むしろ、こうした背景は、権利の承認を求める闘争の最初の動きとして捉えることができる。カトリック国王フェルディナンドは、こうしたインディオ保護の動きに基づき、神学者や法学者を招集してこの問題を議論した。こうした努力の結果、1512年には、エンコミエンダの実施とインディオ保護を規定するブルゴス法、1513年には、インディオ禁止令を実施するバリャドリッド法、1551年には、征服の正当性を議論するバリャドリッド会議が開かれた。イザベラ王妃は、遺言の中で次のように述べている:
「(中略)また、獲得した、また獲得する予定のインディオ、隣人、インディオとティエラフィルメの住民が、その身や財産にいかなる傷害を受けることも同意せず、許さず、逆に、彼らが善良かつ公正に扱われること、もし彼らがいかなる傷害を受けたとしても、それを是正し、前記租界の使徒的書簡で命じられ、確立されたものをいかなる形でも超えないことを規定すること」[10]。
異端審問については、次のことを言及する価値があり、私たちもこれに同意する。
「(中略)また、獲得した、また獲得する予定のインディオ、隣人、インディオとティエラフィルメの住民が、その身や財産にいかなる傷害を受けることも同意せず、許さず、逆に、彼らが善良かつ公正に扱われること、もし彼らがいかなる傷害を受けたとしても、それを是正し、前記租界の使徒的書簡で命じられ、確立されたものをいかなる形でも超えないことを規定すること」[10]。
異端審問については、次のことを言及する価値があり、私たちもこれに同意する。