って行きました。「テロには気をつけてよ」とは言ったものの、考えれば、彼は気をつけようが無いわけで、つまらない事を言ってしまったと。

日曜日のまったりした中、家族全員外出で、一人、のんびりと、TVの雑音にも邪魔されず、良い一日を過ごしました。

静寂が嬉しい一日でした。

 

昨日、ピコの会(絵本を読む親の会で「被災地の子ども達へ絵本を贈る」プロジェクトを立ち上げ、2500冊を被災地へ送った会)のミーティングがあり、メンバーは「細々とでもこれからも被災地支援を続けて行きたい」との合意に達し、 これからも支援を続けることになりました。

一方、「世界の子ども達からの贈り物」World Heart Projectでは、今月連休にも絵を持って、被災地を訪ね、子どもの為のイベントをも開催して来ます。

私と相棒Sはこのどちらにも所属しており、両方の特徴を踏まえて、タッグを組もうと言う事になりました。

ピコの会は物を集められるが、メンバーの多くは子どもが小さいので家を空けて被災地までは行かれない。

World Heart Projectは被災地で絵を展示しながら、イベントをする事ができるが、支援物資はなかなか集められない。

だったら、この二つが協力して事を行えば、「集めて運び配る」、これが出来るじゃない!と。

これに現地の「ストロングミヤギ」プロジェクトのメンバーもタッグを組んで現地の情報を下さるということで、

【物を集め→運び→必要とされている所へ配る】

この図式が自然と出来上がったのです!

震災後半年にして、心ある温かな集団が自然と結びついた形になりました。 お互いがお互いを引き寄せていったのでしょうか、不思議なご縁です。(ホルモン焼き屋の隣に座っていた縁なんて・・・)

みんなが誰かの為に何かをしたいと思っている。

これだけで十分です。 

各プロジェクトに囚われず、ご自分も何かで役に立ちたいと思われている方がいらっしゃいましたら、ぜひご参加下さい、ウエルカムです。

震災の節目の日、点と点が繋がったと喜んでいます。

私の仕事は「点を繋ぐ、人を繋ぐ」ことなのだと、最近つくづく思っているところです。

オランダのJpek君の絵

オランダのdouniaちゃんの絵

これらのPostcardsの売り上げの一部は被災地の子どもの為に使われます。


ノー天気な私たち

2011年09月09日 | 地震

昨夜は50代、女三人の同窓会。 中学二年で同じクラスになったクラスメート。かれこれ40年近い付き合い。

ところが、私達、お互いに三人で会えるのは、年に二回が相場。

みんな、ちょ~忙しく、今回も夏休み前に「暑気払いしよう」と言って計画されたのに、「もう秋じゃない!」

新宿の京都おばんざい屋さんで、ちょっと大人の雰囲気で、食と飲と喋りを楽しみました。

う~ん、前回の時の会話の話題は「親の介護」でした。(新年会)

しかし、当然のごとく、今回の話題は、「原発」「放射能」。 なんだかすごく重かった。

震災後会うのは初めて。お互いにこの間、それぞれが向き合ってきたことが山のように。

メンバーの一人、弁理士をしているH、彼女の出身学科は化学。

その彼女曰く、「世界から見れば、日本全国人体実験をしているようなものよ、何十年後にどうなっているかとね」「私たちはいいよ、どうせこの先癌になっても、放射能がなくてもそのリスクは十分あるのだから。でも子どもたちはね・・・」

「セシウムは土と強く結合するが、その汚染は表土5cmぐらいなのらしい、だからチェルノブイリだって5cm削れば良いらしいけど、その削った土をどこへやるかが問題なのよ」

