maidoの”やたけた”(ブログ版)

ジジイの身辺雑記。今日も生きてまっせ!

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Today's maido (日記)を主に、新しい記事と併せて、OCNの旧maidoの”やたけた” 内の関連のある日付のToday's maidoや記事も此方へ再掲載しております。


☆☆☆ お薦め与太話 ☆☆☆
支離滅裂-迷想迷夢-地震対策の妄言 目次 をアップしました。(2015-01-18 )、OCNのHPにアップしたのは 2005/02/19 でした。

虚々実々-喜愛香港 目次 をアップしました。(2016-11-12)
虚々実々-心筋梗塞顛末記 目次 をアップしました。(2016-11-12)
支離滅裂-迷想迷夢-白姫伝説 目次 をアップしました。(2018-09-17)
支離滅裂-迷想迷夢-雨上がりの妄言2004-05-21 をアップしました。(2021-04-18)
虚々実々-U.S.A.-1964-目次 を更新しました。(2022-01-08) NEW

OCNのPage ONサービス終了(2015/2/28)に伴い、2015/1/1より当gooブログに本店を移転しました。

2022/06/01

2022-06-01 19:45:31 | Today's maido(日記)

4時20分に目を覚まし、身体の各所はどんな具合かな?とベッドの上でゴネゴネしてみたら、良くも悪うもなって無いみたい、急には変わらんわなぁ。
急に変わる事があるとしたら、大体は悪くなる方向で、突然気分がスッキリ良うなったかと思たら、ロウソクが消える前の最後のキラメキやったりしてね。
考えがどないしても陰隠滅滅とした方向に落ち込んで行くなぁ、陰気な気分で居てたら、治るもんも直らん、気で治るような病気や無いけどな、オット是がアカンのやがな。

バッグに溜まったたのは600cc強、最近はこの辺りが多いなぁ、昼間の尿量も量って見るか、お籠りは全く気配無く、今日はB通が無いような気がする。
朝刊を取って来て、朝食には食パンにマヨネーズを塗り、薄切りトマトを並べ、飲み物は水、デザートは牛乳羹、薬10錠、是では保たんやろなぁと6Pチーズ2個。

全身疲労倦怠感、ヤル気皆無、Webを眺めても特に対応せなイカンことはなかったので、ソファーに座ったり、寝転んだりグウタラ三昧。
おぉ、そうや!と旧記事を再録、U.S.A.1964はやっと1/3を再録できたところで、インチキ船員時代の記事はテキストファイルやよって、手間が掛かろ遣ろうなぁ。
その他の話となると、これはもぉ気が遠うなりそうですわ。

昼食はご飯半膳、釜揚げシラス、自家製柴漬け、デザートはカミさんが張り込んで買って来た大栄西瓜、お腹一杯で15時頃まで動けず。 15時にリンゴとニンジン、ダイダイ搾り汁でカミさんがジュースを作ってくれたのを有難く飲んだら、驚くほど甘かったなぁ。

リンクの間違いを6カ所見付けて修正、原因は半角文字を使わないかんのに、全角を打ってたという素人丸だしの単純ミス、まだ気付いてないのが潜んでるんやろうなぁ。
夕食はご飯半膳、シイタケのうま煮、特製ジュースの残り、ヨーグルト、是では栄養不足やろなぁ、まぁ暫くは備蓄で耐えんとしようがないね。

☆再録しました。
45-残留2日目-02-U.S.A.1964-No.45(8/1) エンジェルズ・キャンプ (2022/06/01再録)
46-ED BARRAR-01-U.S.A.1964-No.46(8/1) 新米スタッフ (2022/06/01再録)


46-ED BARRAR-01-U.S.A.1964-No.46(8/1)

2022-06-01 09:55:40 | 虚々実々-U.S.A.-1964

新米スタッフ

毒蛇セットの使い方を習っておこうと缶の中身を出してみると、意外に簡単な中身が出てきました。
吸出し器具、剃刀の刃、止血用のゴム、消毒ガーゼ、説明書、少し拍子抜けしました。
これなら教えて貰うまでも有りません、止血して、噛傷の上をキの字に切って血を吸い出せば良いのです。
バイパーがどの程度強い毒をもっているのか、それも神経毒なのか血液毒なのか?
ボブによると神経毒で、そんなに強くは無いそうです。
それなら、処置が早くて、血清さえ有ればそんなに心配しなくても良さそうです。

こういう風に書いてあると、如何にもスムースに話が通じているようですが、どれだけ苦労した事か・・・

蛇の血清は噛まれた蛇と同じ種類のでないと効果が有りません。
幸い、2種類しか居ないらしいのですが、その2種類の見分けがつけにくいんだそうです。
いっそ、両方の血清を混ぜて注射すればOKという具合に行かないんでしょうか? 幸い、アメリカでもこの辺りは毒蛇が少ないんだそうです。
南の州や砂漠地帯には、あのガラガラ蛇が居るそうで、種類によっては2m以上になるのが居るんだそうです。
そんなところのキャンプ場へはあまり行きたくありませんね。

