天壇 (てんだん)
tiān tán
tiān tán
中国の皇帝が天をまつる儀礼を行う壇。漢代以来,都城の南郊に設けられるのを原則とし,圜丘(えんきゆう),南郊とも称した。北京に現存する天壇は,明・清両朝皇帝が祭天の儀を行ったところで,明の1420年(永楽18)に当時の南郊に天地合祀の大祀殿が創建され,1530年(嘉靖9),四郊分祀の制に改めて圜丘を新築,38年大享殿を新築した。さらに清の乾隆年間(1736-95)に拡張・整備が行われ,1751年(乾隆16)に祈年殿と改められ,1889年(光緒15)に焼失はしたが旧状に従って再建されており,現状はほぼ乾隆当時の状況を伝えている。祈年殿,皇穹宇(こうきゆうう),圜丘が南北軸線上に並び,その間を塼(せん)積みの大道で結ぶ。圜丘は皇帝が冬至に天をまつる,白石積み,3成の露壇で,四周を方垣で囲み〈天円地方〉をかたどり,壇の直径,敷石や欄干の数は陰陽説の陽(奇)数で統一されている。