専門外の私は「ふむふむ」

もう一人は食育関係の仕事。 つっこんで「魚ダメ、肉ダメ、野菜ダメ、水ダメ・・・私達どうすれば良いのよ?」

「う~ん、取りあえず、野菜は良く洗いなさい!ゆでるとかね。 でも牛乳は洗えないわねぇ~・・・」

こんな会話をひとしきりした後、結局、放射能に対しては個人レベルではどうする事も出来ないもどかしさに、そして先の見えない日本に、会話はしぼんで行くのでした。

私も含め、時間が経てば、危機感も薄らいて来る、ノー天気な日本人。

世界のアーティストが未だ、中々来ないのも分かるような気もしてきました。

「だから、どうすれば良いっていうのよ」「日本を捨てて、何処で生活成り立たせるのよ」 み~んな、そう思っているんですよね。 ただ、どうする事も出来ないだけ。

「まだまだ、これからも地震は来るよ、私たちはそのスパンの中で生きているってことだけは確かだから」

地震で崩れた物を復興させる、乗り越える、適応能力は優れた日本人、だから大丈夫。

だけど、日本全国汚染される放射能には、どうやって立ち向かえば良いの。

だれか、おせ~て!!!!!


自然が人間に復讐を・・・

2011年09月04日 | 地震

朝5時に起きても、最近は外が薄暗い。

ちょっと前までは、5時でもすでに太陽の日差しが熱くなりそうで、急いで犬の散歩に出なきゃと思うほどだったのに・・・。 やはり夏は終わったのだと、ちょっと寂しく、急速に秋の気配を感じるこの頃です。

このところ台風の影響で天気がぐずつき、すぐれません。

昨日もバス停で待っていると、時折強く吹く風に身体を持って行かれそうになりました。風の音は、唸るようで、木々もザワザワ。 雲も勢いよく流れていました。 不気味で私はこう云うの苦手・・・。

でも、その上に見えるのは青い空。 「あ~、あの雲の上には青い空があって太陽が輝いている」と思うと上空に登りたい衝動にかられました。(どうやって登るのか・・・)

この頃思うのは、地球上のどの土地の上にも青い空があるのに、場所によっては雨が降らず土は茶褐色の砂漠に近かったり、ある所では湿度が高く蒸していたり、ある所は雨にたたられたり、どうしてこんなにも地上では気候や天気が違うのだろうと。

アメリカにいると、広いだけに、その違いが良く分かり、同じ州でも、どうしてあちらだけあんなに雲が・・・なんてことがよくありました。

アメリカの友人と自然気象の事を話していた時、彼女の口からは、西海岸は地震、南部は台風、中部は竜巻、東海岸は大雪、とどの地域でも自然災害の種があり、何所へ行ってもそれなりに心配事があるのだとのことでした。

これは典型的なアメリカの自然災害分布だったのに、最近はこの常識を覆す出来事が・・・。

台風「アイリーン」が東海岸の北部を襲ったのでした。そして地震も。

NYが台風に襲われるなんて・・・。 NYで地震があったなんて・・・。 もうビックリ!!

近年は、もう、世界中どこでも、昔地理の教科書で習った気候分布の常識なんてものが通用しませんわ。

東京だって私の子どもの時のように春と秋を十分楽しむことが出来ず、あっという間に酷暑や酷寒に襲われ、その差が激しくなってきていますもの。

日本も一度台風が来ると、その雨のすごさに各地で被害が出て、異常です。

今、この記事を書いていたら、ゴ~と音がして、家がガタガタ揺れました。震度3でした。

「自然が人間に復讐し始めている」 そんなように思えてなりません。

人間はこの辺で、自然に対してもっと謙虚に向き合わなければ、自然の怒りが収まらないのかなぁ~。(もう遅すぎ?)

レイチェル・カーソンの「沈黙の春」がひとしきり世の中で取り上げられていたのに、今は下火になってしまったようで残念です。

「自然の悲鳴を聞く耳を持ちたい」と強く思う私ですが、個人レベルで何をしたら・・・やっぱりエコでしょうかね。 温暖化防止の生活でしょうか・・・。

そう言えば、太陽光発電を取り付けてから、我が家では、家族全員が電気を使う事に敏感になってきて、それぞれコンセントを抜いて回っているのが面白い現象です。

モニターに「売る電気と買う電気」の数値が出るので、使う電力を抑えようと、誰もが思うみたい。(良い事じゃ!)一時だけにならないように頑張らなくちゃ!