その点、マムシしか毒蛇らしい毒蛇が居ない日本の本州は恵まれていますね。
ヤマカガシも毒が有るとは言え、毒牙が奥のほうに有るのと、性質が温和なので先ず噛まれる事は有りません。
沖縄や南西諸島に行くとハブが居て、コイツは桁違いに気が荒くて、毒も強いのでこまりものですなぁ。
ネズミを追い駆けて家の中に入ってきたりするらしいので堪りません。
大体気温が10度を下回ると、ほとんどの蛇は動けないんですが、気候が暖かいと年中活動するのも困り物ですね。
なお悪い事に、赤外線センサーを装備しているそうで、暗闇でも油断できんらしいです。

色々な木の実の標本や写真も並べて有ります。
ハシバミ、胡桃はまだ季節が早いし、キイチゴはもう済んでいるでしょうね。
残念だなぁ、というと、キイチゴはまだ種類によってはシーズン中だそうです。
「これなら沢山有るよ」と指差したのは形はキイチゴでも、熟した桑の実のような赤黒い色をした見たことのない種類です。
「どのくらいの大きさ?」と訊くと、指で作った丸の大きい事。
ほー、それは食べ応えが有りそう。
ナッツ以外の木の実の種類には全部「何とかベリー」と名前が説明書きに書いて有ります。
小さな粒粒の集まったキイチゴ風のや、グミみたいな実、草の実、木の実、いろもマチマチ、それでも名前はほとんど「何とかベリー」。
どうやらラズベリーから〇〇ベリーと言えばキイチゴの仲間と思っていたのは大きな間違いみたいです。
そう言えば、イチゴもストロウベリーですね。

此処でいつまでも時間を取っていられないので、テントへ向かいます。
ワッ!ステキですね。
木のしっかりしたデッキの上にテントが張って有ります。
山小屋の上半分がテントといった感じです。
その上、椅子まで有ります。
しかも1人で使うには勿体無いくらい広い。
天井が高いので、私なら背をかがめ無くても大丈夫、これは快適そう。

「気に入った?」とボブ。
「最高!ところでリーダーのサポートってどんな事をすれば良いのかな?」
「一番多いのは火の燃やし方の指導かな。上手く火を燃せる子供って意外にいないんだ。
1人だと幾つものグループの面倒を一度に見れないから、どうしても食事の支度に時間が掛かってしまって、他のプログラムをする余裕がないのさ。」
「薪(firewoods)はどんなのを使うの?」
「枯れた大枝は危ないから、見つけ次第切り落とすし、倒木も有るから、そんなので充分間に合ってる。Cedar や Redwood がほとんどだね」
広葉樹の中には、頑として燃えるのを拒否するのが有るんですね。
そういうのは一旦燃えると火持ちが良いんです。
それに、なだめたり、すかしたりして燃やすのは腕の見せどころでも有ります。
両方とも針葉樹ですから、火持ちはともかく、燃やすのは簡単な筈なんですけどね。
普段の生活で火を燃やすことが無いので、なれてないんでしょうね。
そう言えば、街で物を燃やしているのを今まで見ませんでした。
何か規制があるのかも知れません。

「他には?」
「水泳の時の監視の手伝いもあるなぁ、それとロープワークとか簡単な野外工作だね。動植物の観察の指導は Ranger 達がするから」
それくらいなら何とかなりそうです。
「ところで、ボブは Ranger なの?」
「うん。最初のシーズンで資格を取ったんだ」

突然、キチキチ、ともカチカチとも聞こえる大きな鳴き声。
すぐ側の木をデッカイ Gray Squirrel(リス)が駆け降りて来ました。
頭を下にして降りてくるんですね!
これは大きい、胴体だけでも30cmくらい有りそうです。
尻尾は食べるところは無いのでしょうが、胴体と同じくらいの長さで盛大に毛がフワフワしています。
一匹が姿を現すと、そこいら中の木でリスが駆け上がったり駆け降りたり、賑やかな事。
「その内にリス撃ちをしようね」とボブは行ってしまいました。
リスは少々騒がしいけれど、見たところ害が有りそうにも思えません。
コイツを殺すんですか?どうも気が進みませんねぇ。

荷物を片付けて、見取り図に書いてくれた Troop 7へ向かいます。
他にもサン・マテオの Troop 45、Woodside の Troop 159 が来ているようです。

