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スペインの教皇を殺し、チェーザレ・ボルジアを錯乱させた謎の晩餐会
アレクサンデル6世とその息子チェーザレは、アドリアーノ・ダ・コルネト枢機卿が開いた田舎の晩餐会の後、重い病気にかかった。毒殺の噂はイタリア全土に響き渡り、ローマを支配していた放縦なバレンシア一族の敵は数え切れないほどいた。
スペインの教皇を殺し、チェーザレ・ボルジアを錯乱させた謎の晩餐会
スペインの教皇を殺し、チェーザレ・ボルジアを錯乱させた謎の晩餐会 ABC
セザール・セルベラ
12/03/2015
2015/03/30 02:13に更新。
2人のローマ法王を世に送り出したバレンシア出身のボルジア家は、欲望にまみれた残酷な歴史上の人物として描かれる黒い伝説に包まれている。彼らを人気者にした縁故主義も、過剰な野心も、司祭として子供を持つことも、ロドリゴ・ボルジア(アレクサンドル6世という名でローマ教皇)だけのことではなかったが、スペイン人であるという彼の地位が、ローマにおけるこれらの一般的な慣習を許しがたいものへと昇華させた。ボルジア家はイタリアに多くの敵を作り、1503年にアレクサンデル6世とその息子チェーザレ・ボルジアが田舎の宴会の後に重病で倒れると、暗殺の噂がヨーロッパ中に響き渡った。家長は数日で亡くなり、ボルジア家の王子たちの模範であったチェーザレ・ボルジアの転落の原点となった。