ドイツZDF-Frontal21 「福島原発事故、その後」

2011年09月01日 | 地震

 

このブログでは、宗教、政治について語ろうとは思いません。政治批判もいたしません。

この動画をアップしたのは、「私たちは知るべき事を知る必要がある」と感じているからです。

どの情報が正しいか、正しくないかは受け手の私達が判断し、選びとらなければなりませんので、あくまでここは情報提供の場だと認識しています。

特に震災後は自分で情報を選び、自分で自分を守らなければならないと私は強く感じています。

と、堅く語りましたが、ま、見て下さい。ドイツADF-Frontal21が「福島原発事故、その後」として放映したものの様です。

先日ある会合で、何人もの方から、「海外の情報の方が事実をより多く発表している」と言われたばかり。

ある方は3月11日の地震の2時間前に成田を出発、ウィーンに着いて初めて地震の事を知ったそうです。その後、各国は原発で次に起こることを予測し、自国の人への帰国命令を出した、そのいきさつ、マスコミでの情報などを語ってくれました。

日本にいて、のほほんとしていた(そうでもないけど、どうしようもなかった)私などには、「へぇ~」でした。

のほほんとしていたわけではないけれど、誰もどうしようもない、これが現実なのだと。「危ないかもしれない」と誰もが思っていても、じゃあ、「いつまで、どこへ」避難することができるのか?「仕事は?学校は?」となってしまう。

東京に住む私たちでさえ、この史上初の大惨事の渦中に置かれているのだとあらためて認識するも、「どうしようもない」のが現実。

東京からほとんどの人が避難したら、日本の経済はどうなるのだろう。すべてがガタガタになってしまうのかしら・・・。日本の終わり?

そんな事を考えると、仕事にならない。明日が見えなくなってしまう。せめて食べるものに気をつけて自分の身は自分で守るしか手段がない。

東京でさえこれなのに、実際福島県の人々は大丈夫なのだろうか?私たちと同じ、「どうしようもない」現実なのだろうか?

何か出来る事はないのか・・・・思案中!

最後はやっぱりひまわりだわ! 太陽に向かって顔を! 明日に向かって希望を!


ひまわりが咲きました!

2011年08月27日 | 地震

我が家のひまわりが咲きました。

ひまわり畑を想像していたのとは違って、1mの背丈もない可愛いひまわりでしたが、花は大きいのでびっくりです。

Sunflowerと言うだけあって、太陽に向かって大きく花を開いています。

このひまわりにはストーリーがあります。

震災直後、私たちは「被災地の子ども達へ絵本を贈る」プロジェクトを立ち上げ、2500冊を10か所近くの避難所、児童館、幼稚園、仮設住宅などへお送りしました。

その絵本は全国の友人から友人への口コミ、またはネットを見てお送りくださった支援者の方々からの寄付でした。

主催者「ピコの会」では、報告書をまとめ、その封筒にひまわりの種をお礼に入れました。

ひまわりには放射線物質セシウム137を根に、ストロンチウム90を花に蓄積してくれる力があるのだそうです。

実はこのひまわりの種も支援者のお一人からの贈り物です。 「ご自分に出来ることを」との思いで、メッセージと種を袋に詰めて150個下さいました。

下さった手書きのメッセージ

素晴らしいですね!

私は『日本中にひまわりよ、咲け!』との思いでお配り致しました。

その後、「ひまわりが咲きましたよ」との嬉しいお便りも頂いております。

多くの人が、ひまわりの様に太陽に向かって顔を上げて行くことができるように、そんな願いを込めてアップします。

 


ドット(点)を繋ぐ

2011年08月24日 | 地震

 

メリルボーンハイストリートの空。

『今日は初「聖なる秋の日」だった。空気がぴんと澄んで、しんと静かで、光がきらきらとしている秋の日があるでしょう。ユーミン風に言えば、「悲しいほどお天気」。それを私は聖なる秋の日と呼んでおります。』