左の地図の右下隅が Troop 7のサイト。
食堂の横を通って、国旗掲揚柱のある広場を横切って行った緩い下り坂の先に有ります。
テントが並んでいて、煙が上がっています。
もう食事の用意をしているんでしょうか?
近くで出会った子供に「Troop Master は何処?」と訊くと連れて行ってくれました。
アラッ、どうやら日系の方ですね。
Yosiya Tanaka さんといって、やっぱり2世の方です。
嬉しい事に私の英語とドッコイ、ドッコイですが日本語を話せます。
問題は、少し複雑な事柄になると、お互い相手の理解できない言葉でしか言えないことです。
それでも、なんだかホッとしますね。

最初のうちは別に何も考えずに、東洋系の顔をしている人を見ると「日系の方ですか?」などと気軽に言っていたんです。
ところが日系だと思ったら中国系だったり、韓国系だったり、最初に間違ったのはエスキモー系でした。
中国系、韓国系の場合、間違うと「いえ〇〇です」と少し強く言われたり、ちょっと厭な顔をされる事があるんです。
ほとんどの場合、ごく自然に「〇〇系です、我々は顔立ちが似ているから判り難いですよね」と言ってくれるんですけどね。
それからは、先方が言わない限り、強いて訊かないようにしているんです。
大体名前で判断できますし、名前を訊いて判断できなくても、あえて何系かを聞くことも無いですしね。

Troop 7はサン・マテオの東洋系の子供達のTroopなんですね。
小学校高学年から中学1年位の子供ばかりなのは、対象になっている地域が、新興住宅地で親の年代が比較的揃っているのかも知れません。
昨日此処に来た時は、父兄が何人か来ていたので何とかなったのですが、昼食が済むと父兄が帰ってしまったんだそうです。
明日は月曜ですからね。
昨日の経験で、この調子では食事の支度も到底ままならない、と思って、アシスタントを頼んでいたんですって。
父兄が手伝ってくれていても、1つのグループの面倒を見て、やっと火が燃え出したと思えば、他のグループの火が消えかけて燻りだすので、サイトの中をアッチへ行ったりコッチへ行ったりで、大変な目に遭ったそうです。

「ところで晩御飯は何ですか?」と訊ねたら、
「ホットドッグとトマトスープ」なんだそうです。
「良かったら一緒に食べて行かないか?」と誘っていただいたのですが、お昼もホットドッグを食べているのと、せめて最初の夕食は食堂で食べて、まだちゃんと挨拶していないスタッフとも話したいので、今回は遠慮しました。
5mから10mぐらい離れて円形にテントが張ってあって、テントの後ろにカマドがあるらしくモウモウと煙が上がっています。
「グループの半分を頼むよ」と言われて3つのグループの夕食作りの手伝いをする事になりました。

2003/06/05:初出
2022/06/01:再録

47-ED BARRAR-02-U.S.A.1964-No.47(8/1)
U.S.A.64-menu


45-残留2日目-02-U.S.A.1964-No.45(8/1)

2022-06-01 09:53:46 | 虚々実々-U.S.A.-1964

エンジェルズ・キャンプ

しかし遠いですね!と思っていたらエンジェルズ・キャンプの町(村?)に着きました。
道沿いにパラパラと家が並んでいて、全くの田舎町。
ここで買い物を少ししてお昼を食べてからキャンプ場に行くそうです。
それにしても、いやにカエルの絵をかいた看板が目につきますね。
「有名なエンジェルス・キャンプにようこそ!」って、有名な町なんでしょうか?
それにしてはショボクレた町です。
Hinman さんが車を停めたのは、大きなバンガローのような建物の前。
少し床が高くなっていて、広いベランダが道路に添ってついています。
ベランダの両端に入り口が有って、向かって右側には Post Office の看板、左側は表に農機具なんかが並んでいて、雑貨屋みたいです。

中に入ると、入り口は別でも、何と!つながってるんですね。
カウンターがあって雑貨、食料、薬、工具、衣料、喫茶店、食堂、ジュークボックスまで、とにかく何でも有り、鉄砲も壁に飾ってあります。
トムがくれたでっかいブリキの水筒もたくさん置いて有ります。
1/2ガロン(2リッター弱?)入りの1個が1$3/4、1ガロン入りの巨大なのでも2$1/2。
チャチなコルクの栓を差すだけの蓋で、気持いいほど実用本位。
う~ん安いのか高いのか?
貼ってある毛布みたいなのの模様に1つとして同じ物が無いのは不思議です。
この毛布みたいな布を濡らしておくと水が冷えるんだそうです。

