友人の息子と会うのは久しぶりだった。
十年、いや、子供の頃に会ったきりだから二十年以上は過ぎているだろうか、久しぶりに会った友人の息子は青年を通り越して、つまりおじさんという年になっていた。
父親のノックスが軍の医療室で仕事をしている間、どうせなら息子に診療所を任せたらとマルコーは提案したが、それはあっけなく却下された。
たまにしか会わない息子に自分の診療所、患者を任せるのは不安という、確かにも、そう言われてみれば納得するところもある。
数日後、軍の募集の件はどうなったと聞くと即答で落ちたと返事が帰ってきた、自分としては、ほっとしているという言葉にマルコーはそうかと頷いた、こういう問題はデリケートだ、他人が口を出すべきではないのだろう。
その日、二人して診療所の日程を組んでいると、ただいまと男の声がした息子が帰ってきたのだろう。
「おう、昼飯は食ったのか」
部屋に入ってきた息子の顔を見て、二人は一瞬、無言になった。
「髭、剃ったのか、髪も切って別人じゃねぇか、いや、俺の若い頃にそっくりだな男前じゃねぇか、なあ、マルコー」
別人という言葉には頷ける、だが、若い頃、男前という言葉は少し語弊があるのではないだろうかと思ったが、それを口にはしなかった。
「息子から見た父の友人のこと」
久しぶりに帰ってきた我が家では父の友人が患者を診ていた、驚く自分に軍の医療施設で働くことになり、自分はその穴埋めで働いているのだと聞かされたときは、ほっとしたものだ。
少し前にセントラルで起こった真理の扉を開こうとした錬金術師の不手際で、こことは違う世界から来てしまった人々の応対だけでなく、錬金術師の国家試験の事に関しても現役、最近では引退間近の錬金術師がかり出されていると聞いて驚いた。
「大変じゃないですか、マルコーさん」
「まあね、だが、楽しいんだよ、自分が講師になって何かを教える経験なんて滅多にないからね」
笑うマルコーの顔を見て思わず羨ましいと思ってしまった、自分の父親と同じ年代の筈なのに若く感じるのは気のせいだろうか。
その日、家に帰ってきた父親は一人ではなかった女性連れだ、以前、自分は女にモテるんだと笑いながら豪語していたが、飲み屋での会話なので、聞き流していた、男の見栄だと思っていたのだ。
「息子さんですか、初めまして、木桜春雨といいます、ノックスさんには、お世話になっています
お世話になっている、どういう意味だろうと思ったのも不思議はない、だが、そんな自分の心情に気づいていないのか父親は女に声をかける。
「洗濯物を取りに行ってくれないか、介護ベッドのシーツと、台所にドーナツがあるから食っていいぞ、ついでに掃除も頼む、あと、そうだな」
女が出て行くと、何か言いたそうだなとノックスは息子を見た。
「おやじ、まさか、あの女と」
息子の言葉にノックスは脱力した。
「ネェちゃんはバツイチだぞ、それにマルコーと一緒に住んでる」
息子はマルコーを見た、それも真剣な顔で。
「マルコーさん、あんた、騙されてないか、あの女に」
えっ、いきなり何を言い出すのかと、すぐには言葉が出てこなかった、そして友人は、この馬鹿息子がと半分呆れたような顔だ、自分が女性に騙されてしまったから、そう思うのだろうが。
その夜、夕食の席でマルコーは彼女に一人暮らしがしたいかねと尋ねた、いきなりどうして、そんな事を聞くのかと聞かれた彼女は不思議というよりは少し不安そうな顔つきだ。
「もしかして、何か不満が、掃除とか、洗濯、ちゃんとできてないとか」
「いや、そういう問題ではなく、一人の方が自由じゃないかと」
軍の寮、アパートだと規則や制限がある、一人でアパートを借りると配給されている金では、カツカツの生活になってしまうと女は真顔で呟いた。
「今の生活、気に入っているんです、どうしても嫌なら出て行きますけど、今、使い切ってしまったんです」
所持金が殆どないと言われて不思議に思ったのも当然だ、派手な化粧をするわけではないし、服装もいつも似たようなものばかりだ、何を買ったんでねと聞いてしまった。
「オーブンです、あと、電動ミキサーと」