とは、ロンドン在住のKさんのコメントです。 Kさんとはfacebookで知合いになりました。

私の周りでも、もう秋を感じさせる空気をところどころで感じています。秋の到来も直ぐ近いのでしょうね。酷暑は早く終わってくれて、さわやかな季節が良いなぁ~。

春と秋が長く続いてくれたら、どんなに楽かと思うのですが・・・。どうも日本は亜熱帯に近づいているようで、この湿度と高温、「何とかしてくれ~」ですね。

このような、カラッとした秋空を望んでいます。

facebookといえば、7月に被災地を訪問した際知り合った「る~さん」の近況も、facebookに上げられるので東京にいても被災地の様子が良く分かります。

その友人のYさんともお友達になりました。彼女はこのブログにコメントを下さっていますが、アメリカのジョージア州に住んでいらっしゃいます。

来年アメリカ横断の際にお会いできると良いですねとの会話を交わしています。

昔を懐かしむわけではありませんが、本当に30年前の若きし頃、イギリスやアメリカにいた時は、手紙と電話しか国際間でやり取りする方法がありませんでした。 (あ、テレックス?と言うのがあったけど、これは仕事用)

手紙は一週間以上かかり、電話は高額でなかなか掛けられない、そんな時代でした。

今は瞬時に、むしろ同時にチャットやテレビ電話などで、無料(正確には電気代などが掛るけど)で会話ができる、本当に便利な世の中になりました。

人との繋がりも、こうして知らない者同士が簡単に繋がっていきます。

人生80年として、その間に知合いになる人間の数はどれほどでしょう。 地球の人口からしたら、ほんの一握りの数パーセントなのでしょうね。 縁してもそのまま去って行く人も沢山いるわけで(例えば学校の同級生と全員つきあっているわけでもないでしょう)、繋がりを持って行く人は本当に限られるわけです。

人生の中で縁して友人(知り合い)になったからには、きっとなにか古の契りでもあったはず…(笑)(赤い糸~?黄色い糸~?)

昨日、聴き返したスティーブ・ジョブスの言葉に、「ドットを繋げ」つまり「点を繋げ」というのがありました。「なるほど」です。

こうして知合って行く点と点。 未来にこの点が繋がって行くように努めていくのも私の仕事。

楽しいじゃありませんか・・・。

だって、みなさんの中にも、マリアやキャサリンはもうすでに「知合いのような気持ち」になられている方、いらっしゃるでしょう?

来年はこのドットをつなぎましょうね! お楽しみに!


なとり鎮魂灯篭流し 「光の道」

2011年08月23日 | 地震

名取市 「なとり鎮魂灯篭流し」の光の道

名取市の友人Sさんから届いた写真です。 8月13日 なとり鎮魂灯篭流しが行われました。

震災で亡くなられた方のご遺族が灯篭に名前を書いて名取川に流しました。

この写真は会場の閖上(ゆりあげ)中学校へ続く「光の道」です。 光の道を飾った灯篭には皆の書いた絵が貼られています。その絵の中には「世界の子ども達からの贈り物」の絵も沢山貼られております。

友人Sさんの家は閖上10区画のうち残った2区画の中にあります。 後の8区画はすべて津波で流されました。

現在Sさんは仕事の関係で閖上を離れておりましたが、子どもの友人、ママ友、地域の人々等、沢山の知り合いを亡くされて、すぐさま閖上の為に活動し始めました。

5月の連休には4tトラックにいっぱいの衣類や日用雑貨を積み込み、名古屋からやって来ました。

私たちピコの会で集めた「被災地の子ども達へ贈る絵本」も彼女の伝手で名取市の避難所へ配ることができました。

そして5月の連休には、ピコの会のメンバーも一緒に「ゆりあげ朝市」で絵本や衣類を配ることをさせてもらいました。

その後彼女はこの「なとり鎮魂灯篭流し」のなとり観光復興プロジェクトの実行委員として、このイベントを成功させるべく裏方で奮闘してきました。 HPを見ると、このイベントに考えていなかった苦労が沢山あったそうです。

そんな彼女から、報告とお礼のメールが来ました。その中に閖上地区の人々の、この「光の道」への思いがつづられておりましたので、無断ですがご紹介いたします。(Sさん、ごめんね)

