まじませいさく書!!

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ファレノプシス

2016年07月04日 | スポーツ
好きな名前の馬でしたが、亡くなったそうですね。

学生時代、お世話になりました。

社会人になって御祝い事で胡蝶蘭が飾ってあるのを見かけるたびに心の中で

「ファレノプシスや」と勝手に思ってしまう印象的な名前。

これからもそれは変わらないでしょうね。

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98年牝馬2冠馬ファレノプシス死す くも膜下出血21歳

デイリースポーツ 7月4日(月)15時12分配信



98年牝馬2冠馬ファレノプシス死す くも膜下出血21歳


98年4月、桜花賞を制したファレノプシス=阪神競馬場


 98年の桜花賞、秋華賞、00年エリザベス女王杯を制したファレノプシス(父ブライアンズタイム、母キャットクイル)が1日夜、くも膜下出血のため死んだことを4日、JRAが発表した。21歳だった。

【写真】桜花賞Vのファレノプシス レース後も元気いっぱい

 97年11月の阪神新馬戦で栗東・浜田光正厩舎からデビュー。4戦目となった翌年のチューリップ賞で4着に敗れて初黒星を喫したが、武豊騎手に乗り代わった続く桜花賞で勝利。オークス3着後、秋の始動戦・ローズSを勝って向かった秋華賞も制した。その後は勝ち星がなかったが、00年のエリザベス女王杯で3度目のG1制覇。この一戦を最後に通算16戦7勝(うちG1の3勝を含む重賞4勝)の戦績で現役を引退した。現在、キタサンブラックなどを手掛ける清水久詞調教師が、調教助手時代に担当していたことでも知られる。

 繁殖牝馬としては9頭の産駒がデビューし、7頭が勝ち上がっている。また、15歳年下の半弟キズナが13年のダービーを制した。

 (株)ノースヒルズ代表・前田幸治氏「生産馬として初のG1優勝を成し遂げてくれたファレノプシスが亡くなり、とても寂しく残念に思っています。彼女は『胡蝶蘭』という名の通り、現役を退いて母となってからも、美しく気品にあふれていました。当歳の産駒も誕生しておりますので、未来に夢をつないでくれると信じています」

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