素敵な私になるために

『生きているって素晴らしい!』そう感じられる喜びを。
毎日のワクワクを自分にも、あなたにも。

Warld Heart Project 世界の絵キャラバン隊 東北へ向けて

2011年07月17日 | 地震

本日も快晴。

Warld Heart Project 世界の絵キャラバン隊」 今朝 東北へ向かって第2陣が出発しました。

今日はお昼過ぎから、イオンモール名取エアリにて「世界のこどもたちへ絵に描こう」というイベントをさせて頂きます。 (詳細はイオンモールのHPで)

世界の子ども達が日本への応援メッセージを絵にしてくれました。 その絵を100点、今、イオンモール名取エアリで展示しています。 今日・明日はその中でのイベント。

今度は日本の子ども達にも絵を描いてもらおうと云う事です。

先週は世界の子ども達の絵を展示しに(7月9日~18日まで展示)、私達50代4名が、名取市及び周辺地域へ行きました。

今回は30代~40代の若手5人が、今朝、名取市へ向けて新宿駅を経ちました。 無事渋滞にも合わずに着けると良いのですが。

そうそう、本日の河北新聞にて、今日のイベントが取り上げられているそうです。

暑い夏、みんなの熱い情熱が、厚く人の心へ届くことを祈って!

頑張れ日本! がんばれ東北! ガンバレ若者!

 

 


電力制限令による余波は・・・

2011年07月13日 | 地震

今日も暑いですが、風がある分まだ過ごせます。

今日は久しぶりに東大の研究室へ。いつも通りに入って行くとあれ?何か変。

考えたら新学年になって初めてなんだぁ。模様替えもしているわけですね。震災後研究室を訪ねていなかったことに気づきました。

学生さんも卒業されたりで顔ぶれも変わっていますが、私の仕事はもうしばらく続きそうです。

本郷のキャンバスは緑が多くて気持ちが良いです。小学生の一群が安田講堂前に集まっていました。本当に東大は一般市民に開かれていると実感です。

節電にも関わらず、研究室は冷んやり。聞けばガスを使っているから節電は関係無いとか。羨まし~い!

私は一昨日、昨日と夜コンサートの仕事でしたが、一昨日は東京文化会館。

コンサートホールは冷房が入るものの、節電の為、ロビーは冷房が切られておりました。暑いですが受付ですから扇ぐわけにもいかず。

電力制限令により85パーセントに落とす為の対策で、開演後はロビーの明かりも落ち、ホールの中も幾分温度を上げられているのでしょう、上の階に行くほど暑くなのだそうです。ちなみに5Fの客席は30度だったそうです。でも8時まではガマン。罰金100万円ですからね。

8時過ぎたらガンガンに冷やしてました。

やれやれ、コンサートをする方も、聴く方も大変だわ!

帰りにAUショップへ行くと、椅子にヒンヤリ座布団、暑い方は団扇をお使い下さいと書かれてました。

仕事の上でお付き合いのある某新聞社の文化事業局さん。 サマータイム導入で出社は8時10分、終了は4時10分。 うっかり5時にお電話すると誰も出られません。

4時10分に電話は留守電に切り替わり、部屋の空調と電気は切れるのだそうです。

まだ明るいから仕事はできますが、暑くて暑くて無理だと。残業部屋があり、上に届けを出して残業するのだそうですが、そこまでして残業したくないと皆帰宅するそうです。

私は10時出社、お昼を遅めに食べてうっかりしていると、もう連絡が取れなくなっております。

ある研究所では夏休みを強制的に、土日出社して、その分を月曜、火曜に振り替え、水曜木曜金曜を休みにして1週間お休みにするそうで、部署ごとに週をずらしていくのだそうです。

これまた大変ですね。

みんな、色々な所で節電対策の為の調整です。 強制的に人生の余暇の時間が出来て良いのかもしれませんが・・・。 これで経済が回ればね。

 


東北より4 感謝

2011年07月12日 | 地震

東松島市矢本の被災された方々(笑顔がいいですね)

昨日、東北4を更新したものの、文字化けしてしまい・・・。 通勤途中からiphonを使って書いていたのですが・・・。 PC以外からブログを更新するのはこれで2回目。1回目は東北からで上手く行ったのですが・・・。 慣れなきゃね!

何を書いたのだったかしら・・・?

そうそう、謝辞でした! 

今回の東北訪問中、私達をありとあらゆる所へ移動させて下さったのは、往復800キロをお一人で運転し続けた、この「世界の絵キャラバン隊」の発起人であるYご夫婦のご主人様!文夫さんでした。

女三人が寝てしまう中、過酷な睡魔と闘いながら、「代わって」とは言わずに、黙々と運転手を務めて下さいました。本当にありがとうございました!!!! 感謝の言葉もありません。

運転のみならず、絵の展示、録画、衣類の並べからの全てを一緒にして下さいました。さすがに「夫婦で世界一周7か月」をやり遂げるだけあるわ・・・できてる!

