自分自身の人生を省みてみると、人間関係、仕事、人生、金銭、あまりにも多くの負債にクラクラしてくる。
僕が、自分自身がこの人生を終える時には、なんとか、自分なりに納得の行く場所まで清算できていたならと思うけれど、それでも、お前の人生はとんでもないものだ、と閻魔大王または神に雷を落とされるなら、それも甘んじて受け入れるしかない。
そして、甘んじて受け入れる覚悟は持ちながらも、神々はそんなバカなことはしないのではないかという甘えもまた浮かんでくる。
この大地から空気が消えることがないように、僕たちには必ず絶えず恵みが与えられている。
それほどにこの場所は、苦しみはありながらも、愛のある世界でもあるのだと思う。
恐れてしまうのも欲張ってしまうのも、帳尻を合わせることが下手なのも、人間の愚かさと、この世界の仕組みがもたらすものでもある。
欲望と煩悩は苦しみを生み、自分自身を、この感情と経験の連鎖を自分だと思うことが苦しみの始まりなのだとすれば、あらゆる営みはその種となる。
世の中は加速し続け、人々の暮らしにはタスクが増え続け、あまりにもの多くの時間を使用することから時間管理が甘くなり、遅刻への罪悪感も減り続けている社会。
みんな大忙しだ。
そんな大忙しな日々の中で、次から次へとある問題に、これはもう大いなる力に委ねるしかないとまた覚悟を決める日々。
大地にいつも空気があるように、何らかの恵みが僕たちの人生には与え続けられている。
思うよりもうまく行く。案ずるよりも生むが易し。
心配はすり抜けていつか笑い合えるように、心はどうか穏やかに。
いろんなことはありながら、今までどうにか暮らしてきたじゃないか。
思えば、全ての日々はきっと、大いなる何かの力で守られてきたのだなあということばかり。
この世界の奇跡を信じる時、きっと世界は微笑んでくれる。
なるようになるさ。いい風になるさ。あなたも。
風に委ねよう。
Makoto ATOZI
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