***********

昨日、次女の亡くなった友達の家に線香をあげに行きました。
家と行っても、家はなくなったので、現在お父さんとお兄さんが住んでいるアパートです。

お兄さんは、うちの長女と同級生で、お母さんも亡くなっていますが、お母さんは、長女が年少(幼稚園)からの、PTA友達です。


亡くなった、娘の友達と、お母さんは、二人とも、当日、午後3時25分まで、公民館に避難していたのですが、中学校に移動するように言われ、その移動途中に津波にあい、亡くなったそうです。昨日知りました。

一緒にいて、生き残ったお兄さんの話では、中学校がいっぱいの人だったので、彼は更に走って、五差路のところの、歩道橋まで行って、そこで津波が来たので、歩道橋の上に上がって助かったそうです。
後ろを走っていたはずの、母と妹は、気が付いたらいなかったそうで。

こういう人が沢山います。
この中学校付近では、夜になると、沢山の人が走っている姿が見える、と地元の人は言います。
迷える霊を慰めて、まずは、目的地だった中学校まで光の道で案内をし、
そして、そこで、花火を上げて、天に昇って行ってほしい。

今回のイベントは、そんな願いを持って行いました。

花火が、夏のお盆の時期までに、各地で行われる、
そんな理由がわかった気がしました。

***********

当日は、多くの人が避難先として目指した閖上(ゆりあげ)中学校の入口のところに、光の道を作りました。

光の道の最終地点は、ひな段を用意して、その上に絵灯篭を飾り、最後の絵灯篭3個に、点火式を行いました。


点火式は、実行委員長、まだ行方不明の5か月の子を亡くした母親、
それに、今回、灯を持ってきて下さった神戸のNPOの方の3名に。

点火式の後、「生きろ」灯篭(寄付販売灯篭)に灯をともしました。

***********

この「生きろ」灯篭は、このイベントに1000万円の費用がかかるとわかり、1個1万円で灯篭を購入してもらえるよう全国に呼び掛けたところ、完売したそうです。

私達東京では、ほぼ前と変わらない生活に戻って、一時の被災地への皆が想いを寄せるウエーブは勢いを失くしているようですが、現地ではまだまだずっと、続いているのです。

先月お邪魔した、七が浜の知人に、秋物の洋服は要りますか?と尋ねたところ、「欲しいです!」と答えが返ってきました。

また集めようかと思います。

多くの方が迷わずに、花火と共に天に昇られたことを祈ります。

 


我が家の自然エネルギー

2011年08月19日 | 地震

地獄のような酷暑、昨日は本当に暑かったですね。お昼のランチを買いに出ただけで、身体が熱を発してくらくら。ほんの2,3軒先なのに。

最近我が家ではお昼過ぎからエアコンを入れても全然効かなくなってきております。どうしたのかしらと思ったら、家中がすでに熱を持っていて、しかも室外機が西にあり、日差しをたっぶり浴びていて、どれだけ設定温度を下げても、まったく涼しくなりません。

壊れたかと思いきや、夜には涼しい風が・・・。 ま、14年目のエアコンにも、もう少し頑張ってもらわなければ・・・。

家も築14年となると、色々修理や壊れる物が出て来て大変です。

昨年暮れに、ガス給湯器がダダをこね始めました。まず浴室のリモコンが壊れ、お風呂に入りながら温度調節が出来なくなりました。かろうじて台所のリモコンで温度調節することができましたが、見て貰えば、もう寿命だそうで、いつへそを曲げてもおかしくないと。

新しくすれば数十万。ひぇ~!!

この冬場に止まったら、一日ともたない。どうしようかと思いながらも、「お願い、給湯器さん!」と良い子良い子をしながら、ごまかしごまかし、最近までもたせてきたのでした。

家中のエアコンも数年前からなんとなく・・・。 ま、エコ生活で頑張るかと。 でもこの酷暑!

さすがにエアコン無しでは気が狂いそう!