「道中、眠くなるので何か話しかけて」と言われたので、「では、そもそもお二人の馴れ初めは?」などと色々お聞きしまくり(笑)

「よく、7か月もの世界一周にでましたね?」とお尋ねすると、「脅されたんだよ~!!行かなきゃ墓石に『行動しない臆病者ここに眠る・・・』とかなんとか書くとね」(笑)「ハハハ、さすが!」(大笑い)

真相はともかく、良くできたお二人です。

今回のきっかけの絵を考えたのはご夫婦の婦であるAyaさん。素早い動きで、次から次と展開して行くきっかけを作る名人です。

SAといい、集会所といい、まあ、市役所へパパっと電話し、あの行動力は何処から来るのでしょう・・・!見習うべきものを沢山お持ちで・・・私などついて行くのが精いっぱい(ハァハァとあえいでいます)

一説によれば、原動力の源は日々のワイン、ビールなどだそうですが・・・。

そしていつも私を陰に日向に引っ張ってくれる(むしろ、後ろから手綱をひいて、私が暴走しない様に調整してくださる)相棒のYさん。

仕事の相棒でもある彼女は、本当に惜しみなく働きます。 今回もまあ、暑い中、文句の一言も言わずに(誰も文句云う人はいないのですが)、良くせっせと働きましたね。

ホテルでもダブルベットの相棒に! 「私達、もう切っても切れない仲なのかしら~ン」(タイヘンだわ!)

彼女のお陰で私もここまで歩いて来れたことに感謝です!

今回の道中は四人でしたが、実際には行かれずとも、その後ろには大勢の方の助けがあります。

絵を書いてくれた子ども達、展示を許可して下さったイオンモールの方、キャラバン隊のメンバー、子ども服を朝から集めた現役ママさん達、子ども服リサイクルに協力して下さったご父兄の方々、そして学校での収集を許可して下さった校長先生、自らも衣類を寄付された副校長先生、コンサートで支援金を寄付して下さったお客様、その他にも支援金を送ってくださった方々、いつもエールを送って下さる方々、などなど。

私たちはその方々と被災地の方々とを結ぶパイプになっただけです。

その代わり、沢山の感動と体験を頂きました。 ありがとうございました。

無事に帰って来れたことに(途中、地震があり津波警報もでましたし)感謝です!!

 


東北より3

2011年07月12日 | 地震

この車で回りました「世界の絵キャラバン隊」

私達が今回宿泊をしたのは多賀城市のビジネスホテル、コンビニAyersRockホテル仙台多賀城でした。

もっと北に宿を取ろうとしたのですが、安い宿を探せなくて、メンバーの一人はは来週も来るので、その条件にあったのがこのホテルでした。 正解でしたが。

着いてみて分かったのですが、この地域も津波に襲われ、1階は全滅だったとか。ホテルは4月の18日に内装を変えて再開したそうです。(良かったわ、結果オーライ、そんなところにお金を落とせて)

まだエレベーターは使えず、3階まで自分で荷物を運びます。 小奇麗にされているホテルで快適でした。ちなみに二人一部屋にして、一人3200円ぐらいでした。

さあ、昨日から私たちは早めのお昼だか遅めの朝食だか、まだ一回しか食事をしていません。お腹もすいたし、心地よい疲労感もあり、とにかく車を置いて、まずはお腹を。

しかし一番近いコンビニも15分とか。近くに食べれる所は見たところ2件のみ。ホルモン焼き屋さんと焼き鳥屋さん。

何故か皆の足が向いたのは、煙モウモウのホルモン焼き。 まずはビールで!

汗だくだくの中、炭火で焼けるのを待っていると、どうも隣もボランティアらしい。「流された・・・」なんて言葉がちらほら。

結局後から分かったのですが、ここの親方さんは【お店のオーナー】自分の家もお店も流されたそうですが、皆が集まれるところが必要と、いち早くこのお店を再開したのだそうです。

だから、そんなメンバーが集まって来るのでしょう・・・、隣のお席と会話が始まりました。

「私達東京からこうして来ているのですが・・・」、「僕は名古屋から、こちらは東京から・・・」

お互い自己紹介が終わって、私達が明日、洋服を配る仮設住宅を探していると話すと、「じゃあ、僕達が明日連れて行ってあげますよ」と。 

メンバーのお一人は地元の方で、家はすべて流されたとか。その方が誰かに電話を。そして私につないで、「流された幼稚園の父兄だから」と。

その幼稚園は七ヶ浜にある和光幼稚園。 やはり津波で流されたそうですが、園児や避難してきた人々は機転が効いて高台に幼稚園バスごと避難したとか。「だから人為災害はなかったの」と話されておりました。明日子ども服を届けに行きますとお約束。

これもあとから聞いた話ですが、園児たちはその高台でひと晩過ごし、翌日ヘリコプターで全員釣り上げて助けてもらったそうです。 恐い、寒い思いをされたことでしょう。

お店の若いお兄さんや親方とも親しくなり、親方から差し入れまで。(ありがとう!)

では、明日と言う事でホテルに帰って、バタンキュー。

翌朝、4時半に目覚めた私はブログの更新。(前日11時には寝てますからね)

本当に昨日の彼らは来てくれるのかしらね?お酒の勢いではないのかしら?

10時の待ち合わせまで時間があったので、ホテルの周りを散歩しに出かけました。 すぐ近くに川があり、あ、ここの家もこの高さまで津波が来たんだと分かる跡がくっきりと。

歩いてみると、その被害が良く分かりました。普通に立っている家でも、人は住めない状態だったり、数件離れた家でも、外目には被害が無さそうだったり。

それは道路に面していたり、住宅の奥まっているところにあったり、ちょっと家の土台が高くなっていたりで、それぞれの被害は違っていたのをまざまざと見せつけておりました。

朝から家族で一生懸命家を磨いていた新築らしいお家の方もいらっしゃいました。

さて、待ち合わせ時間です。やって来ました、彼ら三人を乗せた車が。 「本当に来てくれたんだ~!」みんな感激です!