「な、もしかして、あの時、見ていた」
相談してくれたら良かったのにと思ったが、明日届く、それも一括で払いました、ローンとは嫌なんですと言われて自分もだとマルコーと頷いた。
「まあ、調理道具、オーブンやミキサーなんて、イシュヴァールの診療所だと手に入れるのも大変だろう、よかったじゃねえか」
友人の言葉にマルコーの表情は複雑だが無理もない、数日前、二人で買い物をしていた時に調理器具を見ていた時の事を思いだす。
「おまえを喜ばせようと思ったんだよ、それにネェちゃんも料理する、欲しかったんだろ」
そう言われると返す言葉もない、だが、金を半額出すと言っても受け取ろうとしないというと、だったら、何か欲しいものを買ってやればいいだろうとノックスは提案した。
その日、友人の笑いを仕方ないだろう、彼女がどうしても欲しいと言ったんだと、どこか歳に似合わない拗ねた言い方で返した。
「いやー、腹の皮がよじれそうだ、ははっ、いや、笑いがとまんねぇな」
飲みかけの珈琲を吹き出しそうになったノックスだが、でもおまえさんは買ってやったわけだと言葉を続けた、そのときのことをマルコーは思い出して神妙な顔つきになった。
「結構な値段したんじゃねぇか、子供のおもちゃなんていうが、ものによってはコレクターやマニアとかいるからな、しかし、熊とはな、で一緒に寝ているわけだ、ははは」
「スカー君ぐらいある、かなり大きい、それに値段もだ」
等身大の大きな熊のぬいぐるみは、いい値段だった、本当に、まさか、そんなものを欲しがるとは思わなかった、服、化粧品、アクセサリー、大人の女性なのだからそういったものを想像していたのだ、だが、彼女が欲しがったのは熊のぬいぐるみだ。
なんでも欲しいのを言いなさいと自分から口にした手前、駄目だとは言えなくなり買ったのだが。
「まあ、なんとなくだが、寂しいんじゃねえか」
こちらの世界に来た日本人というのは複数だが、皆若い、中には友人同士で連れてこられた者もいる、だが、バツイチネェちゃんは一人、しかも、一番年上だろと言われてマルコーは、ああと頷いた。
自分も息子と話が噛み合わないとなんとも言えない気分になる、他人の集まりなら尚更じゃねえかと言われてマルコーはそういうものかと友人を見た。
「まあ、女は幾つになってもぬいぐるみは好きだからな」
答えになっていないと思いながらもマルコーは黙ったままだ。
おーいと呼びかけられて振り返る、近づいてきた男の姿に女は驚いた顔でブラッドさんと呼びかけた。
講義が終わり、夕食の材料を買いに行こうと思っていたときだ、予想もしない人物に出会い、女は驚いた。
「どうしたんです、仕事、退職したんですよね」
「ああ、実は君に話が、いいかね、今」
不思議そうな顔になる彼女に話があるんだとブラッドレイは軽くウィンクした、お茶目な人だと思いながら女は頷いた。
退職したとはいえ、高官だった自分に意見を求めてきた人間がいて、詳しい事を知る為に来たんだ、話を聞いているうちに女の顔は神妙な顔つきになった。
「でも、こっちで結婚した若い子もいるんですよ、突然、そんな事を言われたら困るんじゃないですか」
「だろうね、そんな簡単な問題ではないと思っている、まだ、正式ではないんだよ」
ブラッドレイは女の顔を見ると、大丈夫かねと声をかけた。
「いいんですか、そういうことを退役したとはいえ、偉い人なんでしょう、話してしまって」
「まあ、当事者でもあるわけだ、君は」
今の生活がずっと続くなど思ってはいなかった、だが、こんな話を突然、聞かされたら驚いてしまう。
「ああ、すまないね、辞めたからといって軍人気質というのは抜けなくてね」
「大丈夫です、からっ」
声がわずかに大きくなってしまう、否定したくてもできない、情けない、泣きたくなるような気分だ。
悪かったと言われ、手を握られて歩き出した。
泣いてませんからという言葉に、そうだねぇ、はははと笑いながらブラッドレイは女の手を握ると歩き出した。
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