郵便局のコーナーにはハトの巣箱見たいな郵便受けが壁にぎっしり並んでいます。
配達をしないんですって、皆んな自分で此処まで受け取りに来るんだそうです。
キャンプ場への郵便を受け取りに来たり、投函しにここへ来るのも、スタッフの仕事らしいですね。
壁に掛かっているプレートを読むと、ゴールドラッシュの頃に出来た町で、マーク・トゥェインが小説の舞台にした事で有名なんだそうです。
少なくとも「トムソーヤ」や「ハックルベリィー」には出て来なかったと思います。
カエルが絡んだ小説らしいんですが、知りませんねぇ・・・。
「その頃の雰囲気が残っている町は希少だ」と威張っているんですが、砂金が採れなくなって、ただヘタッてるだけのようにも思えます。

先ずは買い物、Hinman さんがチェックシートを見ながら指示するのに従って、カウンターへ運びます。
子供達もお手伝い。
ジャガイモ、タマネギの大袋を含む食料品がほとんど、かなり大量の買い物です。
勘定を済ましている間に、表の自動車に積み込み。
店に帰ってくると、窓際の簡単なテーブルにホットドッグとポテトフライが4人分並んでいます。
郵便局にお客が来ると、雑貨屋の小父さんが行って相手をするんですね。
郵便局長も兼ねているようですね。
小母さんがクリームソーダの大きなカップを持って来ました。
たくさん買い物をしたのでサービスだそうです。

落着いて商品を眺めると、面白い物が有ります。
動物を捕まえる罠(トラバサミ)各種、漫画で見たことのある板にスプリング仕掛けのついたネズミ捕り。
奥のほうの棚に名札が付いた荷物が並んでいるのは、頼まれて取り寄せた物でしょうか?
FORD と浮き出しの文字がある自動車の荷台の扉まで有ります。
Hinman さんは「裏の倉庫に行くと、もっとスゴイよ。この店が有れば、例え孤立してもエンゼルス・キャンプは1年ぐらいは生きて行ける」と言っています。

車に乗り込んで、いよいよ山道に入ります。
ところが、ものの20分も走らないうちに ED BARRAR に到着。
車が駐車場の広場に停まると、バラバラとスタッフが集まって来ました。
子供達はリーダーが迎えにきていたので、手を振りながらキャンプサイトへ歩いて行きました。

チョッと補足:
BSAというのは Boy Scout of America (ボーイスカウトアメリカ連盟)の略です。
County というのは辞書では「郡」となっていますが日本の「郡」とは桁違いで、State(州)の次の行政区域です。
カリフォルニアは日本とほぼ同じくらいの大きさで、County は府県といった位置になります。
San Mateo County はかなり広い地区で、ED BARRAR はそこのCounty Council(地区連盟)が運営しているキャンプ場です。
Troop というのは地域にある隊で、Troop Master は隊長。
当時の日本のボーイスカウトとは少し雰囲気が違って、子供会的な雰囲気が強かったように思います。
ただ、Explorer とか Ranger という高校生、大学生の連中は中々侮りがたいのが揃っていました。

ちなみに、countyはアラスカではboroughと言うんだそうです。
カリフォルニアでは borough をもっと狭い市程度の地域の名前に使っていました(Hills borough など)。 boroughはburg(城砦都市)が語源だそうで、Canterbury、Hamburgなんかもそうらしいです。
そう言えば、ペテルブルグ、とか一杯有りますね。
ルイジアナでは county の意味で parish を使うそうで、これはカリフォルニアでは協会の教区。
複数の市を跨いでいる大きなのや、ほとんど町内くらいの parish も有ります。
同じ国で行政区の呼び方くらい統一できないのかと訊いたら、連邦(United States)というのはそういう物だそうです。
ややっこしいたらありゃしない・・。

上半身裸で金髪の背の高いのが笑顔でやって来て「Bob だ、トムから聞いてるよ!」と手を差し出してきました。
これが、トムの友達ですか、デッカイ奴ですねぇ!
皆んなで運ぶと、瞬く間に荷物は片付いてしまいました。

一寸した広場に、大きさはかなり小さいものの、さっきの雑貨屋の建物に良く似た建物があって、そこが本部(Headquarter)だそうです。
右手に少しはなれて食堂兼食糧倉庫の建物、その真向かいが診療所。
本部と向かい合って Honey と呼んでいる集会所、その反対側に自然教室の建物が有ります。
Hinman さんに促されて、ここのボスにご挨拶をしに本部へ行きました。
ED BARRAR のボスは Mr. Leverend Edurm Halison という相当お年の白髪のお方。
「よく来た、気楽に頑張って」とゴッツイ手で握手されてお終い。
一緒に来ていたボブに身柄を渡されて Honey へ。
ここの親分はカークダグラスみたいな Mr. Robert D Ritchie。
実際の仕事の内容を教えてもらう。
一日数回の場内見回り、これは主に山火事の防止。
倒木の整理や、危険な枯れ枝の伐採、通路やトイレの補修などの場内整備。
キャンプに来ている Troop から要請があればリーダーの手助け。
まれに害獣の捕獲。
エッ?害獣の捕獲?
捕まえてどうするのかと思ったら、自然保護事務所に引き渡すんだそうです。

