今は変化の真っ最中にいる私たち。
今この時期に新しい自分になるために、断捨離をしているとは以前お話した通り。
物もだいぶ捨てましたが、物だけでなく、過去、人間関係、思い、などの断捨離も必要だと。
その中で郷右近丸彦さんの投稿、言霊の話をシェア致しました。
実は別の日にもこのように書かれてありました。
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《ほんたうの言霊②》
今日は運氣を悪くする
悪しき言霊である
「苦言(くげん)」について
解説します。
九種類あるので
「九言(くげん)」とも
言います。
①「不平」
②「不満」
③「愚痴」
④「泣き言」
⑤「悪口」
⑥「文句」
⑦「ついてない」
⑧「心配だ」
⑨「許せない」
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自分を振り返り、①~⑧までは最近全く言わないなと確認、しかし、⑨で私の心が止まります。
「許せない」が私の心の奥にあるのです。
もちろん、腹の立つことや、今の世の中や政府などにも憤慨することだって多々ありますが、最近はその感情には執着しなくなってきている自分がおりまして、とても精神的に楽になっているのですが、まだこの「許せない」が1つだけ根深く心の中にあったのです。
何が「許せない」のか。 「母」です。
一緒に住みだしてからぶつかる、母との確執。だいぶ「許せる」自分になりましたが、まだ1つ。
些細なことかもしれませんが、
この数か月、母と一緒に断捨離してきて、出てくる出てくる要らない物に、「なんでこんなに買うの」と。
それも、必要なモノなら兎も角、まだ使っていないもの、数回しか使わなかったものが次から次へと。
母は戦時中、物が無かった時代を経験しているので、その反動か、今の時代欲しいと思えば手に入る環境で、TVチャンネルなどですぐに乗せられてしまう性格。しかも「もったいない」で捨てられない。
そんなの、置いておく場所も、購入するお金も、よっぽどそっちの方が「もったいない」のにと思うのだが。
なんでこんなに浪費をしていたのか、口をすっぱくして叱責したので、本人も反省して、「どうしてこんなに買ってしまったのかしら」と。 やれやれ、やっと気づいてくれたかしら。
しかし、しかしですよ!
先日母の部屋へ行くと、真新しい大きな空気清浄機がドカンと置かれているではないですか。
「どうしたの、これ?」 「あ~、ちょっとね…」
「買ったの?」 「給付金入ったから…」
「はぁ~!!!!」
別にいいですよ、ご本人のお金だから、何に使おうと。
でも、同じ部屋に別の空気清浄機が回っているじゃないですか!
「ここにもあるじゃない?」と言えば、「部屋が黴臭くて、(断捨離で色々納戸から出してきているから黴が舞うらしく)これ凄いのよ!」と。
お手上げ! もう呆れて、言うことなし。
それから3日間口をきいておりません。
購入することを許す許さないではないのです。いくら言っても分からない、母の無駄使いの性格を私が許せないのです。
妹に言えば、「いいじゃない、もう90歳なんだし、好きにさせてあげれば」と。
「そうだよな」と思おうとする自分と「でもやっぱり」と思う自分。これ、1つの闘いです。
そんな時、娘の引っ越しの投稿のコメントのやり取りで、母親っていくつになっても子が心配。母はありがたいよねと言いあっていて、ハタと気がつきました。
どんな性格であれ、私は母にどれだけ恩恵を受けて来たか。守られてきたか。困ったときに助けてもらったか。
これは「母の問題」ではなく、「私の問題」だったのだと。
そう、おかげさまで、最後の「許せない」をやっと捨てることができました。
どうやって捨てたかって?
それは、「感謝」の気持ちです。
ここまで無事に育ってきて、今幸せに暮らしていられるのも、母の娘を思う気持ちにず~と守られて来たのだと改めて気がついて。
「有難い」という言葉に救われました。
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