CAPです
無事にゆうべ帰国しました
ご心配をおかけしました メールや電話くれた方ごめんねーありがとう
あちらでも海岸沿いに津波に警戒するパトランプの青い光がぐるぐる回っていて
東京へ帰れない人たちの延泊でホテルはどこも満室
いつ飛ぶかわからない飛行機を待つ人などで
どのツアーデスクもごった返してました
出発するときに起きた地震の被害の程度はほとんど知らぬまま
中部国際空港セントレアでも 大きなスクリーンに
ぜんぜんニュースは流されてなくって CMばっかりやったん
出発案内の表示板にもただひたすら機材の遅れと、滑走路の浸水の点検とだけ
(今思えば 余計な不安をあおらないための措置だったのかな)
東京や仙台へむかって飛んでた飛行機を着陸させるのが優先だったから
毛布が配られだしたときは このままここで泊まりかなー
なんか食べておこうーとのんびり構えてた
飲食店のある方へいってみたら どこも売り切れ
手持ちのお菓子でつないで待つこと6時間
22時すぎのJALは定刻どおりに飛び立ったのに
20:10発デルタは出国審査さえさせてもらえず。。。やっぱ安いでかなー
とか JALやで優先なんやーとか 思ってました
23時すぎになってやっと 出国審査がはじまり 搭乗し
ホノルルに到着してから
先に飛んで行ったJALが 津波のため着陸許可がおりず引き返して
結局 欠航になったと聞き
部屋でNHKを見て もうビックリ やっと事実を知ったの
そして念のため帰りの便の確認をしようとデスクをたずねたら
冒頭の状態
なんか 申し訳ない気持ちでいっぱいになった。。。
でもハワイの父母(と呼んでる方)にも会えたし病気もまずまずで安心
わが身より日本を心配してくれて 涙
お店で会計するときも日系もそうでないハワイアンも
「あなたの家族は無事?」とか「日本に帰ったらみんなにがんばってと伝えて」とか
必ず声かけてくれるし
どこのホテルのロビーにも手書きの看板があって
地震のことのお知らせと あきらめないで東北 とか
オハナ(ハワイ語で家族とゆう意味)日本がんばれ とか
書いてくれてあって
その昔のパールハーバーのことなど思うと
ほんとに愛に包まれた島だなって 胸が熱くなった
東北関東大震災からいつのまにか
東日本大震災に名前が変わってたんやね
事故の起きている福島原発は私の父がかつて働いていた場所でもありました
懐かしい山や海や川が汚染され
なにもかもなくなっていき
やっと助かった命さえも危険にさらされてしまってる
あぁでも今 遠く離れた私たちにできることは
物資を買いだめしたりすることなく
つとめて平常心でいかなくてはね。。。
ほんの少しだけ義援金を送りましたが
ケータリング業界でもなにかできることはあるかな
炊き出しとかかな
心の準備をしとかなきゃ
雪が降ってきた
暖房とか毛布とかちゃんとあるのかな?
世界中が見守ってくれてます!
どうか どうかあきらめないで!
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