食事は原則として、昼、夕は調理スタッフが作ったものを食べるそうです。
7:00の国旗掲揚が済み次第、食堂を開けるので、朝食は有料のパンケーキと無料のコーヒーで済ますか、好きな物を買って食べるも良しだそうです。
若いスタッフは、場内に点在しているテント1張りに1人ずつ住んで、コッド(簡易ベッド)、椅子はテントに備え付け。
寝袋などは貸与してくれるそうです。

「はい、これがスタッフのシャツと名札」ワ~、こんな物をいただけるんですか!
寝袋、ランプ、食器(mess kit)、ガソリンストーブ(湯沸し用コンロ)。
日本で使っているのと較べると皆んな大ぶりで重い。
こんなのを担いで山登りは出来ませんね。
「ライフルが要る時は私に言ってくれればいつでも渡すからね。(?何で鉄砲が?)
San Mateo7のTroop Master が手助けが欲しいといっているから、落着いたら顔を出してやってくれ。
国旗降納は18:00。
夕食は18:30から19:30。
Dinner何てもんじゃあないから、Troop でご馳走になるときでも連絡は要らないよ。
19:30からミーティングで次の日の仕事を打ち合わせるから、食事をしないときでも、その時間にはここに来て欲しい。
私は何時もこの辺りに居るから、手が空いた時にはここに来てくれれば、何をしてもらうかを指示するよ。
そうそう、これを常に携行していてくれ、使い方判わかっている?判らなければボブに教えてもらって。」と毒蛇セットを渡されました。
「蛇の種類は自然教室に資料があるから、テントへ行く前に寄って見ておいてくれ」
私のテントの位置を地図で教えてもらうと、なるほど本部とは駐車場をはさんだ反対側、自然教室の側です。

ボブが荷物運びを手伝いがてら、ついて来てくれました。
自然教室に入ると、壁に鹿の首の剥製が飾って有ります。
私はこういう剥製てのは、何だか首狩族みたいであんまり好きになれません。
壁に毛皮が何種類も張ってあります。
アライグマは尻尾を見れば判ります。
おや、ネズミ色と黒の縞模様のが有ります。
ひょっとしてこれがバッジャー?毛皮の下に写真が貼ってあるのを、良く見ると、まさしくアナグマの顔ですね。
アナグマ=マミなら、積雪期に使う尻皮の順位ではカモシカの次にランクされているのでお馴染みですが、こんなにデッカイのは初めて見ます。
日本のアナグマも狸よりは手強いですが、危険というほどの事は有りません。
このデカサで気性が荒いとこれは大変です。
ボブによると子連れの時なんかは、クマにでも掛かって行くそうです。
アメリカのアナグマはいい根性してますね。
子持ちの奴の巣穴なんかに、夜知らないで近づくと危険でしょうね。
滅多に居ないから、そんなに心配する事はないそうなので一応は安心です。

バッジャーは狂犬病(Rabies)の恐れが少ないけれど、アライグマとリスは噛まれたらすぐワクチンを打たないと危険だそうです。
リスが危険とは思いませんでしたね。

此処には Gray Squirrel というリスがウジャウジャ居るんだそうです。
手の空いた者はリス撃ちをして、リスのグレィヴィーが此処の名物なんですって。
リスなんかそんなに肉がありそうにも思えませんがねぇ。
そうか、それでさっきライフルの話をしていたのか。
問題のバイパーはと見れば、どれもこれも瓶の中でふやけていて、これでは生きているのを見ても判りそうに有りません。
他の毒蛇の写真を見ても、アオダイショウそっくりにしか見えないのや、何処といって特徴がないようなのも居るし、思ったよりも種類が多いんですね、これは困りましたね。
「こんなにたくさんの種類が居るのか?」と訊ねたら、アメリカ中のだそうで、この地域には危険なのは2種類だそうです。

ボブいわくには、とにかく蛇に噛まれたら、毒があろうがなかろうが、キットの道具で血を吸い出して、診療所に連れて行くんだそうです。
何年かに1回しか蛇に噛まれる事故はないんだそうです
牙が短いから皮の手袋、ブーツ、ズボンで充分防げるんだそうです。
彼もまだそんな事故には出くわした事が無いそうで、それなら少し安心です。
毒蛇キットを常に持っているのは「野外には危険があるが、知識を持って、充分な備えをしていれば安心」という教育的な意味合いが強いんですって。
基本的な野外活動の知識を、キャンプ場内で出会った子供に質問して、正しく答えられたら相手の手帳に、事柄と日時を書いて名前サインするそうです。
そのポイントが貯まると賞が貰えるんですって。
積極的な子供はスタッフを見かけると、逆に質問してくれるように頼むそうです。
ウ~ム、これは困ったぞ、果たして言葉が上手く行くかなぁ。
草や木、鳥や虫は日本と違うのが居そうだし、よしんば知っているのでも、英語の名前が判らないからなぁ・・。
でも良く聞くと、それが出来るのは Ranger のスタッフで名札の文字のところが赤なんですって。
私のは緑、心配する事はなかった。

