まりもの𝐁𝐥𝐨𝐠

北海道との縁⑤

過食衝動がなくなり
多分きちんと食べ始めたと思う。


玄米、お味噌汁、納豆
魚(サバかサンマ)、野菜(もやし、パプリカ、カブ、トマト···etc)

みたいな感じだったと思う。

2012年10月くらいから
どんどん落ち着いてきていた。


それでも
朝目覚めると恐怖心や不安で
パニック状態になる事もまだあった。


この頃まだ精神不安定さがあった私に
『ゆるし学』で知り合ったKちゃんが
【まりもにとにかく会わせたい人がいる】

と言われた。

Jさん。
後々2019年札幌移住するキッカケにもなった師匠。


Jさんに初めて会ったのは
2012年10月12日だった。


これまでのカウンセラーや精神科の先生とは全然違いとにかく厳しかった。


初日から叱られた。


初めて先祖供養の事
本当の霊的な事など
本当かどうかはさておき教えてくれた。


良心からの行い
感謝
スピリチュアルや霊能者の危険性


私には800億体の霊体が憑いていたらしい。

教えてもらった先祖供養を始めてみた。

始めた時
物凄く渦巻いていた混乱というか
精神的なパニック状態が
凄く小さくまとまるというか
小さくなったのを覚えている。


Jさんの所には
定期的に通っていた。


でも毎回霊的な事をとても言われるのと
ダメ出しやお叱りが苦痛だった。


でも行かねばならないと思い
怖いけど行っていた。


2012年11月05日
突然また苦しみが起き
『もーヤダ!帰る!』と思い立ち
札幌撤退を決心した。


引っ越しの手続きや色んな事を
始めた。

2012年12月10日
札幌から下関に帰省を決心した。


居る間の残り1ヶ月弱
できる事をしようと思い職安に通った。


いつも通る道が分からなくなり
遠回りして帰っていたら

大きな声で外から中の人に話しかけている人がいた。

そちらを見るとそこは
障害者施設だった。

私は思い切ってそこに入った。

残り1ヶ月だけどボランティアさせてもらえないかお願いしてみた。

凄く悲しくなった。

帰る手続きをしたその日に
生き甲斐になる事に出会ってしまった。

ボランティアを快く受け入れてくれ
下関帰省まで月曜~金曜まで毎日
13時~15時までボランティアをさせてもらっていた。

救いで癒しだった。

発達障害やダウン症
重症心身障害の人達がいて
可愛くて仕方なかった。

下関帰省の決心をとても後悔した。

2012年12月10日
ついに下関に帰省した。


帰ってすぐに
強烈に後悔した。


何で帰ってしまったのだろう、と。


いつか必ず戻りたい。
そう思った。


あんなにも
人生で1~2番を争うほど苦しかったのに
なぜかとてつもなく札幌が恋しかった。


一生懸命生きていた証拠だろうか。

それから札幌に行けたのは
5年後の2016年11月の旅行だった。


障害者のボランティアがキッカケで
下関で重症心身障害施設で働く事になった。


続く









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