案内されたのは七ヶ浜総合スポーツセンターに建つ仮設住宅。入ってびっくり。

ここも昨日と同じくらい大きい(所帯数の多い)仮設住宅でしたが、家々には手作りの表札もあり、独自に玄関を作っているお宅もあり、そして何より違うのは、しっかりしたボランティアセンターが建っていて、沢山のボランティアの方が働いていることでした。

集会場に顔を出して子ども服を配りたい旨を説明すると、中にいらしたお婆さんは、「暑いからここでやったら」と言って下さいました。

しかし、管理しているボランティアセンターの方は、集会場は毎日予定が入っているので、突然来られてもダメだと。「今日の今日」という予約は受け付けられないと拒否されました。 ごもっともです!

「あそこだったら良いですよ」と教えられたのは炎天下の駐車場脇。 何もしないより良いかと早速ブルーシートを広げ開店準備。 でも暑い、熱い!

洋服を並べる人、家々に声をかける人、誰も何も言わなくても、勝手に動きます。

昨日の仮設と違って、ここは管理され行き届いているのだと分かります。 アメリカより送られた洋服の段ボール箱がたたんで積み重なっておりました。 そうか、アメリカからも物資が来ているのかと。

でも、お声をかけると「いりま~す」と集まって来て下さいました。 あ、物資は届いていても、小さい子のお洋服などは必要なのかしらと・・・。

炎天下、ブルーシートも熱くなり、裸足で歩いていた子ども達が「あっちっち」と。私たちは早々に切り上げることにしました。

「欲しいけど、この炎天下子どもを連れては行かれない」と仰ったお母さんにサイズはいくつ?赤ちゃんは半年でした。90cmの洋服を何枚か持って行ったら「わざわざ持ってきてくれたの?ありがとう!」と喜ばれました。

ボランティアセンターにお礼を言って、次の目的地へ。 管理も大変なんだろうな。こう云う飛び入りの善意の押し売りは彼らにとっては本当に迷惑なのだろうなと伺えました。

次は昨日教わった和光幼稚園の父兄の方。教えられた住所をナビに入れて車を走らすこと2,30分。

あれ?どんどん海から内陸へ。

間違ったのかしら? それとも内陸の幼稚園だったのかしら? 私たちは半信半疑になりながら探しました。

4歳と半年のお子さんをお持ちのご夫婦とお会いできたのは田んぼの中にあるアパートでした。場所が分からなくてお電話すると、私達もまだ良くこの辺が分からなくてと。

なんと、七ヶ浜でお家を流され、避難所生活から、この度借上げのアパートへ引っ越し出来たのだそうです。でもお子さんはお友達もいるので、同じ和光幼稚園へ通っているとか。

「え~、ここからですか?」と思わず叫んでしまいました。 その距離車で30分はあろうかと。

先程書いたように、幼稚園もその幼稚園児のお宅もみな流されて何も無い方ばかり。私たちの持って行った子ども服やおもちゃ、絵本は皆さんに配って頂けるとか。

もうすぐ夏祭りをしたいので、その場で皆さんにお配りしますと言って下さいました。車は空っぽに!

いや~良かった、良かった。 でももっと早く分かっていればお洋服残しておいたのに・・・。(ごめんね)

 


東北より2

2011年07月11日 | 地震

ここです。ここのPAが運命的な出会いになった場所です。 矢本PA、 東北自動車道かと思ったら、石巻へ向かう三陸自動車道だそうです。

ここのPAで偶然、休憩したことが、私達を矢本町の仮設住宅へ導くことになりました。

急遽高速を下り、ナビに地名を入れ、仮設住宅を探しながらの運転です。「ちがう、あっち」「あれ、田んぼばかり?」などとしながら、やっと発見!(運転者さん、お疲れ様!)

大きな運動公園に沢山の仮設住宅が・・・。早速声かけに。と言っても、どう声をかけていいやら・・・・。取りあえず、小さなお靴のあるお宅に「子ども服の夏物いりませんか?」の押し売り状態。

住民のオジサンが集会所を開けて下さり、皆さんにお声も掛けて下さり、いっしょに並べるのも手伝って下さって。

みなさん、お声をかけると「欲し~い!」と喜んで来て下さいました。 分かった事はお子さんがいらっしゃらなくても、お孫さんが被災されている方も多いということでした。

「ここには住んでいないけど、娘達が被災して何も無いので貰っていいですか」と。

実際今回のキャラバンで分かった事は、避難所、仮設住宅に居る方はまだ、まだ支援を受けているということ、「1階は全滅だけど、2階で住んでいるから」と言う方には、何も支援物資が届かないのだそうです。

この矢本の仮設住宅が立っているところは、震災当時津波が来て、テニスコートの観覧席の2段目まで水につかったそうです。四日目になってやっと水が引いたと仰っていらっしゃいました。

「どうしてこんなところに仮設をつくるのかな?」ともぼそっと。「大丈夫、もう津波は来ないから」と励ますのが精いっぱい。

この仮設住宅でこんなことは初めてとも仰っていらっしゃいました。 先のお孫さんに選んでたおばあさんは、ちょっと待っててと自転車を走らせ、自宅で避難生活を送っている友人を呼びに。