何だか長くなったので次回へ、

2003/06/02:初出
2022/05/31:再録

46-ED BARRAR-01-U.S.A.1964-No.46(8/1)
U.S.A.64-menu


2022/05/31

2022-05-31 18:43:14 | Today's maido(日記)


目を覚ましたのは5時15分、5分ほどしてベッドから出、洗顔の後バッグに溜まった600cc余りを始末、お籠りの成果が不満やけど、食べてないんやからこんなもんか。
霧雨の中朝刊を散って来て、トースト、カフェオレ、杏仁豆腐で朝食、腹部の膨満感は変わらず不快、6月6日の消化器内科受診まで大人しゅうしといてや。

無理に運動するより安静にしてる方が間違いなかろう、と1本タケノコを征伐しただけで、是といった事はせず、お得意のコロコロ虫に変身。
昼食は1把半の揖保乃糸で冷し素麺、食後に話してて何や食い違うと思たら、まだ5月はや!てっきり6月1日やと思てた、これはイケナイ徴候やぞ。
休憩後シャワー&ストーマ装具交換、腹水で膨れたお腹を見るとゲッソリしまっせ。

29日の写真を背景に設定、婿殿が入って無いのが残念やけど、干支の虎の団体さん、ヒゲペンギン、よく見たら虎の牙も入ってるようで、ジジイは満足。
此のペンギンは南氷洋捕鯨華やかなりしころ、船団から冷凍でカチカチのをお土産に頂き、伝手をたどって剥製にしてもらったものでしてね。

子供が小さい頃は「夜中になるとペンギンが歩き出すんや、いう事を聞かんとペンギンに突つかれるで。」という脅しが強力に効いてました。
孫がお泊りに来た時「夜中に歩くペンギンはこれ?」というのをきいて、そうか、伝説というのはこうして生まれるんや!と思たね、そんな大層な物やないか・・・。

夕食はご飯半膳に二杯酢小さじ半分を混ぜ、シイタケのうま煮、デンブ等で、ばら寿司モドキ、結構バラ寿司に近い味になり、自家製の柴漬け、焼空豆も美味。
デザートは杏仁霜の備蓄が切れたので牛乳を使った疑似杏仁豆腐、主役の杏仁霜が手に入るまでは、杏仁風味の牛乳羹で辛抱せんならんのか・・・。。

☆再録しました。
43-帰ってきた!-U.S.A.1964-No.43(7/31) Home sweet home. (2022/05/31再録)
44-残留2日目-01-U.S.A.1964-No.44(8/1) >最初の1ッ歩 (2022/05/31再録)


43-帰ってきた!-U.S.A.1964-No.43(7/31)

2022-05-31 18:34:46 | 虚々実々-U.S.A.-1964

Home sweet home.

サウス・サンフランシスコへ帰る途中で Amrine さんが Hinman さんからのメモをくれました。
「明日の朝、8:00に迎えに行く」そうだ!明日からキャンプ場のアルバイトです。
今までのように毎日ブラブラしていたのでは、メキシコへ行くどころか、アメリカでの滞在も難しくなります。
Amrine さんにも、どんな事でも私に出来るようなアルバイトがあればよろしく、とお願い。
「きっと何か有ると思うよ」と嬉しいお言葉。
私のビザでは就労が認められていませんから、口コミでのアルバイト探しに頼るしか有りません。
幸い当面はロジャーさん一家やトムに助けてもらって、ネグラの心配はないものの、何時までも、無為徒食の厄介者ではあまりにも気兼ねです。
言葉の充分通じる日本でも、自立出来ていない脛齧りの学生が、覚束ない会話の能力で、果たして何処まで出来るのか。
とにかく、やれるだけやってみるしかありません。

ブレントウッドから住宅地に入ると、何となく安心感を感じます。
家に着くと皆んな揃って迎えてくれました。
メープルシロップと紅ショウガのお土産を渡しました。
紅ショウガは少しずつ味をきいて「ム~・・、不思議な味・・。」
「サラダに使えそうね」
「クッキーに入れると美味しいかなぁ」
紅ショウガクッキーなんて聞いたことが無いけれど、意外に美味しいかもしれませんね。
ロジャーはお気に入りのチーズに載せて「これはイケル!」
日本人は紅ショウガといえば決まりきった食べ方しかしませんが、先入観が無いというのは面白いですね。
即、お気に入りの例のオリーブが入ったカクテルを作って来ました。
「あなた、今日の分はさっきもう飲んだでしょ!」
「息子が帰ってきたお祝いだから、今日は特別」
と私にウインク、エフィは仕方が無いといった仕草。
嬉しいなぁ、本当に家に帰ってきたという気がします。