そんな訳で、壊れる時はみな同じ時期。 大変ですわぁ~。

今日は、雨もあり涼しい風が吹いてむしろ寒いくらい、本当に楽でした。 このままだと良いのだけど・・・。

そうそう、我が家はとうとう、太陽光発電を取りつけてしまいました!

3.11の大震災が大きく影響した事はもちろんです。

来週からせっせと、我が家で使うエネルギーを自家生産いたします!(私もローン返す為にせっせと働かなければ・・・)


熱き想いは

2011年08月15日 | 地震

八月の酷暑の中、お盆休みでボ~としながら、ふと振り返るともう8月。(八月のと言っているのだから、当たり前)

つまり、今年も後4カ月で終わり?? な、なんと・・・。

今年はなんだか、「突っ走ってきた」との思いが強い。

1月は体調不良でもったりと、2月からさあ、始動!と思った矢先の大震災。

仕事の方は成り立たず、さて私にも何か出来る事はないか・・・と動いたのが「絵本を贈るプロジェクト」と「世界の子ども達からの絵キャラバン」

よく仕事の相棒とも言うのですが、「あのパワー、全力投球を仕事に向けたらすごいのにね」と。(私も向けたいのですが、向ける先が無いのが残念)

「いざの時にその人の真価が分かる」とは良く聞く言葉ですが、この震災で多くの人が色々な思いで、色々な事を学んだのではないでしょうか。

私は「多くの同じ志の友人に支えられ、一緒に走ることが出来たこと」に感謝の思いです。

それにしてもとりわけ、ピコの会のメンバーはすごかったです。

みんなの持っているネットワーク(恐れ入りました!)、行動力(仙台まで夜行で行っちゃって)、損得考えずに動けるボランティア精神、そして自分の出来ることをやると云う無理のない考え方。

今回の被災地支援で私は改めて、このピコの会のメンバーの情熱と人柄に熱きものを感じました。

10数年いまだに受け継がれて続いている「小学校での母親の読み聞かせ」のグループって、私たちの市の中では他には無いのではと思います。

メンバーの一人が書いた面白い「被災地支援の旅行記」(正式には「いちごの思い出し仙台日記」)があります。良かったらお読みください。普通の主婦たちが、あまりに悲惨な東日本大震災に、「自分達も何かがしたい」との想いだけで突っ走って来た被災地支援です。(どんな道中だったか良く分かります)

「熱き想い」、これからも絶やさずに行きましょうか。

そうそう、私を支えてくれた多くの友人たちにも心より感謝です。 ありがとう!

さあ、あと4カ月!(まだ突っ走る?)(笑)


Songs for JAPAN マリアからのおくりもの

2011年08月15日 | 地震

東日本大震災による被災者支援のために、38組のアーティストが結集したチャリティー・コンピレーションアルバム『SONGS FOR JAPAN』

サンフランシスコでマリア(マリソル)と再開したものの、たった10時間しか一緒にいられず(本当は一週間一緒に過ごすはずだったのに・・・)、突然のことで何も私に渡すお土産を用意していないと、彼女が差し出したのが、このCDでした。

スペインに帰国した時に、マリアの母上が彼女へプレゼントしたものだそう。

「そんな大切なものを私に渡してしまって良いのか」との問いに、「これは日本の為のCDだから、貴女が持っているのがふさわしい」と。

マリアの母上が住んでいるのはスペインでも北の田舎、「遠い異国の地でも、日本への支援の想いがあるんだ」とあらためて知り、嬉しい思いでした。

このCDアルバムの一番最初に入っている曲は、ジョン・レノンの「イマジン」。

懐かしい!

