わずかに肩を竦めた男は不満げな表情を隠そうともしないまま、大佐と呼びかけた。
「賛成できませんね、講義を受けさせるのはアメストリス人だけ、それ以外の人間はというのは」
「帰れる保証があるんだ、勿論、これは決定という訳ではないのだが」
自分に話をしている時点で決定ではないなどと、それは無理があるのではと言いかけたキンブリーは、マスタングの顔を見た。
「貴方がさっさと出馬して大統領になっていれば、問題にならなかったのではありませんか」
それは皮肉か、嫌み、責めているように感じるぞと思いながらマスタングは黙りこんでしまった、だが、そんな男の態度に対してキンブリーは辛辣だった。
気の毒だと思うわけでもなく、目の前の男に対して呆れたような顔で見た。
「こんな事を言いたくはありません、ですが、今は講師として、貴方の前に立っているんです」
「なんだ、その言い方は、まるで」
話は終わりです、忙しいんですよと部屋のドアを開けて廊下へ出た、するとだだーっと駆け寄ってきたのは三人の女性だ、キンブリーは驚いた。
もしかしてと思ったが、あえて自分から言い出すのは良くないと思ったのは心配させてしまうと思ったからだ。
「あなたたち、どうしたんです、今日は仕事ではなかったんですか」
「休みをもらってきました、皆、噂してるんです、あたし達、元の世界に帰されるんじゃないかって」
真剣な顔つきで自分を見ている視線に生徒の間にも広がっているのかと、この時、初めて気づいた。
「講座を受けてる子が、あたし達、扉の向こうから来た人間は全員、強制的に帰されるっていうんです」
「真理の扉を開くって錬金術師でも大変だっていってたのに、強制的にって、そんな事できるわけないって言ったら」
「錬金術の事を知らない人間が偉そうになんて怒ってくるから」
三人の言葉を聞いていたキンブリーは、にっこりと笑った。
「確かに、けれど、大事な事を忘れていませんか、あなた方は正式に弟子入りしているんです」
セントラルの土木関係者の元に、まずは試しでということで半月余り、様子見ということで送り込んだのだが、その結果、頭領である男は自分の弟子達の励みにもなるし、見込みがあるということで正式に弟子として採用されたのだ。
「不安になる気持ちはわかります、ですが、私の生徒であるということにあなたたちは自信を持ってくれてもいいのではないですか、それに私も軍人の端くれなのでツテというものがあるんですよ」
「それってコネとか」
「一般人には秘密ってやつですか」
「先生って、やっぱり」
多分、世間的にはいい意味ではないのかもしれないと思いながら、キンブリーはにっこりと笑った。
三人が仕事に戻ると帰って行く後ろ姿を見送りながらキンブリーは他の生徒も知っていても不思議はないのだろうと考えた、あの三人は生徒達の中でも年上の方だ。
だが、もっと若い、十代ぐらいの子達になれば不安を感じている者だっている筈だ、他の講師達も話を聞いているのだろうか。
表だって噂になっているわけでもなさそうだが、これは聞いてみた方がいいかもしれないとキンブリーは足を止めて今日の講座の為に来ている講師の姿を探した。
マルコーさんの作るご飯は美味しいし、気を遣わなくていいから凄く楽なんです、女の独り言のような粒や挙聞きながら、ブラッドレイは頷いた、以前、彼が職場の仲間に振る舞っているのを見ていたら誘われたことがある。
あれは外国のヌードルだったか、茹でた小麦の麺に汁をつけて食べるだけのシンプルなものだったが、美味かったのを思い出した。
「戻るなんて、強制送還って考えもしなかったけど」
簡単な事ではないよと言いかけて、思案する、多分、上の人間が画策しているのは間違いないだろう、自分の隣を歩く女性の顔は元気がない、すれ違う若い軍人が何事と言いたげな顔つきでチラリと見るのが気になる。
「どこに行くんです」
「他の講師がこの話をどれだけ認識しているかというのが気になるところだ、二人から聞いた事はあるかね」
ノックス、マルコーの二人から、今まで出た事はあったかもしれない、だが、生徒を全員強制送還させるなど、今まで聞いた事はないと女はブラッドレイを見た。