「カナダはどうだった?」
「面白かったです、やはりアメリカと少し違いますね」
「寒くなかった?」
「少し寒かったです」
「他の皆んなは日本に帰ったの?」
「ええ、シアトルから、そろそろ日本に着いてるのかな?」
「明日は何時?」
「8時です」 「それなら、ゆっくりじゃないの」
エーッ!本人は結構目まぐるしいと思ってるんですが。

「決められたプランから飛び出して、自分でやりたい事を実現しようとしているのはステキよ。ロジャーもエフィも貴方を誇りに思ってるわ」
って、急に改まってそう言う事をいわれると、ジーンと胸に迫って困ってしまいます。
それも、まさかそんな事を言いそうに無いコラリアに、真面目な顔で言われるとどうしてよいのやら。
実はそれは買被りが過ぎると言う物、何をどうするというはっきりした目的が有るで無し。
ただ我侭なだけで、やりたい事と言っても、行った事がないところに行って見たいという、子供っぽい思い付きから出発しているんです。
さてこれから、期待を裏切らずにやって行けるかどうか、全く自信が有りません。

コラリアと話していても「到底敵わないなぁ」という大人びたところと、意外に子供っぽいところが有って、最初は戸惑いました。
ところが日が経つにつれて、コラリアだけでなく、知り合った人々の皆が皆んな、何処かしら大人の顔の中に、悪戯っぽい子供の顔を残している人が多いのに気付きました。
子供と遊ぶ時などは、ホントに同じ目線で一生懸命遊ぶんですね。
大人同士でも、時によっては子供っぽい悪戯や、遊びを大真面目でするんです。
こういう大人が居るというのは驚きです。

自分の力で何かをやろうとしているのを見ると、手助けせずに居れない、というのは、これまでの短い期間で、私の知り合った人々の共通した姿勢のように思います。
それも例えば「お金を上げる」「連れて行く」とかの直接的な方法ではなくて、自力で頑張るのを側面から支えるという方向の助けかたなのです。

小さな子供達が、レモネードを売ったり、何か一寸した事でお金を稼ぐのを大人が優しく見守っているんですね。
私の知る限りでは、子供達は自分の家のお手伝いをした場合、お金を貰っていないようです。
それは「家族の一員としての、当然の義務を果たしている」という発想なんでしょうね。
日本で、子供をお金で釣って家の手伝いをさせたり、点数がよければ小遣いを上げるなどといって、勉強をさせたりするのは、お金に対する間違った認識を大人が植付けているような気がします。
そして、小さい子供でも独立した人格として扱うという気分があるように思えます。
子供だからといってウヤムヤにしないのは一見厳しいようですが、何でもかんでも「子供のした事」で許される日本とどちらが良いのか?

「働いてお金を稼ぐ事は立派な事で、機会が有れば年齢に拘わらずドンドン経験すべきだ。そして大人はお金を稼ぐルールを教え、正しい労働の喜びと、努力すれば必ず報われる事を教えなければならない。」というのがベースに有るように思えるんです。
日本でよく聞く「あんまりお金の事を言うと汚い」などというセリフは、此処では通用しないのでしょうね。
「そうか、それがアメリカの価値観の1つの側面なのか!」と勝手に納得していますが、実は違うのかも知れませんね。

よく言われる「丸太小屋からホワイトハウスへ」とか、
家柄や財産のない人が、徒手空拳、努力の末に大金持ちになったという話がもてはやされるのは、誰にでもその可能性がある国だからなんでしょうね。
独立独歩、自立する事、若しくは、それに向かって努力する事が評価されるんですね。
正直、勤勉、努力、勇気、愛、評価されるべき事は非常に明快で、カラッとしています。

そう言えば、学習塾などは全く見当たりません。
小学校などは全く宿題が無いそうです。
近所の子供も、他所のお宅の芝生の手入や、犬洗い、一寸した手伝いでお小遣いを稼ぎ、親達もそれを奨励しているようなところが有ります。
マルチネスさんが夜、夫婦で出かけるときに、斜めお向かいの娘さん(高校生くらい)をベビーシッターに雇ったんです。
日本では無償であればともかく、ご近所の娘さんを子守りにお金を払って雇うというような事は、失礼だとか、何だとかいって、まず無いだろうなぁ、と思ったんですが、労働と報酬への感覚がハッキリしているから出来るんですね。

