今から20年前の3/20は、
いわゆる「地下鉄サリン事件」があった日です。
犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、
今なお後遺症に苦しまれている方、
PTSDなどで苦しまれている方がいることを忘れてはなりません。
しばらく前のブログで、
阪神・淡路大震災の話を書きましたが、
これも同じ1995年の出来事でした。
その日の私は組合の支部会館(事務所)にいて、
取った電話で「組合の対応はどうなっているんだ」的なことを
ある職場の分会長(代議員)に言われた記憶が強く残っています。
そんなんで、当時の手帳を引っ張り出してみました。
2015春闘のヤマ場はすでに越えたようですが、
1995年当時の回答指定日は3/27だったようで。
3/27には支部につめて、
青年部のステッカー闘争などの中止指令を出す役割だったようです。
で、3/20は明け番で、
その日の夕方には支部青年部の総決起集会が予定され、
その準備などで支部会館にいたと思います。
明けの朝の8:10にはその事件が発生し、
無線で何かを言っているようでしたが、
向こうほどの騒ぎにならずにいました。
だから、あんまり記憶がないのかもしれません。
どちらかというと、
明けて支部会館に行って、
時間が経てば経つほどたいへんな騒ぎになっていきました。
テレビをつけても驚くことばかりです。
そんななかで、前述の電話をはじめとした電話が
支部に立て続けにかかってきていました。
専従者ではではないので、
どのような協議や対応が会社と行われたかはわかりませんが、
しばらくは仕事をしていても怖かった記憶があります。
その後の、ごみ箱封鎖や不審物騒ぎのほうが
困ったことが多かったのを良く覚えています。
映像的に皆さんも記憶にある、
「さがってくださーい!」と絶叫する
営団地下鉄(当時:現・東京メトロ)の駅員の姿。
その胸には、私鉄総連の春闘ワッペンがついていました。
こういうことが起こると、
闘争の一時中断ということが間々あるわけですが、
このときはそんなことはなかったと記憶しています。
もっとも、阪神・淡路大震災の影響で
春闘自体が特例扱いみたいな感じでしたから・・・
今から思い起こしても、
春闘中は何かしらの事件が起きたりするものです。
2005年3月の踏切事故もそうでした・・・
2015春闘も官製春闘と揶揄されてはいますが、
一定のベアを勝ち取ったところもあるようです。
全体の底上げがない限り、格差の拡大は永久になくなりません。
もっと地域や未組織の人も巻き込んだ闘い。
かつてストを打っても支持をされた労働組合。
それは国民的課題を取り上げ、
要求に組み入れて政治的なたたかいも組織する。
労働組合ががんばれば、国民の生活も向上した背景もあったと思います。
もういちど、労働組合も組合員だけのものではなく、
社会的な組織のひとつであることを考えてほしいと思います。
だいぶ話がそれましたが、1995年3月20日を振り返ってみました。
いわゆる「地下鉄サリン事件」があった日です。
犠牲になった方々のご冥福をお祈りするとともに、
今なお後遺症に苦しまれている方、
PTSDなどで苦しまれている方がいることを忘れてはなりません。
しばらく前のブログで、
阪神・淡路大震災の話を書きましたが、
これも同じ1995年の出来事でした。
その日の私は組合の支部会館(事務所)にいて、
取った電話で「組合の対応はどうなっているんだ」的なことを
ある職場の分会長(代議員)に言われた記憶が強く残っています。
そんなんで、当時の手帳を引っ張り出してみました。
2015春闘のヤマ場はすでに越えたようですが、
1995年当時の回答指定日は3/27だったようで。
3/27には支部につめて、
青年部のステッカー闘争などの中止指令を出す役割だったようです。
で、3/20は明け番で、
その日の夕方には支部青年部の総決起集会が予定され、
その準備などで支部会館にいたと思います。
明けの朝の8:10にはその事件が発生し、
無線で何かを言っているようでしたが、
向こうほどの騒ぎにならずにいました。
だから、あんまり記憶がないのかもしれません。
どちらかというと、
明けて支部会館に行って、
時間が経てば経つほどたいへんな騒ぎになっていきました。
テレビをつけても驚くことばかりです。
そんななかで、前述の電話をはじめとした電話が
支部に立て続けにかかってきていました。
専従者ではではないので、
どのような協議や対応が会社と行われたかはわかりませんが、
しばらくは仕事をしていても怖かった記憶があります。
その後の、ごみ箱封鎖や不審物騒ぎのほうが
困ったことが多かったのを良く覚えています。
映像的に皆さんも記憶にある、
「さがってくださーい!」と絶叫する
営団地下鉄(当時:現・東京メトロ)の駅員の姿。
その胸には、私鉄総連の春闘ワッペンがついていました。
こういうことが起こると、
闘争の一時中断ということが間々あるわけですが、
このときはそんなことはなかったと記憶しています。
もっとも、阪神・淡路大震災の影響で
春闘自体が特例扱いみたいな感じでしたから・・・
今から思い起こしても、
春闘中は何かしらの事件が起きたりするものです。
2005年3月の踏切事故もそうでした・・・
2015春闘も官製春闘と揶揄されてはいますが、
一定のベアを勝ち取ったところもあるようです。
全体の底上げがない限り、格差の拡大は永久になくなりません。
もっと地域や未組織の人も巻き込んだ闘い。
かつてストを打っても支持をされた労働組合。
それは国民的課題を取り上げ、
要求に組み入れて政治的なたたかいも組織する。
労働組合ががんばれば、国民の生活も向上した背景もあったと思います。
もういちど、労働組合も組合員だけのものではなく、
社会的な組織のひとつであることを考えてほしいと思います。
だいぶ話がそれましたが、1995年3月20日を振り返ってみました。