私たちの帰り際、「待ってぇ~」と。

良かった間に合って。積んだ荷物を下ろして、また店開き。

最後にみんなで記念撮影。 「頑張って下さいね!」

東京では梅雨が明けた日だったそうですが、東北も暑い!顔も身体も汗びっしょりになりながら、それでも「喜んでもらえて良かった!」と心にはさわやかな風が。

帰り道に海の方まで回ってみると、本当に仮設の直ぐそこは津波が来た跡が。

海岸へ近づくにつれ「あ~」。

仮設にいた方々、みんなここに住んでいたんだ。 なんとも言えない思いでした。 

でも着実に町は復興して行く、時間が必要だけと大丈夫。

私たちの夏物配布に「夏物1枚しかなかったの」とか「毎日洗って着せていた」とかの声を聞くと、大きな避難所は注目されて物資も豊かだけど、小さな町の避難所はまだまだ物資が届いていないのだと実感でした。

そう云う所へ、皆さんの温かい思いの物を届けたかった、その第一歩が初日にかなって良かったと、本当にホテルへの帰路は疲れも吹き飛ぶ充実感でした。


東北より

2011年07月10日 | 地震

私たちは今、宮城県多賀城市にいます。
名取市の名取エアリイオンモールへ世界の絵キャラバン隊の絵を展示しに来ました。

それだけの為に東北へ行くのでは勿体ないので、車に積めるだけの物資を積んで、金曜日の夜中に東京を出発しました。

段ボールは書道家の方からの支援 イベントで東北へのメッセージを書いてもらったそうです。

朝の6時にイオンへ到着、人のいない、ガランとしたショッピングセンターで絵の搬入開始。100枚の絵を展示していくのは結構大変です。でも4人でやって2時間で終了しました。

うーん、なかなか格好良く展示出来たじゃない!


外は朝と言え、すでに物凄い暑さです。イオンモールの開店を待って、朝食を済ませ、展示の所を見ると結構な人が足を止めて下さっていました。

やったぁ~!

さあ、今日の行動開始。まずは名取が丘公民館へ灯籠流しに使って頂く世界の子ども達の絵のコピーを持参。

喜んで受け取って頂けて良かったです。子ども達の描いた絵は海には流せないので、灯籠に貼り付けて、照明として使って頂けるそうです。

次は宮城県拓桃医療療育センターの父母会の方達に子ども達の夏服をお届け。前日宅配便で送っていたので、持参する物はさほど無かったのですが、おもちゃと笑顔をお届けに。到着が遅れたのに、待っていて下さってありがとうございました。いつもお電話でのやり取りでしたが、初めてお会い出来て嬉しかったです。

帰りがけにサクランボのお土産を頂いてしまいました。ありがとうございました!道中、暑い中、サクランボのみずみずしさに癒されました!

さて、いよいよ、ここから、私たちのキャラバンは始まります。
と、言うのは行く宛先を決めていないのです。

兎に角北上しよう。現地のニーズを探そうと車を走らせました。

無鉄砲ですね。こう言うのは、一番行政に嫌われるやり方だけど、一番現地の人には喜ばれるのだと、後にお会いした地元の方に言われました。でも、皆さまはお手本にしないで下さいませ。もっと頭を使って下さいね。私たちは情熱しか持ち合わせていなかったので。

石巻へ向かい、高速を走らせて、ちょっと休憩に立ち寄ったサービスエリア。トイレと小屋(ごめんなさい)しか無い小さなSAてしたが、そこの二人しかいない店員さんの女性に、子ども服を積んでいると話すと、【私被災者なんですが、実家にいたので何も支援受けていなくて、でもみんな流されて何も無いので、子ども服頂けないですか?]と。

急遽、駐車場脇の路上でブルーシートを広げてお店出し。こんなところで…。喜んで頂けて良かった!

そこの店員さんが東松島市の仮設住宅の事を教えて下さり、市役所に電話。

予定変更、高速を下りる事に。

訪ねた先は、東松島市矢本運動公園に立つ大きな仮設住宅。

三百所帯もいるとか。炎天下にお店を広げようとしていたら、聞きつけたおじさんが、集会所を開けて下さり、自転車で呼びかけまでして下さいました。(ありがとう、おじさん)

私たちも汗だくになりながら、子どもさんの靴やバギーが有る御宅に、子ども服持って来ました~と声かけ。

大きな集会所に所狭しと並べて、嬉し~いと喜んで頂けると、絞るようなTシャツの汗にも爽やかな風が。

続く


世界の絵キャラバン隊 朝日新聞に載る

2011年07月06日 | 地震

先日からアピールしております「World Heart Project 世界の絵キャラバン隊」が昨日の(7月5日)朝日新聞生活面に取り上げられました!!!!!

このキャラバン隊の発起人であり、また私のブログでも何度かご紹介してリンクしております、「夫婦で、世界一周チケットで、7カ月間世界を回って、高齢者の生活研究をしてこられた」Y夫妻のことが載っております。

もちろん記事のメインはこのキャラバン隊についてです。

どうしてこのキャラバン隊が始まったか、そしてこれからどうしようとしているか。

朝日新聞を取られている方、昨日の朝刊31Pをご覧くださいませ。取られていない方は会社か図書館か、ご友人かで(もしご興味あれば)。

今週末から名取市で展示する事も書かれております。(正式には7月9日から18日まで)

友人Ayaさん(Y夫妻の妻の方)から、「今世界から絵が集まろうとしているけど、こんな事したいと思っているんだけど、どうかなぁ」とお聞きしたのは4月の半ば頃。

「いいんじゃない、プロジェクトにしてみんなでやってみたら?」

そして賛同者数名で集まったのが5月30日でした。

その時はプロジェクトの名前決めから始まり、何をするか、どうやるか、などなど話し合いました。

え、本当? 5月終わり? 書いていて?? でも調べたら「第1回ミーティング~」のお知らせはこの日でした。

まだ、1カ月とちょっと!!! すご~い!!!