食堂に着くと二人の医師だけでなく、キンブリーとスカーの二人も一緒だ、丁度いいと女の手を握るとぐいっと握るとブラッドレイは、四人のところへぐいぐいと歩き出した。
「おうっ、珍しいな、元、偉いさんが何の用だ」
「元気そうで安心したよ、しかも、変わらずの口の悪さだ、強制送還の話の事聞いてるかね」
ああと頷いたノックスだったが、んっという顔になった。
「で、なんて姉ちゃんと手をつないだままなんだ」
「仲良しだからね、羨ましいだろう」
「なんだ、ネェちゃん、泣きそうだぞ」
ブラッドレイは、はははと笑いながら、ノックスの言葉はスルーした、そして、大佐の大統領選をどう見ると、この言葉に四人の男は思わず顔を見合わせた。
「大佐が上に立つと困った事になると危ぶんだ人間がいてね、一人ではないと思うが、それで、今回の強制送還の話が持ち上がり、騒ぎの間に自分達の身辺を綺麗にしようというのが、今回の騒動の元何ではないかと睨んでいるんだが」
ブラッドレイの話は四人には初耳だった。
自宅への帰り道、途中、マルコーは隣をちらりと見た、わずかに俯いた顔は元気がないというよりも全身の力が抜けて脱力したという感じだ、声をかけるのも躊躇ってしまう、少し前に聞いたブラッドレイから聞いた話をマルコーは思い出した。
結局のところ大佐がちゃんとしていれば良かったのだとキンブリーやスカーは呆れた顔になり、ノックスと自分は上の連中は、隠れて他にも色々とやっているんだろう(多分)と考えた。
「実際、扉を開いて強制送還というのは口でいうほど簡単な事ではないんだよ、それも一人ではない、複数の人間ということになるとね」
そういって隣をちらりと見るが、反応は薄い。
「退役軍人が口を出す事になれば上の人間も色々と考える、つまりだね、ほら、そんな顔をしないで」
心配する事はない、安心しなさいと、明日は休みだから朝食は自分が作ろう、隣を見ると初めて女が顔を上げて自分を見ている、それだけ事だがマルコーは内心、ほっとした。
結局のところ、あの女タラシがちゃんとしていなかったから問題になったのでは、大統領選に出馬すると自分で口にしていながら、それが長々と伸びていた事に上の人間がつけ込んできた。
ロイ・マスタングが現在のところ有力候補だが、他の候補者が出てくるという噂もちらほらとある、だが。
「どうしたんです」
声をかけられてスカーは我に返った、隣を歩く白いスーツの男は何故かニコニコとしている、普段から笑みを絶やさない画、それは表向きだ、だが。
「正直、ほっとしましたよ、こういうのは長引かせるとよくありませんから、安心しましたよ」
三人のドボジョの顔を思い出しながらキンブリーはわずかに口元を緩めた、ブラッドレイが関わってきたのは意外だったが、これなら問題は大きくはならないだろう、ふと隣を見ると傷の男の表情に彼は気づいた。
「貴方は大統領の隣を見ていましたが、そんなに気になりましたか、彼女のこと」
「なっっ、何のことだ」
少し慌てるというより狼狽した感じの大男の顔を見てキンブリーは笑った。
「優しいですからね、元、大統領は、息子さんがいることをご存知でしょう」
奥様は息子を溺愛していますが、娘、女の子も欲しかったみたいですね、キンブリーの言葉にスカーは無言になった。
強制送還、元の世界に皆が連れ戻される、そんな事が可能なのか、もし、可能だとしても正直な気持ちをいえば帰りたくないのが本心だ。
(我が儘なんだけど、思ってしまうのよ、だって)
熊のぬいぐるみに顔を押しつけて、ふと考えるのは先のことだ、講座だってずっと続く訳ではないだろう、今、こちらに来ている何人かは街の職人、工房に正式に弟子入りしている者もいる。
なのに、一番年上と言ってもいい自分は、だらだらとした日々を過ごして、情けなくないかと思ってしまう。
マルコーさんが帰ったら、どうしよう、ノックスさんのところに助手として弟子入りするというのは、でも息子さんがいる、いや、できれば自分は。
「食事ができたよ」
慌ててベッドから起き上がると台所に向かう、聞こうと思って先延ばしにしてきた言葉は、まだ大丈夫だと自分に言い聞かせてだ。
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