大空と共に歩く

その時のコラム掲載します

大空を友に歩く

2020-09-23 10:16:10 | 日記

山歩きもこうもジャンプアップするとは考えもして無く突然湧いた話が実現したのです。

日曜の遅く床から出ようとしてた矢先、友から電話が入った。目覚めは完全な頭にしてなく相手には今の状態が筒抜けで分るような声で答えたから直ぐに謝って来た。

起きて居なければ成らない時間でしたので相手はもういいだろうと朝の電話だったようです。

そして話はこうだ・・・・

明日例の場所に3:40分まで来てよっと言いつつ、明日ね~八に行こう(八ケ岳)と言ったのでした。

八ケ岳かね~自分が登れる手ごろな山だよねと聞いた。

そうしたら相方が残している阿弥陀岳に上がるから一緒に登ろうと決めたのです。相方は若い自分より20才も下で足にはバネが付いてる健脚者なので何処でも歩ける頼もしい相方何です。

こうして時には誘いが入り遠く長野、新潟まで出かけ登山を楽しんで来た。行きたくても簡単に好きな山へは高額な費用も掛かるので半年に数回程度だし簡単なあそびでは無い。

時を大切にし誘いが有れば運んでもらえる、自分は運転出来ないので申し訳なく隣に座っている。長旅ともなれば眠くもあり飽きても来るのでうまく話し込んで時間を稼ぐのだ。

朝早く出発するし登山口にも早目でなければ止める処が確保も出来ない。まして休日だったら・・

長野県に入り南諏訪ICから登山口への細く成る山道をひたすら走り別荘が立ち並ぶエリアが登山口だった。

先客が既にパーキングは占拠していたので邪魔に成らない場所に留める。到着時の空気はヒンヤリして地元とは温度差が感じ取れる。取りあえずフリースを着込み歩きだした。

ひんやり感は歩き始めて直に消えてた、身体が汗ばんでくる。こうなれば脱ぐしかないてな事で毎度のスタイルにし薄着での再歩きです。

1645mからの歩きでした。この先に1200mと登らなければ山頂には着けない。山が大きければ裾が広く距離もある。なので歩いても歩いても高さは稼げずの時もある。山道の分岐を通過しながら目的の山を目指す。

八ケ岳は人気があって登山道は鮮明だ、地図と方位計は必要だが少なくても地図読みさえ分れば歩けるかも。遠出して道迷いでは情けないしある程度山歩きで学習も熟さないと無理な事も対処出来ない。

高さ2805mの阿弥陀岳に登って行くが地味に景色が得られず2000mを越えないと無い。小窓的な所から遠くに北岳なども見えたりする。一呼吸にピッタリするもは有難い。

不動の清水に立ち寄りした。数分と離れはあるが岩肌に流れる湧き水を口にすると冷たく口に運んだ、のどを潤し身体に活を送る。水場から先はだらだら歩きでは無い、急登の始まりで山シャクナゲが両脇に生えている。何かに掴まりながらの歩きが何時間も出る。

やっと森林限界を超えた、景色が一遍し見渡す限り山々が見渡せる。凄い景色が始まったのです、流石この地の景色。富士山は山の陰にかり様子は分らなかった。

山そのものは信仰の阿弥陀様を祭る山だけに道中講の方たちが置かれる木札が入口から続いてました。

山道も同じ処に置かれてたり端折った場所にも点在してた。

景色が得れるのは楽しめる其れは其れでいい、山肌はガレ場に変わり道に多く不慣れな石が集まっている、石車にも乗ったりするので注意場所だよ。這い松が広がり遮りが少なく成って来た、いよいよ岩場に入りストックを使わず両手での登りだ。片手でロープに掴まり岩掴みしながら乗り越えする。

 

終わった先で下を見るとおおっ上がった凄い処を上がったんだと驚く。下りはもっと大変だろうと見ながら尚上を目指す。山は違付き大きな岩の尖りなどが目に付き始めた、あそこまでかねって聞くも未だ先だよ。

 

だって・・・ロープの場所を何度も越えて行くようだ。頑張りを見せながら西の肩に着けた、凄い岩が天に聳える、のちに振り返ってみたら登山者が立って居た。写真に大声で叫んだらボースを取って答えてくれた。

そんな場所には立てない凄い人だと感心した。小さな切れ落ちた場所に入り指導の下安全に通過する。そして最後の登りが出る。山頂だあそこが今回の目的地、傍にいた人に聞くと混雑してるよと言われ空身でアタックとした。混雑なら戻ってから昼飯でも良いかとデポしてた。

 

ロープを掴み皆さんが居る阿弥陀岳の到着する。予定時間を大幅に短縮での登頂は嬉しかった。ヘルメットを被り危険対策もしての登頂は万全だった。凄い場所に一緒に登って案内してくれた友に感謝でした。

こんな険しい山へはとても行けるような体では無いと自分なりに考えてましたから一入です。

雰囲気を楽しみ短時間では有ったが八ケ岳デビューに成った記念の登山。相方は全山終了の山を残してた場所が阿弥陀だった。完登とデビューの出会いに万歳だった。

 

ランチも美味しく食べられ山は何と言っても気持ちが収まる静かなエリアだ、岩に腰を乗せ暫く景色に見とれ満足の歩きに自分なりに評価した。後期高齢者が上がれる山ではなさそうと事前に下調べしてたら多分断ってたと思う。

お助けが居てこそなしえた山歩きですがそう何時迄も甘えられないが身体は甘えなければ次は無いと言ってるかも歳を重ねれば諦めるのもありだがもう少し頑張って付き合い体山は未だ多くある。

 

コメント
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