自画自賛でなんですけど、プロジェクトを立ち上げ、動き出してまだ1カ月!

いや~、みんなの力が集まるとすごいですね。 こう云う事は勢いが大切ですものね。

キャラバン隊は日本全国何処へでも参ります!(お呼びがあれば・・・お呼びが無くても・・・)

今は「何処へでも行きます!」のその費用はまだ自費です。でもそれでは続かないので、ポストカートを販売したり、募金を集めたり、スポンサーをお願いしたりとこれからが大変だと思います。

キャラバン隊はどなたでも参加できま~す。会費なし!義務もなし!

必要なのは熱い気持ちと行動力(後方支援歓迎、例えば情報とか)!

みんなで自分たちの国、日本を、元気にしていきましょう!

これって(誰かの為には)、自分達が元気になる最大の力だと思っております。ハイ。 応援よろしくです!

 


世界の絵キャラバン隊 初展示

2011年07月03日 | 地震

世界数カ国の子ども達たちから日本を応援するメッセージ付きの絵が贈られてきた。それらの絵を日本中の人に見てもらい元気になって欲しいとキャラバン隊が発足した。 

(写真はマイアミの子ども達)

 

本日、東京の天気予報は、気温30℃前後、湿度70%前後・・・あ~、やっぱりかなり蒸し暑いゎ。(覚悟)

我が家は地震の時にエアコンの電源を抜いたままの状態です。扇風機一台で、あとは窓を開け放して過ごしています。 (いつまでもつのかしら・・・我慢大会じゃないのだから・・・)

でも今年は、簾に風鈴、打ち水等で頑張ってみようと思います。(私の子どもの時はエアコン無かったから・・・でもその時より地球の温度も上がっているけど・・・)

昨日、「世界の絵キャラバン隊」の初陣(?)がありました。(正式にはWorld Heart Project ワールド ハート プロジェクト ~世界の子ども達からの贈り物~ と言うのですが)

表参道の青山AOビルのイベント会場に世界の子ども達からの絵を展示してもらえました。

会場内の様子です。(絵をクリックすると大きくなります)

50枚を選抜して台紙につけてビニールケースに入れて飾りました。 

おしゃれなビルでオシャレに飾って頂いて、子ども達の絵がキラキラしているようでした。

イベント関係者の皆さまありがとうございました。

 

皆さま思われませんか? 

「これらの絵を展示して、それで何になるの??? 何のために???」

「描いた人と貰った人の自己満足じゃん!!!」

そう、私たちも同じように思いました。 そこで一生懸命考えてみました。

絵を展示する・・・その目的は、

1番の目的は「世界中の小さな子ども達が日本を思ってくれている」その思いを伝えること。

2番目は「絵を見て元気のパワーをもらって、気持ち的に日本復興に役立てて欲しい」

その為に何が出来るか・・・絵を使って世界と日本をつなぐ懸け橋になれないか・・・ 

今、その先に何か出来ないかを思案中です!

とりあえず、

第2陣は名取市のイオンモールショッピングセンターでの展示とアートセラピー

第3陣はポーランド大使館パーティーでの展示

第4陣は名取市燈籠流しのイベントで燈籠に貼って頂く

と、ここまでは決まっております。

そして、今、プロジェクトではポストカードを作成中です。

 

私個人的にはこれらの絵を幼稚園バスに使って貰えないか(ピピッ!)そんな案が頭の中を駆け巡っています。被災地で流された幼稚園の復興に役立ててもらえないか・・・そんな何かが出来ないか・・・みなさん、お知恵を貸して下さいませ!

 

さあ、今日は気分を変えて、一日大掃除!(家を涼しくする為には必須です)思いきって捨てます!

みなさまも良い一日で!

 

 

 

 

 

 

 

 


元気を貰える活動 2つ

2011年06月30日 | 地震

お礼に手渡したメッセージカード

このところ 「暑い」と云う字が真っ先に出てくるのですが、昨日は本当に暑かったです!

東京は今年一番の夏日じゃなかったかしら・・・35℃を越えました。なんだか水物ばかり口にしていたので食欲は落ち、夜には熱中症かしらと、早々にダウンで寝てしまいました。

この暑さに身体もついて行けず、悲鳴を上げているのでしょう。

それでも実りの多きこと二つ。

一つは朝の小学校での夏服リサイクルの回収です。

月曜日の朝は雨もあり、子どもたちは荷物も多いので、さほど集まらず、「まあ、集まっただけでも良いかと」言っていたそうですが、中日、昨日と、登校してきた子ども達が、「はい」と手渡してくれる紙袋がどんどん増えて、結局、数個の段ボールに山のようになりました。

 クリックすると大きくなります

昇降口で集めているところ  ドンドン集まって来る子ども服  卒親の書道家さんのイベントで書かれたメッセージ付き段ボール(これに入れて送ります)