もう1つ驚いたのは Public(公共?それとも概念としての公?)の重さ。
これは日本とは全く比較になりません。
「公共の場所だからゴミを散らかす、誰も片付けない」という日本に反して、
「公共の場所だから綺麗にしなければならない、気が付いたら片付けるのは当然」という正反対の考え。
そして、親だけでなく、子供に公共の場所や物を大事にするように厳しく躾る廻りの大人たち。
Public 全般への義務と責任に対する、厳しすぎるほどの自覚。
これらは、新興の住宅地だから特に目立つのかも知れませんが、Public への意識がこの雑多な人種が集まった国を纏めている力の1つのように感じます。

そして、国と個人の関係というか、祖国に対する認識。
私などは、「たまたまそこで生まれたから日本が祖国だ」という意識で、多分に出たとこ勝負、お仕着せ的で、祖国という物を改めて考えた事はなかったように思います。
ところが、移民でも一世が多い此処の街では「自分が祖国として選んだ国」という考え方が強いみたいですね。
コラリアなどの二世でもギリシャとアメリカどちらを選ぶか本人の意思で決めたんだそうです。
もっとも、彼女の場合は、父親が依然としてギリシャ国籍だったから、どちらかを選ぶことになったのでしょうが、国民の内、相当の割合で自分の意志でアメリカを祖国に選んだ人が居るんですね。
アメリカ国籍を選んだからといって、民族の伝統を投げ捨てないで大事に守ろうとしている人たちが多いのにも感心します。
だから、人種と国籍、国と個人というのに対する考え方が、成り行きで決まったように思っている私なんかとは全く違うんです。
これでは、国に対する義務という考えの上で、日本人と大きな違いが有るのも無理は無いと思います。
1人1人が集まって国が出来ている、国は国民の為に在るので、国民は国の為に有るのではない。
文字通りの合衆国、This Land is my land!という意識が有るんですね。
人種出身が違えば風俗習慣の違うのは当たり前、共通しているのはアメリカを祖国に選んだと言う事での同報意識が有るような気がします。

だからと言って差別が無いなどとは思っていません。
ほんの一寸だけ覗いた、共和党の大統領予備選挙のキャンペーン会場の周辺で人種差別反対の活動をしている人々を見かけました。
会場内のお祭りムードとは全く違う、真剣な追い詰められたあの人たちの表情のを見れば、その根の深さ、深刻さは窺い知る事が出来ます。
ただ、先住民であるRed Skin(Native American)や、自分の意志に関係なく連れて来られた、いわゆる黒人はこの町にただ1人も住んでいませんし、たまたまグレイ・ハウンドで乗り合わせた位で、言葉を交わした事も無く、全く接触していないのです。
そして、ゲストとして滞在しているのと、自分たちの競争相手としての東洋人、とではかなり対応に違いがあるだろう事も予想できます。
何れ、そういうColored(有色人種)に対する差別を、肌で感じる事になるのかも知れません。

しかし、根底に流れているのは
「誰でも努力すれば成功できる可能性がある」
「国、社会に何かをして貰うのではなく、国、社会に自分はどう貢献できるか」
「明日は必ず今日よりも良い日に違いない」 などの言葉に息ずいている精神。
そして、陽光の元に掲げられたように明快な「正義、自由、愛」を善と信じる人々の国だと信じたいのです。
複雑で陰湿な石造りの薄暗い部屋の小さな窓から、冷え冷えとした景色を眺めて、眉間に皺をよせて策略を巡らせているよりも、明るい太陽の下で、腕まくりをして働いているような国であって欲しいのです。
大きな大きなアメリカの、何万分の1にもならないような狭い社会で感じた事が、何処まで通用するのか?
あまりにも巨大、複雑なこの国を理解する事など到底出来そうに有りません。
それならば、自分の見えるところ、手が触れるところだけでも確り覚えておこう。
どれだけ小さな部分でも、それも間違いなくアメリカの一部に違いはないはずです。

絵の具を全部混ぜると汚い色になってしまいますが、夫々の色を守ってモザイクのように使えば美しい色が描けます。
自分の色を大事にする事で、他の色を引き立てて、綺麗なモザイクが出来る。
そういう国を目指しているんでしょうね。
当然、大きな国で雑多な民族が混合していると、軋轢が生まれ、反感や憎しみ、排斥や差別が存在する事は避けられないでしょう。
それでも、国としては「融合による同一化」よりも「混合による調和」を選択しているように見えます。
それに反して、日本は無理にでも、1つに溶かし込もうとする傾向があるように思います。

しかし、ちょっとお腹が空いたなぁ。
コラリアに合図して、キッチンを探検に行くか、

2003/05/27:初出
2022/05/31:再録
44-残留2日目-01-U.S.A.1964-No.44(8/1) へ


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