私の祖母は90歳。
骨折して入院したりしていますが今は元気に一人暮らししています。
子供の頃は裕福なお家だったらしく
大阪難波の道頓堀がまさにお庭だったそうで
子供の頃はそのあたりで毎日遊んでいたそうです。
祖母曰く、昔の道頓堀川は綺麗で、くじらも泳いでいたそうです。
その後、探偵ナイトスクープという番組で同じ依頼があり調べていて本当でした!
祖母の家があった土地は今は20坪で5億でした🤣
もちろん戦争で焼けてもうありません😢
元々裕福だったため、兵庫の芦屋などにも家を数軒持っていましたが戦争ですべてなくし今は年金だけの貧乏な生活をしています😢
戦争は全てを変えてしまいますね。
都会生まれ都会育ちのため、たくさんの空襲や大阪大空襲、実はあまり知られていませんが大阪にも練習で原爆が落とされそれも見ています。
大空襲の日は電車に1人で乗っており、電車の窓からみんな飛び降りて必死で逃げたそうです。
その後、天満の病院へ家族が入院していたので無事辿り着き、屋上から大阪城の周りが焼けていくのをずーっと見ていたそうです。
その時の写真を資料で見たことがありますが、焼け野原で大阪城だけが残っているような状態でした。
戦争が激しくなり親元を離れ小学校単位で奈良へ疎開したそうですが、
親が祖母にもたせる食べ物を先生たちが全部盗って食べたそうです。
その後、不憫に思った曽祖父が田舎に家を買い、そこへ家族で移住したそうです。
とは言え今ではそこでも大阪のまぁまぁな都会ですよ。
もう戦争を経験した人がどんどん減っていき、私の祖母は生き字引になっています。
もっとたくさんの悲惨な経験の話があり、
こういうのどこかに資料として残せないのかな?と私は思っています。