嬉しかったですね。

保護者の方々のお気持ち。 子ども達の運んでくれる気持ち。 現役ピコの会のメンバーの気持ち。

子ども服の入った袋を(中には重い袋も有り、ありがとう)差し出す子ども達へ、何やらメンバーが渡しているものが・・・。何かと思ったら、お礼のメッセージカードでした。

若手ママさんたちが、自分たちで考えて作ってくれたものが上のメッセージカードでした。

一つの事をやろうとした時に、みんなの気持ちが集まることって素晴らしいですね。

これって仕事(会社)でも同じこと。 指示待ちでは無く、自発的に動けることが一番大切ですよね。

私達OBママの役目は、集まった物を、気持ちを現地に運び、配ることです。

それぞれの人が「自分のできること」で動くので、無理が無く、自然に、誰かが指示することなく、動いていく。 これが「ピコの会」です。

読み聞かせを始めた最初のモットーが「出来る人が、出来ることを、出来る時に」でしたから。

先日OBメンバーがポソっと言っていました。「みんな自然に自分の立ち位置を知っていて、黙っていても皆が動く、これすごい!」と。

私も同感でした! 本当にありがたい、素晴らしいメンバーです。

 

さてさて、二つ目。

「世界の絵キャラバン隊」 ポーランド大使館に行って参りました。

来月、宮城県と福島県の子ども達をポーランドにご招待されるのだそうで、その出発パーティーで展示して下さることになりました。(ヤッタ~!)

これで私も、ポーランドの子ども達に報告が出来て、ちょっと「ホッ」です。

これがご縁に色々な事が広がると嬉しいですね。

 

昨日は、人々の心の広さに、沢山の元気を頂いてきました。

ありがとう! 頑張らなくちゃ! 夏バテしている場合かい・・・。

 

 


キャラバン隊と夏服リサイクル

2011年06月29日 | 地震

この絵が色づかいも賑やかでかわいくて・・・元気が出そうで、つい。

おはようございます! 本日も暑くなりそぅ~です!

六時前から起きているものの、もうすでに太陽に照らされた家々の反射の光が、暑さを物語っています。

いよいよ本格的な夏なのかしら・・・。

昨夜11時過ぎに家族3人で帰宅するや、家の中のあまりの暑さに閉口。 家にいた家族に、「なんで扇風機を出さないの?」と。

みんな異口同音に「NO! 天井裏の納戸はサウナのようで30秒と居られないから」。

でも結局、誰かが出しに行ったのでしょう(私は初めからこの手だからと拒否していて)、今扇風機がリビングに鎮座しております。

今朝はこれから地元の小学校へ行ってきます。 被災地へ送る「子ども服の夏物リサイクル」を募集してあり、子ども達が登校時に持ってきてくれるのを回収する為です。(ピコの会の活動です)

今日で3日目。 最終日です。 さあ、どのくらいになるのでしょうかしら?

東北の方、待ってて下さいね。(かなり夏日になってしまったけれど・・・)

 

その後はポーランド大使館へ。 「世界の絵キャラバン隊」の絵を飾って頂ける、そのご相談です。

今、キャラバン隊ではポストカードも作成中です。 キャラバン隊の活動資金と被災地への寄付の為に。

色々な事が上手くいって、みんながHappyになれると良いですね。

今日も暑さに負けずに頑張りましょう!! Have a nice day!


世界の絵キャラバン隊

2011年06月16日 | 地震

メキシコの子ども達からの絵

このところ毎回お見せしている「世界の子ども達からの応援メッセージの絵」ですが、現在300点ちかく集まっております。

これらの絵は、世界中の子ども達が、日本が震災でダメージを受けたことを心配して、自分達も何か出来ないかと、絵を書くことで日本の子どもだけでなく日本中を、応援してくれようとしているメッセージなのです。

受け取った私たちは、責任持ってこれらの絵を多くの方に見て頂きたいと、今キャラバン隊を結成中です。

題して World heart(ワールドハート)・プロジェクト  ~世界の子ども達からの贈り物~ 「世界の絵キャラバン隊」

この指と~まれ!です。 

皆さまの出来ることで応援頂けたら嬉しいです。

一緒に被災地へ参加支援。 資金支援。 物で支援。(例えば絵を張るボードとか他)

第1弾を7月初めに予定しておりますが・・・詳細が決まりましたらまたアップ致します。

ただ今HP作成中、 今後の活動にご期待下さい。


再生 これを信じて

2011年05月29日 | 地震

ポーランドの小学生が描いた激励の絵

台風が沖縄に上陸の模様。東京も本日夜半から明日にかけては大荒れでしょう。

大雨は放射能で汚染された所を洗い流してくれるのでしょうか?

それともかえって汚染物質が地中深くに浸み込んで蓄積されてしまうのでしょうか?

今後何年、私たちは放射能汚染問題と向き合っていかなければならないのでしょうか?