遠い30年も前の昔、初めてアメリカ本土に降りたったのはロサンゼルスだと前にも書きました。

あの時、日本人の友人と私、同じ家に下宿していたアメリカ人の女の子と友人、若い二十歳そこそこの女の子4人がラグナビーチへ車を走らせている中でラジオから流れてきたのが、このイマジンの曲でした。

私が初めてイマジンを聴いたのがこの時です。

今思えば、まるでテレビドラマの「OCやビバリーヒルズ青春白書」のように、隣の車を見ては「ナイスガイ!」などと、キャーキャー言いながら、ラグナビーチへ行ったのです。忘れていました、私にも青春があった!(笑)

今回のアメリカ旅行でロス最後の日にパートナーと車を走らせたのは偶然にもラグナビーチだったのです。

街の様子など全然覚えてはいないものの、みんなでキャーキャー言った事だけが思い出されました。

あの時一緒だった大学の親友は20年近く前に癌で他界し、アメリカ人の女の子Dawnはその後はどこに住んでいるか分からず、音信不通。

ただ、Dawnと言う名の意味が「夜明け」だと教えられたことだけは覚えています。

あれから30年。偶然にも今回のアメリカ旅行では思い出のラグナビーチとイマジンが結びついてしまいました。

私に30年前を思い出させたこのCD、すごい! ジョン・レノンを筆頭に、ボブ・ディラン、U2、レッド・チリ・ペッパーズ、レディー・ガガ、ビヨンセ、エンヤ、クィーン・・・そしてレオナ・ルイスまで入っている。

売り上げは全て日本赤十字社を通して被災地へ寄付されるのだそうです。

マリアのお母さん、ありがとう! そしてマリア、ありがとう!

この夏の大切な思い出の一つでした。


被災地支援の葉書 これも支援

2011年08月13日 | 地震
八月ももう半ば、早いですね。みなさんお盆休みでいらっしゃるのでしょうか?
帰省の渋滞も昨日から始まっています。お気をつけて。

さて、この葉書、友人が送って下さいました。

書店でこの葉書を目にした時に真っ先に私の顔が浮かんだとのコメント付きで。

すごく嬉しかったです!誰かの記憶の中に私がお邪魔できたなんてとても嬉しいことです。それこそ生きていた証し。(ちょっとオーバー?)

実は、被災地・陸前高田市の市長さんは東京都町田市のご出身だそうで、この葉書を送って下さった彼女の息子さんの高校の卒業生なのだそうです。

陸前高田市への支援は高校のPTAでも継続的に募金活動をされているそうですし、小中高の同級生の方々も活動をされているそうです。

この葉書は町田市の本屋さんで見つけられたそうで、from町田to陸前高田ということで、売り上げの一部を陸前高田市へ寄付されるそうです。

なんか、ジ~ンとしてきました。そしてこのような美しいストーリーの葉書で私を思い出して下さって本当にありがとうと感謝です。

私も少しでも参加しましょう!娘に頼んで購入してもらいましょう。幸い娘は町田市の本屋さんでアルバイトしているので!

震災から5カ月経った今日。

大きな目立った支援は報道されなくなったものの、こうして小さな支援が続いていることはとても嬉しく人の温かさを感じさせてくれる出来事ですね。

こう云う波動が、ちょっと違うかなと思える今の世の中を、より人間らしく生きれるように変化させてくれることを祈るのみです。

多くの人々が犠牲になった震災がきっかけで、現代をまともな世の中に軌道修正できるのなら、私たちは少しは救われるかもしれません。

それこそ「ひとりひとりの想いが多くの人を支えている」です!

被災地支援の葉書のことでもう一つ。

これです!




World Heart Project ~世界の子ども達からの贈り物~ 

世界の国の子ども達が日本のことを思って描いてくれた絵、約300点の中から絵ハガキを作りました!

この売り上げの一部は被災地の子ども達の笑顔のために使われます。

みなさま、ご協力をよろしくお願い致します。

単品だと1枚200円ですが、10枚セットだと1000円でお得です!お申込みはE-mailでhearth777@gmail.com まで。

その際に『「素敵な私になるために」のブログを見て』とお書き下さいな。このブログをお読みになって購入して頂ける方には、私ども(株)スペースウッズが送料を寄付させて頂きます。(別途送料は弊社持ち)

スペースウッズもワールドハートプロジェクトの協力会社ですからね、そのくらいの事はさせて頂きましょう!

ぜひぜひ、ご協力よろしくお願い申し上げます。

どちらも被災地の多くの人を笑顔にするため、支えている想いは同じです。