スマホの着信音と知らない番号を不思議に思いながら出ることにした。
「山城(やましろ)、元気だった。」
名前を呼ばれても、すぐには返事ができなかった、まさかと思いながら尋ねる。
「六郷(ろくごう)君なのか?」
そうだよと答えることに山城は驚いた、何年ぶりだ、いきなり、しかも彼女から連絡が来るとは思わなかった。
「雑誌のインタビューを見て、懐かしくなった、声が聞きたかったのよ、ありがとう、じゃあ。」
「ま、待てっ。」
思わず引き止めた、もう少し話したい、声が聞きたい。
「良かったら、今度、食事でもどうだ。」
「ありがとう。」
本の少しの沈黙の後。
「今は動けないんだ、でも、声が聞けただけでいいよ。」
動けないという言葉に、もしかして、具合が悪いのかと思い聞く。
「相変わらず、感がいいね。」
「会いに行く、教えてくれ、どこにいるんだ。」
「嬉しい、でも、いいよ、それじゃあ。」
「待て、六郷っっ。」
切られてしまった。
ナンバーを調べて、急いでかける。
だが、彼女の声を聞くことはできなかった。
山城は番号を調べた、かなり離れたところにある病院だ。
後日、電話をかけたが、受付から彼女が電話に出ることは無理だと言われた。
(そんなに悪い……のか。)
スケジュールの調整をして、山城は車に乗り込んだ。
車を降りた山城は、無意識にネクタイを緩めた。
ビジネス向けのシャツは、ここでは場違いに見えた。
病院の入り口に映る自分の姿を見て、思わず眉をひそめる。
(こんな格好で会うべきじゃなかったか……)
だが、もう遅い。
山城は深く息を吸い、病院のドアを押した。
病院に行っても家族以外の面会はできない。受付でそう告げられ、山城はこのまま会えないのかと不安になった。
そのとき、待合室の椅子に座っていた老人に気づいた。自分をじっと見つめ、手招きしている。
不思議に思いながら近づくと、老人が低く囁いた。
「……あんた、会いに来たのか。六さんに」
六……六郷のことか? 。老人は小声で「着いてこい」と言った。
「以前、同じ部屋だったんだ。六さんがな、『もし誰か訪ねてきたら、病室まで連れて来てほしい』って言ってたんだ。本当は駄目なんだが……」
老人の声は、あまりに小さく、山城にははっきりとは聞き取れなかった。いや、聞こえたのかもしれないが、受け入れたくなかった。
だが、その表情と声から六郷の状態がよくないことは察せられた。胸の奥がざわつく。
「……彼女は今、どんな状態なんだ?」
山城が尋ねると、老人は振り返り、わずかに首を振った。
「……中に入っても、喋るな。見るだけにしろ」
その言葉に、背筋が凍るような感覚が走る。
話せない? それとも、話せる状態ではないのか?
不安が募るが、それでも確かめずにはいられなかった。
病室に入っても声をかけず、ベッドに近づく、だが、ほっとしたのは一瞬だ。
これでは生きているとは言えない、電話の、あのときの彼女は、もしかして別人だったのではないかと思ってしまった。
それほどに彼女は変わり果てた姿になっていた。
昔の、学生時代の彼女を思い出そうとしたが、できなかった。
(もっと早く、連絡してくれ……)
そしたら、自分が、いや、彼女のことだ笑って断ったかもしれない。
(声が聞けただけでいい……)
彼女の言葉を思い出す。
このまま、帰ったほうがいいのか、自分は。
六郷は自分が、ここに来たことをわかっているのだろうか、いや。こんな状態では。
痩せた青い顔を、見られたくないだろうな彼女は、だが、自分にできるのはこれくらいだ、これは最後のお願い、いや我儘だと思いながら顔を見る。
そのときだ。
瞼が、わずかに動いた気がした。
ゆっくりと動き、開いた、唇も。それだけではない、手が僅かに動く。
駄目だとわかっていても山城は呼んだ。
「六郷、俺だ。」
「やま、しろ……。」
手をゆっくりと動かす、さぐるようにして枕の下から取り出したものは一枚の紙だ。
「たの……む」
振り絞るような声だ。
紙を開くと震える字で『水樹』(みずき)と書かれていた。
もしかして、人の名前だろうか。
「わかった、任せろ。」
その言葉に、六郷は安心したのかゆっくりと目を閉じた。
水樹というのは誰だ、女性の、いや、今は男の名前でもおかしくないだろう。
山城は受付に向かった、水樹という人物を捜すためだ。
「水樹さん、ですか。」
看護婦は不思議そうな顔をした。
どうしたんだ、もしかしていないのか。水樹という名前は――。
だが、このときの山城は気づかなかった。
自分に向けられた、看護婦たちの視線に。
「先ほど病室に、ねっ。」
「ええ、入れ違いではないかしら。」
看護婦の言葉に山城は急いで病室へと引き返した。
水樹という人物がいるのか、中に入るのは躊躇われた。
ほんの少しドアを開けて中を見る、女性の後ろ姿が見えた、六郷に姉妹がいただろうか。
少し躊躇ったが中に入る、女性が振り返った。
肩口まで伸びた茶色のゆるくウェーブかかった髪、顔立ちは(似ている!?もしかして)
六郷は結婚していたのか。
「水樹さん、ですか」
山城の言葉に頷く。
どこか六郷に似ている。だが、それだけではない。
「……あなたが、水樹さん?」
山城の問いに、女性は小さく頷いた。
「あなたが……山城さん?」
彼女の声は僅かだか、震えていた。
そのときだ、看護婦が病室に入ってきた、ベッドの六郷を見て微笑む。
「六郷さん、今日はとてもご機嫌ですね。」
だが、山城はその言葉よりも目の前の水樹の表情に目を奪われていた。
その瞳に宿る感情は、喜びでもなく、悲しみでもなく——。
「……会えて、よかった。」
その言葉が、六郷に向けたものなのか、それとも山城に向けたものなのか、彼には分からなかった。