今更ながら、地震直後の水素爆発した時点で東京を離れた人は賢明だったのかしらと、悔む思いもでてきますが、学校も仕事もあればどうしようもない状況でした。

危険を知らされないで、危険にさらされている。せめてこの状態からは脱したいものです。

東京に住む私たちよりもっと深刻なのが福島県に住む方々でしょう。その不安や受けている理不尽さは、私達のものとは比較にならないことだと思います。

福島市に住む知人が言ってました。

「この地震で人生を変えられた人がどれだけいることでしょう。私も両方の母と同居することになりました。地震だけならまだ何とかなります。でも原発問題では心が折れる事も多く・・・」と。

彼女が「小学生、中学生のお子さんが通われる学校の校庭の土を掘り返してくれるよう市に掛けあっているが、市は国と掛けあっているとしか返事をしない」と嘆いていたのが、一カ月以上前のことだったと思います。

周りに目に見えない危険物質があると云う中で生活するストレスはどれだけのものか計りしれません。

彼女を始め、福島の人々の事を思うと心が凹みます。

 

ところで、一週間前に怪我をした私の左手の傷は、包帯も取れ、今は「かさぶた」のみとなりました。

左手を眺めながら、つくづく細胞の再生力に感嘆している私です。

新しい物が生まれより良くしていく。生物には、いえ自然には自ら治癒していく、修復していく能力が備わっていると感じさせられました。

人間も同じ、災難を克服して、また活き返る能力は備わっているはずなのです。どんなに苦しくてもそこから生きようとする力を持っているのだと。

私はその能力を信じたいと思いました。

ただただ、これ以上人的災害が起こらないで、人々が希望の光を見いだせることを祈るばかりです。

 

そうそう、6月4日のヴァイオリンとパイプオルガンのコンサートには福島の方々も沢山お見えになります。音楽でひとときでも楽しい、明るい気持ちになって頂けたら幸いと思います。


避難所格差 目の前に物があっても・・・

2011年05月27日 | 地震

ポーランドの子供たちから日本の子ども達への応援の絵

今週はずっとお天気がすぐれず、いよいよ梅雨入りだそうです。本当にさわやかな初夏はあっという間のことでした。

梅雨が明ければちょっと今年は恐ろしい夏が来ます。覚悟して準備しなければと思っております。

隣の市ではゴーヤの苗が無料配布されたそうで、あっという間になくなったとか・・・。

私の子供の頃は、夏は部屋と部屋の扉を外して、すだれが掛っておりました。家の中ですから、ちょっと涼しげな上品なものでしたが・・・。

あっ、涼しげなのれんも良いかもですね。 寝る時はカヤもありました。

べープマットでなく蚊取り線香、クーラーでなく扇風機、扉を外してすだれを掛け、家中を風が通るようにしたら、風水的にも良いかも。

レトロになるのも悪くないとワクワクしてきます。

 

ところで、震災から2カ月半経とうとしていて、日本中の人々の救援の熱も冷めてきているのではないかと思います。

沢山義援金の寄付もしたし・・・被災地でもみんな立ちあがって頑張っているから・・・と。

連休明けに私の所にSOSが入りました。

宮城県のある医療療育センターにお子さんを入院させていて、被災された親御さんからでした。

「子供の下着と春夏服が無くて困っている」と。

な、何で・・・。地元で連休には洋服を無料で配ったのに・・・。

避難所には洋服が溢れていたから、避難所にもらいに行ってごらんなさいとアドバイスをし、私も名取市市役所に在庫確認の為連絡してみました。

ところが、返って来た答えは・・・

「物資は基本的に避難所に居る方の為のものだから、避難所に居ない方には渡せない」と。

「じゃあ、理由があって避難所に入れないけれど同じように被災された方は、何も物資の援助を貰えないのですか!」と声が高くなってしまいました。

実際、先日ゆりあげ朝市で一緒にボランティアで働いた一人は、ペットのワンちゃんがいるので避難所には入れないとご自分でアパートを探したそうです。 でも家はきれいに流されてしまっているのです。

その後、「公民館に行って申請すれば、貰えます」と。

先の知人は公民館に行ったそうですが、仙台市民だからときっぱり断られたそうです。

物が足りないならいざ知らず、余っていて処分に困っているとニュースでも流れているのに、目の前に同じように被災して困っている人がいても、ルールと言って断る仕方に、「お役所仕事だなぁ」と怒れてきました。

仙台市ではある団体が余った下着をフリーマーケットで売って義援金にしたとか・・・。

私達物資を送った者は、これは名取市へ、これは仙台市へと分けて送ってはいないはず。

困った方に少しでも役立つようにと送っているのに、末端地域へ物が行った時には自由がきかなくなる、困ったものですね。

物が余っている避難所とまだ気の毒な生活をしている避難所との格差も大きいようです。

先の知人、仙台市の避難所を駆け回って子供の下着を集めたそうですが、足りてないそうです。

特に夏服などは避難所もこれから必要でしょう。 

「物は商店に届いているのだから、買う事はできるのでは?」との問いかけに、「義援金もまだ配られてはいないし、将来を考えればなるべくお金は使えないし、実際裕福な人ばかりではない」との返答でした。

でも私は先のことでがっかりしてしまいました。

だから決めました。 前回絵本や洋服を直接、必要な人に配ったように、今回も直接、夏服を欲しい人に配ろうと。

でも私の様に団体でツテがあったから配れたものの、個人の受け付けはされてないのですから、結局はまとめて役所行きしかなかったわけですよね。

被災者でなくても、ただで貰えるとなれば来る人もいるのでしょう。だから避難所の方だけなどとルールも出来るのかもしれません。

あちらが立てばこちらが立たず、さてさて・・・。

しかし実際困っている方を目の前にして、目をつぶってはいられません。(イヨ!江戸っ子!)

