「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり。 ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」
そう、信長が桶狭間の戦いで舞いながら詠んだ一節です。
あの頃は人生は50年だったのでしょうね。
私は今月、還暦を迎えます。
人生60年、よくぞここまで生きてきたものだと、いやむしろ、ここまで無事に生かして下さったものだと一重に感謝しかありません。
親であり、パートナーであり、子供たちであり、姉妹であり、よき友人たちであり、さまざまな師匠であり、色々なことで関わって下さった方々に
心からお礼を言いたいと思っております。
今、幸せだと思えることに心より感謝です。
人生には多くの出会いがあります。
先日、ある方のご紹介で木全ミツさんにお目にかかれました。
木全ミツさんは、東大の医学部を出て、労働省に入省、色々なプロジェクトを成功させ、緒方貞子、赤松良子、黒川内久美に続いて4人目の女性の国連公使としてNYに単身赴任。
労働省退官後はザ・ボディショップジャパンの初代社長として130店舗を展開し、10年勤めた後、あっさり次の世代に道を譲り、
その後はNPO法人女子教育奨励会(JKSK)を設立された方です。
「JKSK」とは「女性の活力を社会の活力に」(Empowering Women Empowering Society)という会です。
その古めかしい「女子教育奨励会」のお名前を付けられたご縁には、渋沢栄一さんが関係しておりました。
この「NPO法人女子教育奨励会」がつくられるミーテイングのメンバーに渋沢栄一さんのひ孫の渋沢雅英氏がいらしたのだそうです。
【時は、江戸から明治に。男たちはチョンマゲを切り、背広を着て、『日本は近代国家の仲間入りをするのだ』との思いで、
渋沢栄一、勝海舟、伊藤博文たちはヨーロッパ視察に訪れた。
そこで彼らは、大英帝国の貴婦人たちに太刀打ちできる日本女性を育てる必要性を痛感した。
着物を脱いで、ドレスをまとっただけでは、だれも日本を近代国家とは認めない。
帰国後、渋沢栄一らが中心となり、当時のリーダーたち179人に声をかけ、身銭を切って創設されたのが、「女子教育奨励会」であった。
早速、東京女学館の設立に取りかかる。(伊藤彩子著 「仕事は『行動 やったこと』がすべて」より)】
ここから「NPO法人女子教育奨励会」は創設されたそうなのですが、こんなところで東京女学館が出てきて、こんな思いで設立されていたとは。
私の母校でした。
なんと不思議な縁。
15歳の時にその学校に通い、45年経った今、また「女子教育奨励会」に縁することとなりました。
木全さんはすべてにポジティブなお考えの持ち主で、「前例がなければ作ればいい」「すべては結果、やったことのみが物語る」と、
ひたすら行動されて周りを魅了されていく方。
仕事も、子育ても、家庭も、介護も、すべてに全力で行動されるそのお姿に深く感銘し、勇気づけられ、「私もやらなくっちゃ」と思わせて下さる生き方をされている方です。
先日、アジア太平洋女性連盟の国際会議に出席して、女性の問題に対し、アジアの各国に触発されてきたところ。
今また、「女性の活力を社会の活力に」という会に巡り合ったのも何かのご縁でしょう。
人生80年、今後の20年に何をなすか、ワクワクしてきたところです。
又、この素敵なお話をありがとう。
本当に、人は運命をちゃんと持って生まれてきて
いるのだと、つくづく思いますね。
奇跡でも偶然でもなくて、使命と云って良いかしら。
今におきている事は何かしら理由がある。
気が付かないか気付くかで、生き方が変わるのだと
思います。
だから どんな人に出会うのか・・・という事はとても
意義のあること。
そして、いかに吸収して、それを自分に活かせるか
それが人生のポイントになるのでしょうね。
行動を起こすとき、今、自分が置かれている現状から
身動きが出来ないことも沢山あるのですけれど
そんな中からでも何かを掴みたい・・・
そんな風に意思が動いてゆくのも嬉しい私です。
貴女に出会ったのが40年以上も前だったけれど
現在でも沢山の刺激を受けて、良い思いも沢山あって
楽しい!
これからも続きますよね。 宜しくね~♪