コンサートが終わったら、また支援活動開始ですかね。

 

 

 


名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねて 2

2011年05月06日 | 地震

さすがに昨日は疲れてぐったりしていました。

一人別行動で4日に岩手県九戸郡野田村(絵本を贈ったところ)へ旅立ったメンバーも昨日無事に戻りました。また違った被災地の景色だったそうです。

私たちは運よく、「顔の見える人に手渡しで絵本を渡したい」この希望が叶い、朝市と言うところで、欲しい人に好きな本を選んで貰って配ることが出来、本当に幸せでした。

そしてこれもまた運よく、「避難所で読み聞かせのボランティアを」も叶い、名取市文化会館で大型絵本を読ませて頂きました。

大型絵本の時はもう少し子どもたちも集まって来ました。

本当はその後も他の被災地の避難所を訪ねようと考えていたのですが、先に文化会館の様子を拝見し、「今日はやめよう」と云う事にしました。

連休も有り、避難所の大方の人は外へ出かけていました。子供さんも数人が残る程度で。 仮設住宅への移動も連休から始まったとお聞きしました。他の避難所も同様でしょうと。

避難所は、段ボールで区切られた畳1畳から3畳くらいのスペースの個人生活環境でした。当然ですがプライバシーは限りなく無い生活。テレビも無い生活。疲れることでしょう。

そう言えば、朝市に大型テレビが設置され、人だかりが出来ていました。何を映しているかと思えば、3月11日の地震の後の津波の映像でした。

メンバーの一人がそれを見て、勘違い。「大変、昨日も地震があったみたいよ、東北に津波警報が出ていた」と大騒ぎ。

よくよく見れば、それは何と3月11日の映像。

「え、なんで今頃?」 被災地の皆さんは、今初めて観るのでしょう、自分達の家が流されていく様子を。

私達には何度も見せられた、これでもかと繰り返し見せられた、悲惨な映像を大勢の皆さんが食い入るように観られているのはとても印象的でした。

ゆりあげ朝市で絵本やお絵描き帳、なわとび、あやとり、折り紙、絵本バック、洋服などを展示。             必要な人が必要な物を持って行く、そんなフリーマーケット的なやり方は良かったと思います。

絵本を手にする人々

「ハメル―ンの笛吹き」よろしく、急遽、リコーダーデュオを組んで呼び込みの「トトロ」の演奏。

被災地訪問の6名の「のみのぴこ」メンバーです。

 


名取市閖上(ゆりあげ)地区を訪ねて

2011年05月05日 | 地震

みなさまに支えられて、私達6名は無事に名取市ゆりあげ朝市で絵本の配布をして参りました。

同じボランティアでも私たちは実際に津波の来ていない場所で、フリーマーケットのようにお店を出して、必要とされている物を配るのですから、申し訳の無いくらい楽なものでした。

現場を掃除されているボランティアの方々に比べたら、リアリティーが違うかもしれません。

しかしながら、私が感じたのは、同じ被災地でも、津波の来た所と来なかった所の歴然とした格差。今度の被災は地震で無く、津波だったんだと深く思い知らされました。

降り立った仙台駅、市は連休もあって賑わっておりました。どこを見てもきれいで、地震があって被害を受けたとは思えないほどでした。

名取市も津波に襲われなかった所は、まだ綺麗で整然としていました。でもひとたび、津波の来た場所まで来ると、そこは何も無く、田圃にはゴミが残っており、海の砂浜のように砂があり、磯の香りがして・・・。

海から2キロも離れた閖上(ゆりあげ)小学校からは海が見えません。 しかし波はここまでも来ていて、泥の被ったランドセル、泥でメチャクチャになった1階の運動具置き場(?)がそのままでした。まだここまではボランティアの掃除も回って来ていないのですね。

津波は船をここまでも運んでいました。

ゆりあげ小学校に置かれていた壊れた車は津波の威力を感じさせました。

本当に真っ平らなゆりあげ地区は10地域のうち、8地域が津波で家を流されたそうです。

友人のお陰で、許可書が無いと入れない海の近くまで連れて行ってもらいました。

「ここは、びっしり家があったのよ」と叫ぶように云う友人ですが、ただの平地と化した場所を初めて見る私には想像が出来ない事でした。それほどに何も、何もないのです。

少し残された家の上には壊れたバスが乗っかっておりました。

小学校の体育館には集められた写真が所狭しと並んでおりました。

 友人の友人はご主人を3年前に亡くされ、遺骨はお寺さんに預けてあったそうです。でも今回、お寺さんも流され、お墓に入れるものが無くなってしまったので、せめて写真でもあればと、ここにきて一緒に探そうとしたけれど、これではあまりも・・・。無理だと諦めたと言っておりました。

同じテントで一緒に手伝っていた方々は皆災害に合われた人でした。一人はお家は大丈夫だったと、一人はすべて流されたと。

避難所の名取市文化会館にも読み聞かせで中へ入れて頂けました。 段ボールで囲まれた部屋部屋を見て、もうすぐ2カ月、疲れるだろうなぁと悲しくなりました。

その中にも家族を亡くされてまだ見つからない方もいるのです。

これが被災地の人々の抱えている現実なんだと思う時、賑やかな仙台市の町の様子とのギャップに何とも言えない思いになるのでした。

私たちのやっていることなんて、どれほどの役にたつのだろうと、悲しくなりました。

所詮、東京に帰れば普通の生活に戻れる私たちに、被災地の人の心の痛みがどれだけ分かるのだろうかと。

現地の人はそれでも明るく頑張っています。

一日も早く家族が見つかります様に。 一日も早く元の生活に戻れます様に。

心から復興を祈ります。